幻の帝軍
陽が沈み靖国神社の境内は夜の顔を覗かせている。
石灯籠に陽が灯り昼とは違った幻想的な雰囲気が大鳥居の石段の端に座り込んでいる二人を包み込んでいた。
遊就館での出来事がよほどジュリアにとってはショックだったのだろう。うつむいたまま塞ぎ込んでいる様子だ。その横でカヨが心配そうに寄り添っている。
「あら、どうしたの?」
幾分高齢の女性が話しかけてきた。歳の頃は60歳くらいだろうか和服姿で白髪の似合う、現代人離れした凛とした感じの方だった。
「さっきそこの博物館で見た特攻隊の遺書がショックでちょっと…」
そうカヨが説明をする。
その女性はチラと遊就館の方を見るとジュリアの前にしゃがみこんだ。ジュリアが和服姿の女性に気付くと顔をゆっくり上げた。
「まぁ、泣いちゃったのかしら?お化粧が崩れてるわね。」
そういうと和服姿の女性はジュリアの頬に軽く手を添えた。すると何か感じたように話しはじめた。
「かわいそうに…。貴女そこまで知ってるのなら尚更ね。辛かったでしょう…。でも、もう大丈夫よ。その気持ちだけで皆んな救われるの。だから、ほら元気出しなさい」
暖かく全てを包み込んでくれそうな母性にも似た手の感触が頬を伝わってくる。それは不思議な事にジュリアの気持ちをほぐしていった。胸のつかえが取れ、じんわりと暖かく優しい感じに胸の奥の方がなってきて荒んだ気持ちがどんどん消えていった。ジュリアも答えるかのようにそっと手を重ねる。
「もう、大丈夫ね」
と言うと和服姿の女性は立ち上がった。ジュリアもそれにならうように立ち上がる。
「ありがとうございます。」
ジュリアは礼を言うと軽く微笑んだ。
「いいえ、どういたしまして。気を付けてお帰りなさい」
和服姿の女性は微笑みながらジュリアとカヨを見ると
「私の息子も生きてたら貴女達みたいな可愛らしいお嫁さんをもらってのかしらねぇ」
そう言うとキョトンとした2人をよそに大鳥居の門扉を潜っていった。
「私の息子…?」
その言葉に違和感を感じたジュリアがカヨの顔を見ながらいった。何か焚き付けられたようにジュリアは慌て彼女の後を追いかけた
「チョットどうしたのよ!?」
カヨもジュリアの後を慌てて追いかける。
大鳥居を潜ると眩い光がジュリアとカヨを包み込む。両手でその光を慌て遮ったが徐々に減光してゆく感じがしたので恐る恐る手をのけた。
するとそこには信じられない光景が広がっていた。
季節外れのサクラが咲き乱れ軍服に身を包んだ旧帝國陸海軍の将兵が境内一杯に整列していた。
あまりにも現実離れした凄まじい光景に2人とも立ちすくんでしまった。
「気ぉー付けぇー!!」
雷鳴のような号令が飛ぶ。境内を埋め尽くす将兵が一斉に気を付けをすると地鳴りの様な音がした。
「平成の世の女性に対してーぇ」
「敬礼!!」
一糸乱れず白い手袋が鮮やかに敬礼の所作を実行する。
「直れ!!」
号令と共にサクラが散るように白い手袋は将兵の側頭部から消えて行く。
その光景を目の当たりにしたカヨは放心状態のままで固まっていたがジュリアは将兵の面々を見ると
それらが戦死した英霊だという事に気が付いた。戦時中数多の将兵が
「靖国で会おう」
と言って散華していったその言葉通りに集まっていたのだ。
「マジかよ、あそこにいるの山本五十六じゃないのか…」
すると山本五十六と思われる人物は敬礼をした。その反応につられるようにジュリアは将兵の名前を次々と挙げていった。
「山口多聞」
「森下信栄」
「戦艦大和最後の艦長・有賀有作」
「ラバウルのリヒトフォーヘン・笹井准一」
「マレーの虎・山下奉文」
「硫黄島の栗林忠道」
「軍神・加藤建男」
ジュリアは自分の知ってる限りの将兵の名前を言っていった。それに答えるように呼ばれた者は敬礼をする。
しかし知識の限界がきてしまい遂に将兵の名前が出なくなってしまった。悔しさと申し訳なさで唇を噛みしめる。
「…くそっ。ここまでか」
すると飛行服姿の一人の青年がジュリアの元に駆け寄って来て敬礼をすると
「お話は母から伺いました。私達の為に涙を流されたと。現世では無理ですが、貴女のような女性と会えるのを来世で楽しみにしております。どうかお元気で」
そう言うと満面の笑みを見せてから敬礼をし、回れ右をして隊列へ戻って行った。
「え!?お母さんってひょっとしてさっきの!?」
ジュリアはその青年を追いかけようとしたがまた目も眩むような光を2人を包み込んだ。面喰らってジュリアは追いかける足を止めてしまった。
光が晴れると境内を埋め尽くす将兵は消えていてサクラの木は青々した葉をたたえていた。
カヨが我に返りジュリアの方をみた。
ジュリアも夢から覚めたような表情でカヨを見返した。
お互いに夢では無い事は解るのだがどうにも説明がつかない。
「ねぇ春菜…。さっきの女の人とパイロットみたいな人って…」
「おまえもそう思った?」
「あんたもそう思うんだ…」
しばしの沈黙のあと
「親子だろうな…」
ジュリアが重い口を開く。続けて
「息子さんは戦死して若いままだけどお母さんの方は天寿を全うしたんだな…」
2人は人影まばらな境内を今一度見渡した。幻と消えた将兵達の余韻に浸りながら…。
「帰るか」
ジュリアはカヨの顔を見て言った。
「そうね」
カヨもそう答えると2人揃って一歩踏み出したが「グ~」とお腹の鳴る音が響いた。
「カーヨー、ったくオメーにはデリカシーってモンがねーのかよ!」
照れを隠すようにカヨは
「なんか突然お腹減っちゃた。ねぇ、今から何か食べにいかない?」
と言うと、ジュリアは一旦呆れた表情を見せたものの頭をボリボリ掻きながらいつもの調子で
「今日は何曜日よ?」
とカヨに聞いた。
「え?今日は…金曜日だけど」
突然、食事の事とは無縁な事を聞かれてカヨは困惑気味に答える。
ジュリアはカヨの答えを聞きながらズカズカと境内を歩く。ゴツイブーツのカカトが自信あり気に鳴っている。どうやら先程のショックから立ち直ったようだ。
「なら、カレーだな。お前この近所で美味い所知ってるか?」
ニヤリと笑いながらカヨの方を見ながらいった。
「近所の神保町が本屋の街でありカレー屋の聖地って知って聞いてるの?」
「たりメーだ。本屋が神保町シカトすんのかよ?」
ジュリアはそう言うと乱暴にヘルメットをカヨに投げ渡した。それを慌て受け取るカヨ。
ヒラリとバイクに跨るジュリア。靖国神社の静寂を2人を乗せたバイクの爆音が裂いていく。




