41. 生還の決断
神殿に辿り着けなかった者は、やはり全員別々の扉に呑まれたのだと思う。テイル達はどちらも迷宮の中で一人だった。
ここに他にも隊員がいると聞くと、二人は隊員達の人数と名前を確認した。
『―――――――悪いな。負担を掛けて』
『……』
『もしどちらかが脱出を果たして、もし俺が脱出出来なかったら、家族への伝言を頼めるか?』
テイルの言葉に喉が詰まった。
どこの国でも、強力な魔法使いは早くに結婚して血を残すことを求められていた。だからテイルも第二中隊長だったヴァリィも20代の前半には身を固めており、子供もいたのだ。
皮肉なことに三人の中で独り身だったのは、魔力の少ない恋人との結婚を長年反対されていたわたしだけだった。わたしが一番、悲しむ者が少なかっただろうに。
恐らくテイルもヴァリィも―――――そしてわたし自身も、生還する可能性が一番高いのはわたしだと思っていた。だが誰もそれを言葉にはせず、それから静かに、わたし達は互いの遺言を預け合った。
『……背負わせて済まない、アルト。そこにいる者達を任せる。出来れば彼らだけでも生きて帰してやってくれ』
『………テイル……』
『……家族を頼む。揃って脱出出来たら三人で飲もう』
するとその言葉にヴァリィが珍しくふっ、と笑った。
わたしよりもテイルよりも年上だったヴァリィは、陽気で親しみやすいテイルとは対照的に、寡黙な人だった。だが誠実で信頼のおける人物だった。そんな寡黙な男がその時、肩の力が抜けたかのように笑った。胸潰れる思いがしたのは、その明るくからりとした笑いが希望でも共感でもなく、達観から零れたように感じたからだ。
三人で飲む日は来ないと、彼は思っていたと思う。
『……外で会おう』
「後を頼む」と繰り返した二人にそう言うと、彼らは最後に二人揃って笑った。
「―――――――――――――」
「はぐれた者は独自の判断で脱出を目指せ」
それが大隊長が残した指示だとは分かっていた。だが本当に、仲間の救出に向かわなくていいのか。
葛藤しながら目を上げ、周りで待機していた者達を見た時、ぞくりとした。
全員、亡者のような顔をしていた。
救出に向かう是非以前の問題だった。このまま動き続けたらどこかの時点で急に力尽きる。片手や片目を失っている者もおり、特に女性は、体力の限界を超えた無理を続けていると思えた。
ここが安全であるなら先ず食事と休憩を取るべきだと思いながら、そう命じることを躊躇した。
自分自身も含めて、何も考えずにただ機械のように脱出を目指すことで全員なんとか精神の正常を保っていたのだ。立ち止まった途端にそれが崩れるだろうと感じる。でもこれ以上はもう、精神ではなく肉体の方がもたない。
「……中隊長、大隊長ともに無事だが、現在地が分からない。扉に呑まれた者は全員同じ状況だと思う」
咄嗟に嘘を加えていた。感情を切り離して人形のように続けると、自分ではない別の誰かが話しているようだった。
「我々はここで待機する。次の指示まで罠を警戒しつつ食事を摂り、体を休めるように」
僅かな動揺があり、揺れる空気が微かに狂気を孕んだ。
質問はなく、指示を聴いた隊員達は無言で自分が腰を降ろす場所を見定め始めたが、ぎくしゃくとぎこちない動きが本当に機械仕掛けのようだった。全員が石の床に座り、荷物から携帯食を取り出すまでは、それでも静寂の中で進んだ。
だが。
突然一人が絶叫し、携帯食の包みを床に投げ付けた。狂気が堰を切り、伝播する。男の一人が体を床に打ち付け、一人が叫びながら駆け出した。わたしを含めた残りの男がはっとして二人を抑え込みに動く。叫ぶ力も残っていなかったのだろう。女性達はただ茫然と座ったまま、それを見ていた。
☩
「夜にならないんだな―――――――――」
それから長い時間が経ち、鞄を枕にしていたトラゴスが何もない天井を見つめて言った。
ずっと上の昼空のように見えるものはやはり空ではなく、どれだけ時を経ても色を変えることはなかった。上を目指しても外には出られないだろうと改めて思う。
騒動を抑え込んだ後は全員虚脱していた。
救助に向かえばここにいる九人さえ死なせてしまうだろう。
そこまでの時間にわたしは結論を出していた。
今のわたしであれば広大な迷宮の中に散った仲間を全員見付け出せたと思う。だがこの時のわたしには彼らの居場所の検討さえ付かなかった。
ここにいる者達だけでも生還させなければならない―――――――――――
断腸の思いでそう決めた。
この状況を予想していた者はいただろうか。
準備期間の乏しさや女性まで投入しようとする皇帝の方針に反対の声が上がってはいたものの、ここまでの犠牲を出そうとはおそらく誰も思っていなかった。迷宮の攻略で殉職者が出ることは皆無ではなかったが、稀だったのだ。
他の迷宮に比べれば危険度が高いだろう。その程度には予想していたが、恋人や家族と死を覚悟した別れなどわたしはして来ていなかった。恐らくほとんどの者がそうだっただろう。心の備えがなかった分だけ、衝撃は耐え難かった。
「………」
誰かが扉を開けるのを待っていた。救出を断念した代わりにそこに留まっていた。ここが最初の広間であるなら、罠を突破した人間はきっとここに戻って来るだろう。
昼の明るさのまま変わらない白い空間。だが本当はもう、その時点で深夜の筈だった。
交代で休みながら、二晩をそこで待った。
女性には余計に過酷だったと思うが、遮る物が何もない場所で互いの尊厳は守り難かった。食糧の問題もあり、永遠に待ち続けることは出来ない。
一日目の夜明け頃。
寝ているふりをして、周りに気付かれないように密かに、わたしはテイルとヴァリィに呼び掛けていた。
―――――――――――――反応はなかった。
「―――――――――――――――――――」
狂いたかった。
せめて叫びたかったのにここには身を隠す場所がなく、遮る物すらない。ただ体を丸め、歯を喰いしばった。
起床した時には感情も表情も消えていた。
二日を待っても扉を出て来る者はいなかった。
出発の準備を整えて、わたし達は扉を開けた。
§
人を助ける時、いつもどこかに贖罪の気持ちを持っていた。
記憶が鮮やかに甦り、苦しくなる。
あれから五百六十年が経ち、故国すら既にない。ずっと死を手に入れるためにここを目指して来た。
だが今は。
取り戻したい。自分の生を。
胸に収めた存在に手を当て、立ち上がった。




