07. 書棚の間
「本当は一度だけ婚約したことがあるんですよ」
ぽつりとそう言われたのは、図書館の深い場所で魔法書を探していた時。リスタの家族の話をしていた時だった。
あって当たり前の話だと言うのに、胸の奥がぐうっ、と苦しくなった。
高齢になるまで図書館の外で暮らしていたリスタにそんな相手がいたことがあったとしても当然のことだった。未婚の女性が珍しい時代に、そんな話が一度もなかった方が不自然だ。
リスタは結局一度も結婚しなかったのだから何かの事情があったのだろう。立ち入った話までし合うくらいにリスタと自分の距離が近付いていたとも言えた。
「………どうして結婚されなかったのですか」
「―――――――――――亡くなったので。戦で徴兵されて」
咄嗟に言葉を返せなかった。
「戦地で散った相手のために結婚しなかったのか」とは訊けなかった。そう尋ねて頷かれることを恐れた。
五百年も前のことだったが、それ程の想いだったのであれば今も続いているのではないかと思えて。
果て無く続く背表紙の前に並び、数秒、どちらも無言だった。
短い静寂の後、言葉を接いだのはリスタの方だった。
「…………彼が戻っていても結婚はしなかったと思います」
「―――――――――――――――――」
隣に立つ彼女の、その横顔を思わず見やる。
自分の方からどこまで踏み込んでいいのか分からず、「理由」を待った。
リスタが続きを口にしたのは、わたしが尋ねない限り、この話はここで終わってしまうのかもしれないと思った頃だ。
膝を屈め、棚の低い位置に手を伸ばしながら、リスタはぽつりと言葉を接いだ。
「………葬儀の場に小さな子供を連れて、女性が現れたんです。子供は、彼そっくりでした」
「………」
相槌すら打てずにただ目を瞠る。
立ち上がったリスタに紺色の魔法書を差し出された。
言葉を見付けられず、結局、ただそれを受け取った。
悲し気に、青い瞳の女性は微笑んでいた。
「その時まで誰も知らなかったんです。彼の家族も―――――――でもあの子は、彼の出征前には生まれていたと思います」
家庭のある男に騙されていたとか、そう言う話ではないのだと理解する。婚約は、相手の家族にも認められた正式なものだったのだろう。
「―――――――――――――――」
感情の波が心の奥を搔き乱した。
二人の女性の運命を狂わせた男に強い怒りを感じる。だがそれよりも大きな感情があった。
もしその男がリスタに最後まで手を出さなかったのだとしたら、もしかしたらその男はリスタのことが本当に好きだったのかもしれない。
そしてリスタはそれに気付いている気がしたのだ。
「――――――――――――――――――」
伸ばしかけた手を寸前で横に逸らした。左手はリスタではなくリスタのすぐ横の本を掴んだが、明らかに不自然だった。彼女の表情が戸惑う。
わたしと本棚の間に挟まれたリスタは一拍置いてはっと目を瞠り、右へと体をずらした。反対側の手で逃げ道を塞ぎそうになるのを堪える。
なんの感情の揺らぎもなくこんな話を告げられたとは思わない。手を伸ばせば触れられそうに互いの距離は近かった。
書棚の間でそれからしばらく、わたし達は無言だった。




