62. 人に若返りをもたらすからくり小箱
何度も治癒魔法をかけた。
図書館を出てたった三週間でここまで弱る筈はない。レベルゼとの対決が原因なのか、それとも何かの病気に罹っているのか。
原因がなんだとしても治癒魔法をかける以外にやれることはなかったが、どれだけ魔力を注いでも手応えがない。腕の中でリスタはぐったりと目を閉じていた。掌と腕に感じる体が折れそうに細い。
「リスタ!!」
もう一度名を叫んだ時、リスタの睫毛が僅かに震えた。
「!」
瞼が薄っすらと開き、懐かしい青い瞳と瞳が合う。
「リスタ!!」
「ア……ト……めい……きゅ……」
「終わりました」
懸命に伝えるとリスタは微かに目を瞠り、迷い、それから何かを言おうとした。
「アル………」
そこで言葉が途切れ、体から力が失われた。
「リスタ!!」
必死で体を揺さぶる。だが彼女がもう一度目を開けることはなかった。人間の体は老いると治癒能力が弱くなり、幾ら魔法を掛けてもその力は十分には高まらない。
若返れば間に合うのか?
分からない。リスタの意思も聞けない。
ただリスタを救える可能性があるとしたら若返りの魔法だけだ。
腕にリスタを抱いたまま、背中の鞄を手を使わずに魔力で開けた。革袋もその口紐も魔力で開け、木製の小箱だけを目の前の宙に浮かべる。二千年以上前から箱に挿されたままの鍵が、出番を待ちくたびれているかのように静かな佇まいを見せていた。
小箱を手にした時に使い方は知らされている。
人を若返らせるような極端な魔法にはやはり制約があり、この「小箱」を使用出来るのは一回だけだった。やり直しは利かない。
戻りたい年齢を決めなければならなかったが、リスタに尋ねることは出来ない。
「―――――――――――――」
迷っている時間はない。
わたしが決めるしかなかった。
手を伸ばし、真鍮の小さな鍵を掴んだ。
「―――――――――――二十歳」
古代の言葉でそう告げて、鍵を回した。自分とリスタの実際の年齢差に合わせた年齢だった。
カチリ。
小さな音がして「小箱」が開く。
蓋と同じ大きさの板が内側からせり上がり、その上に人形が立ち上がった。かしゃん、と軽やかな音を立てながら箱の天面の高さで板が止まる。この箱に「からくり小箱」の名前が与えられている理由が分かった瞬間だった。
「……!」
板の上の小さな人形は木彫りに見えたが、まるで生きているかのように精巧だった。床まで届く裾の長い服を着て、頭巾を被った老女の人形。偶然なのか、服の紫色はリスタの着ている服とよく似ていた。
レベルゼの魔道具だ。服の色も、人形が老女であるのも偶然ではないのかもしれない―――――――
ただリスタの姿にはまだなんの変化も起きていなかった。
くるっ……
ふいに人形が回転した。左回りに。
一回、二回――――――――そのまま回り続ける。
リスタに治癒魔法をかけ続けながらその様子を見ていた。若返りの魔法はいつ発動するのか。焦燥でどうにかなりそうだったが、しばらくして深く曲がっていた老女の背が少しだけ伸びていることに気が付いた。
「……!」
そこから十回ほど回転する間に人形の服の色は薄くなって行き、やがて藍色の頭巾が取れ、淡い色の髪がゆるやかにその背中に広がった。
光の粒子がリスタを包んでいると気付いてはっとする。リスタの姿が明らかに若返っていた。人形の変化に倣うように。
くる、くる、くる………
小さな人形が回り続ける。回転を重ねるに連れ人形の服が変わり、髪が豊かになり、顔立ちが若くなって行く。
カチャン……
小箱よりもリスタの方に見入っていたわたしはからくりが止まった音を耳にして視線を上げた。
その時箱の上に立っていたのは、白いドレスと薄桃色の貫頭衣を重ね着た美しい女性だった。
「―――――――――――――――!」
カタン………
その姿を見たのは数瞬だけだった。白い光の粒に包まれて、人形は微かな音と共に台座ごと消えた。後に残ったのは何も入っていない、ただ小さな木の箱だった。もう魔力も感じない。
温かい。リスタの体に体温が戻っていた。
息を詰め、腕の中のリスタを見つめる。
瑞々しく輝く肌に長い金色の髪。
二十歳のリスタは眩いように美しかった。
その体を包んでいた光の粒子が宙に吸い込まれて消えて行く。
そしてゆっくりと、リスタは目を開けた。
「アル……?」
澄んだ声がした。リスタがはっと言葉を途切らせる。
「リスタ………」
「アルト…………?わたし…………」
戸惑う彼女の頬の辺りにそっと触れた。
「とても綺麗です」
「!」
その途端、リスタの顔にさっと朱が差した。
――――――――――うん、理性。
自分に言い聞かせて、起きたことの説明をなんとか果たす。
「家の者に、あなたが屋敷に来てわたしの行く先を尋ねたと聞いて――――――」
そこでようやく極限の緊張から解放されて、ふぅっ、と大きく息を吐いた。初めてリスタをきつく抱き締める。
「間に合ってよかった……!」
「アルト…………呪いは…………?」
加減したつもりではいたのだが充分でなかったのかもしれない。耳元で聞こえたリスタの声はようやく喋っているかのように小さかった。
答えの代わりに少しだけ体を離して微笑む。
それでリスタは察した。
わたし達の時はようやく重なったのだ。
と、ふいにリスタの瞳と表情に力強さのようなものが生まれ、息が止まりそうなことを言われた。
「アルト。―――――――――――――わたしと結婚してください」
まさかリスタの方から言われるとは思っておらず、咄嗟に言葉が出なかった。真っ直ぐに向けられた視線を受け止め―――――――数瞬二人で見つめ合った後、自然と唇を重ねていた。




