50. 脱出の記憶と未来の願い
ドッ!!
重い音がして背後に風を感じた時、何が起きたのか分からなかった。自分の保護魔法が破られたのだと理解した時にはもう取り返しが利かなかった。
加速が刃に、帝国最強の盾すら突き破る重みを加えていたのだ。
「ぅッ……!」
短い悲鳴が上がる。切断された繭の中から仲間達が吸い出されて行った。
「……!」
吹き飛ばされるような勢いで目の前を過ぎようとした女性の腕を咄嗟に掴んだ。フレッドたちを呑み込んだのとは別の光に、彼女とわたしは引き摺り込まれようとしていた。他の隊員の叫び声も聞こえたが、自分の身に起きていることに対処するだけで手一杯で何も出来ない。強烈な引力に逆らって彼女を手繰り寄せようとした。
「アルト……!」
彼女も懸命に自分を引き摺る力に逆らっていた。
彼女の背後に迫る光の中に薄っすらと何か青い色が見えると思った、次の瞬間。
ザンッ!!
「ミミッ!!」
噴き出した血さえすべて光に呑み込まれて行く。
反対側の手を伸ばしたが届かなかった。突然力が失われた反動で回転しながら声もなく、ミミは白い光に吸い込まれて行った。彼女の右腕だけが自分の手の中に残されていた。
「――――――――――――――――!」
何も出来なかった。
打ちひしがれていることなど、だが許されない。
ザンッ!!
「ッ!!」
「アルト!!」
激しい衝撃を感じて呻いた。刃が左脇を掠めたのだ。
激痛を感じながら光の引力からなんとか逃れたが、すぐそこにもう別の刃が迫っていた。
「………!」
空気を圧縮して刃にぶつける。するとガンッッ、と凄まじい音がして、刃物の軌道は微かに逸れた。
「――――――――――――!」
刃を防ぐ方法は残されている。
それは微かな希望ではあったが、しかし圧倒的な絶望感を覆せるものではなかった。
目視も難しい速さで落ちて来る刃を弾き返そうとすれば、相当な集中力がいる。それだけでも困難なのに、次々と流れてくる光に突然予想外の方向に引っ張られる。しかもその引力で刃も軌道を変える。
少しの間は持ち堪えた。
全員で突然襲ってくる引力に逆らいながら刃物を弾き、傷を負っては自分や誰かに治癒魔法を掛けた。
だがそれは目前の事態にただ対処しているだけで、死を僅かに引き延ばしているだけだった。降って来る刃はどんどん数を増して行くのだ。
また一人、刃に体を切断されて光に呑まれて行く。
「――――――――――――!」
もう全滅目前だった。
近くを通過した光にまた引き摺り込まれそうになる。その時、その光の中に再び薄っすらと何かが見えてはっとした。
ぼんやりとした灰色に見えていたのは何かの景色だった。
蛍のように宙に浮かぶ灯が、丘の上の石造りの建物を照らし出している。暗闇に佇む「夜の神殿」―――――――――――――
「扉」の反対側――――――――――?!
扉の反対側が見えているのかもしれない、と気付く。
迷宮内のどこかに飛ばされるとしても、この場所にいるよりは安全なのではないか。反射的にそんなことを思ったが、扉を選り好みする余裕はもちろん、仲間と言葉を交わせる隙すらなかった。
「っ……!」
「ヴァイオレット!!」
上空でヴァイオレットの体が切断されるのが見えた。
五人失った――――――――――――!
広間を出たのはほんの少し前なのに、何も出来ないままもう半数を。
広間の九枚の扉の中から、勘で一つを選んだのはわたしだった。
激しい後悔の中で、どこかの光に飛び込むしか方法がないと思ったその刹那。
信じられないものを見て、全身が総毛立った。
あの時わたしは本当に見えていたのだろうか。今でも分からない。勘だったのかもしれない。
目の先を通り過ぎようとした光の中に冬枯れた冷たい森を感じ取り、「外」だと思った。
「出口だ!」
遠ざかって行く光を指差して叫び、残された魔力を振り絞った。
ガ………ン………
鼓膜が破れそうな音と共に空気が震えた。近い範囲の刃が全て砕け散る。
砕けた沢山の刃は今度は無数の小さな凶器となったが、保護魔法で防げる程度に重さは殺せた。しかしそれで稼げる時間はほんの数瞬だ。次の刃が際限なく降って来る。間に合わないと思い、生き残っていた者達を魔力で無理矢理引き寄せ、その光の方へと送り込んだ。
瞬間的に魔力を大量放出したことで手に力が入らなくなり、まだ持っていたミミの腕はこの時に落としてしまった。
白い光の中に仲間が飲み込まれて行く。遠のきそうになった意識を気力で起こし、自分も最後にその中へと飛び込んだ。
冷たい空気が肌に触れ、一瞬だけ空や木が見えたと思う。だが恐らくは木か地面に体を打ち付けて、その直後にわたしは気を失った。
§
カン……
知っている暗闇に出会い、小さく息を飲む。
あの場所だった。
――――――――カン、カン、カン……
歩を踏み出すと、誰もいない場所に決戦の銅鑼の音のように金属の音が響いた。
脱出の直前まで仲間同士で治癒魔法を掛け合っていたため、迷宮の外で目覚めたあの時、自分が無傷であることをわたしは不思議に思わなかった。結局それから一年もの間、わたしは自分が呪われていることに気付かなかった。
カンッ……
刃に囲まれた縁に立ち、遥か下を見降ろす。
あの時と同じに、無数の星が渦を巻いていた。
「――――――――――――――」
一瞬だけ目を閉じ、この迷宮で命を落とした者達のために黙祷した。
解呪を目指し続けた五百六十年、迷宮を完全制圧することで仲間達の無念を晴らしたいとも密かに願い続けていた。図らずも、その願いは今ほぼ叶い掛けていた。
目を開けてもう一度下を見つめる。ここに立つのは二度目だと言うのに、人間が造り出したものとは思えぬ圧倒的な光景に畏れを覚える。
一際大きく明るい星がずっと遠くに見えた。他の星が全て動いているのに、その星だけは一ヵ所に留まっている。
二分の一の確率―――――――――
仲間の敵討ちが優先事項でなくなってしまったことに、また少しだけ罪悪感を抱いた。
だが今自分が一番に願っているのは、迷宮の完全制覇ではなかった。
胸に手を当てる。
ハンカチ越しに自分の心臓の音を感じた。
「リスタ………」
リスタが今の姿のままでも自分は構わない。
その場所を握り締めて思う。
呪いを解いた後もしリスタがそう望むのであれば、自分が年を取るまで図書館の外で待ってもいい。
帰ったらもう一度求婚して、リスタの気持ちを改めて聴きたい。
本当に必要なのは自分がリスタの横にいられることで、リスタが若返ることではなかった。
あと二つ。
ふぅ―――っと、長く息を吐く。
そして二十六個目の魔道具を目指して床を蹴った。




