53. 解呪
「!!」
はっと振り返る。手から仮面が滑り落ちた。
カシャアァァァ…………ン……!
白い空間に派手な音が響き渡る。
最初の広間。
何かにぐっと握られたかのように心臓が痛い。
一縷の望みを抱いて周囲を見回したが、八つの扉の前に魔道具が点在しているのが容赦なく目に飛び込んで来る。二十五個の魔道具は、全て自分が置いた時のままだった。取っ手に鎖が巻かれた扉の前にだけ何もないのを見た時、決定的に現実を突きつけられた。
「なぜ……!」
何を見落とした?!
手掛かりを求めてもう一度後ろを振り返る。
白い広間は最後の扉に入る前と何も変わっていないように見えた。
ふと足元を見るとそこに「破壊の仮面」が転がっている。落ちた時あれだけ大きな音を立てたのに、磁器製らしき仮面にはひび一つ入っていない。
「――――――――――――――――――!」
狂気と理性が体の中でせめぎ合う。
この空間を破壊したい衝動に駆られた。
なぜ「宝珠」がない?!
五百六十年という月日をかけて、全ての扉を制圧したのに、なぜ「宝珠」だけが見つからない!
叫びそうになる。
と。
「!!」
突然、空間が明度を上げた。
後ろだ。
保護魔法を強化しながら床を蹴って反転する。
「………」
振り向いて目にしたものに声を失った。
二つの扉の間が白く光っていた。九つ目の扉と八つ目の扉の間に出現した巨大な光の壁―――――――――いや。
十枚目の扉だ。
「―――――――――――――――」
気付くと体が微かに震えていた。
なぜ。
「解呪の宝珠」はこの扉の先にあるのか。
だとしたら、なぜ「解呪の宝珠」だけ他の魔道具と扱いが違う?
少なくともここまで「宝珠」が見つからなかった理由が偶然である可能性は、これで完全に消えた。
「人類史上最強の魔法使い」の狙いが分からなかった。
足が竦んで動けない。
「!!」
熱い。
思わず胸の上を握り締めた。
熱い。
これまでの二回より温度が高かった。
「………!!」
リスタ―――――――――――――――――――!
歯を喰いしばった。
ゆっくりと息を吸い、吐く。震えが消えていく。
「………行こう」
彼女にそう告げて、足を踏み出した。
大きな白い空間を歩いて横切る。その前で立ち止まることすらしなかった。
失った生を取り戻す。
巨大な光の扉に、真っ直ぐに入った。
コン……
二歩目には扉の反対側にいた。
最初に感じたのは冷気だった。冷たい風が頬を撫でる。
同時にこれまでに潜った九つの扉のどれとも違うと感じていた。目の前の光景はあまりに「普通」で、「自然」だった。
「は……――――――――」
「仮面」があった場所に戻った?
咄嗟にそう思ったと言うより、そう思い込もうとしていた。
受け容れられなかった。斜面を下って行く白い階段と冬枯れた森。
ざわり。
皮膚が粟立ったのは、現実を呑み込めない一瞬が過ぎた後だ。
「!!」
ばっ、と後ろを見ると、光の扉はもう存在していなかった。代わりにそこにあったのは円柱が支える丸屋根と、円い床。そして正面の突き当りに設えられた石碑のような「祭壇」だった。
「な……」
頭が真っ白になる。
迷宮の外。
言葉もなくただ立ち尽くす。
だが直後に、雷に打たれたような衝撃を覚えた。
「――――――――――――!」
魔道具――――――――――――――――!
魔道具がある。
その気配に視線が吸い寄せられる。
迷宮に入る前には何もなかった筈の場所。
「………ッ……!」
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……
破裂しそうに心臓が打つ。
白い「祭壇」の上。
そこに色を持つ小さな物がある。
自分を人間に戻す魔道具。
動揺を抑えようとしたが難しかった。
五百六十年かかった。
今自分は、「解呪の宝珠」の前に立っている。
だがまだだ。
感情を無理矢理抑え込む。最後の勝負に勝たなければならない。必死に冷静さを保ち、あらゆる罠を想像して魔法の気配を探った。
だが。
「………」
魔法の気配がない――――――――――
どれだけ探しても見つからない。
何も起きないまま時間が過ぎていく。
「………」
決意して、わたしは足を踏み出した。
僅かな異変にも反応出来るように神経を研ぎ澄まし、一歩一歩、ゆっくりと歩いた。
距離の半分を過ぎると、祭壇の真ん中に載っているものがはっきりと見えた。
「――――――――――――――――」
半透明の小さな丸い石が、金細工の小さな台座に嵌め込まれていた。
――――――――――――――「解呪の宝珠」。
胸がどくりと打つ。
あとほんの僅かな距離だ。
耐えられる限界の緊張に耐え、その僅かな距離を詰めて行った。
そしてなんの罠も発動しないまま、「祭壇」と宝珠が目の前に迫った。
その時。
「――――――――――――――――――――――――」
解呪
体から力が抜け、その場に膝を着いた。
今。
解呪された。
今確かに、自分のものではない魔力が体の中を走った。
「――――――――――――――――」
何も考えられない。ただリスタの姿だけが頭に浮かんでいた。
これでようやく。
動けない。
思考することが難しかった。
ただ微かな警告が胸の奥底で聞こえていることには気付いていた。
その警告に耳を澄ませなければならないと感じる。
何かがおかしい。
期待させては打ち砕くようなことを散々繰り返した末の、幕切れの呆気なさはなぜなのか。鞄の中の「小箱」以外の魔道具はどうなってしまうのか。
なぜ迷宮の外に出されたのか。
自分はもう不死ではないのだ。リスタの許に帰るまで、一瞬たりとも気を抜いてはならない。
冷静さを取り戻そうと、深呼吸を繰り返した。三回目の深呼吸をし、そこから更に時間を置いてようやく立ち上がる。五百六十年目指し続けた魔道具を手にするために。
残りの距離をゆっくりと歩いた。
神経が擦り切れそうに緊張した。
ほんの数歩。やがて遂にその前に立った。罠の発動は無かった。
数百年を掛けて辿り着いた魔道具は片手にすっぽり収まるくらいに小さかった。伸ばす手が震える。両手で掬うように、その石をそっと持った。
頭に古代の言葉が流れ込んで来る。
『不老不死の解呪の宝珠――――――――――――――――――
三ペディウス以内の距離まで近付けば、不老不死の呪いを解除する』
「――――――――――――――――――」
万感の思いが込み上げる。
次の瞬間。
空気がびりびりと揺れた。
「!!」
はっと身構えた時、生贄を嘲笑うかのように神殿の柱と床が割れた。




