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39. 迷宮の声

ここでうずくまっていたら、また失う。分かっているのに。


「………!」




アルト!!




突然、声が聞こえた。


――――――――――幻聴?


聞こえる筈がない声に驚いたその時、体が温かくなった。


「――――――――――――――――――」


誰かに抱き締められていると感じる。


そんな筈がないのに、確かに温かい。


震えが止まる。急にすべてが明瞭になって、地響きのような波音を肌と聴覚がはっきりと捕らえた。心が凪いでいた。他人事くらいに冷静に自分の状況が見えた。


「………」


心臓に手を当てる。全身温かかったが、そこが一番温度が高い。



「リスタ……?」



起きていることをどう考えればよいのか分からなかった。だが今は考えるより動かなければならない。


まだ間に合う。


数秒前まで動かなかった足に力が伝わる。それ(・・)を握り締めたまま立ち上がった。


入り口(そのばしょ)に立ったまま一度だけ周囲を見回し、人捜しの魔法も使った。


押し寄せる黒い塊と、その到達を静かに待つ森。宙に灯る蛍のような。いる筈もなかったが、そのひとの気配を見付けることはなかった。十四年、毎日のように捜した気配だ。見落としたりしない。


「………」


温度はもう消えていた。誰の声も聞こえない。理解し難かったが、考えている暇はなかった。時間の猶予は多分後数十秒しかない。


丘を取り巻くようだったは既に全部が頂上の高さに上昇していて、神殿の端を橙色に染めていた。建物の中心部では闇が勝っていたが、魔道具と円柱状の台座は見分けることが出来る。


「―――――――――――――――」


それは「小箱」でも「宝珠」でもなかった。


八つ目の魔道具は「夜の神殿」の中で、の色を内にたたええてきらめいていた。


八回目の失望に心を削られる。それでも足を踏み出し、速足でそこを目指した。ここまでの七回と同じであるなら、台座から魔道具を手で取らない限り、次の場所へは進めない。



「!!」



はっとして足を止める。手を伸ばす直前だった。



「………っ!」



危なかった。心拍数が一気に上がる。


「最後まで気を抜くな」と自分を戒める。


深く息を吸いながら、五百六十年越しに謎が解けたと思った。


最後のわながそこ―――――――――台座の足元に仕掛けられていた。落とし穴のように。


あの時、頂上の草地や石段に仕掛けられた扉は全て水平方向に動いていたから、神殿の中にいた自分達がどう扉に呑まれたのかよく分からなかった。



これだったのか―――――――



円柱の根本を囲む丸い「穴」。この穴が拡がるか動くかして、わたし達は恐らく下から呑まれたのだ。


呼吸を落ち着けて、改めて魔道具に向き合った。重く低い音がすぐそこに迫っている。もう時間ぎりぎりだ。


罠を踏まないように、慎重にその縁に立った。


そして白い敷物に載せられた八つ目に手を伸ばした。



『幻影を操る水晶玉―――――――――――――――


触れて念じれば、都市規模の範囲と人数に意のままの幻影を仕掛けられる』



透明な球体に触れると古代の言葉が頭の中に流れ込んだ。



その瞬間、足元のわなが消え、肌を打ち続けていた波音から重さが消えた。



さぁっ………



潮が引くような音をさせながら、水の壁が高さと勢いを失っていく。




「――――――――――――――――――――」




何かを想うもなかった。



自分の左に扉の大きさの四角い揺らぎが現れる。


新しい扉―――――――――――八つ目の罠を突破したのだ。


夜が静けさを取り戻して行く。


追い立てる様子はなかった。だからまず背中の鞄を降ろし、水晶玉を中に入れた。そして鞄を背負い直して神殿の外を見回した。


九つの柱の間に橙色のと森だけが見える。


本当に万に一つ、千万に一つの可能性の話で、リスタがここにいる筈はなかった。だが万が一を考えて、もう一度そのひとの気配を捜した。結局気配の欠片かけらも感じなかった時心の大部分はほっとしたが、失望も微かに感じた。リスタがこんな所にいたら大変なことになると言うのに。


胸の上に手を当てる。


あのままだったら、わたしは危なかった。


気持ちと考えの整理が付け切れなかったが、どれだけかかるか分からないその作業を待ってもいられない。


深く息を吸って吐く。


あの時進めなかったこの先は未知の場所だ。心臓に触れているそれに力を込めて、呼吸と覚悟を整える。きっとこの場所に戻ることは二度とない。


闇色の円形の空間を見つめる。それから五百六十年前の仲間達に黙礼した。


「―――――――――――――――――」


そうしてわたしは、次への扉をくぐった。



「え………」



一瞬だけ光に包まれた後()に映ったものに驚き、弾かれたように右を見やった。


円形の床を囲んで巨大な扉が等間隔に並んでおり、七つの魔道具が三つの扉の前に分け置かれている。


足から力が抜けて、右の膝を着いた。



最初の広間――――――――――――――――――



罠に呑まれたあの時と同じだった。


心をくじくのも勝負の内なのか、と思う。罠を突破しても同じ場所に戻されるとは。しかもたった一つ――――――――――魔道具をたった一つしか手に入れられなかった。



ʄ


五つ目の扉にすぐに向かう気になれず、座り込んでいた。


目の前に水晶玉がぽつんと転がっている。


二十七は九で割り切れる数だったが、二十七個の魔道具は九枚の扉に均等に割り振られてはおらず、魔道具の配置とリストの順番も無関係のようだった。四つ扉を制圧してまだ八個しか魔道具を手に入れていない。数のかたよりの分だけ残りの扉の制圧はきつくなるだろう。


あとどれだけ罠を突破すれば二つの魔道具を見付けられるのか。気が遠くなる。


「小箱」か「宝珠」を期待しては一目で失望する経験をもう八回繰り返している。


古代のある頃から魔法使い達は、形状と役割が推察出来る名前を魔道具に与えるようになった。その慣習はレベルゼとパウセの時代にはもう確立しており、のちの世にも引き継がれている。徹底的な合理主義者と思えるレベルゼは、その慣習をきちんと守っていた。


だから「人に若返りをもたらすからくり小箱」と「不老不死の解呪の宝珠」は、そういう見た目をしている筈だった。



ポケットから取り出したそれを見つめる。


「――――――――――――――」


リスタの声が聞こえた。だが外の世界と異空間である迷宮との間でやり取りをするのは、強力な魔法使い同士であっても難しい。あり得ないのだ。あの時、何が起こっていたのだろう。


リスタ―――――――――――――


白い布を口に当てる。


右隣の扉の前では、水鏡の黄金こがね色が鈍く光っていた。


会いたかった。でも何度見ても水鏡には、図書館の外観しか映らない。




ʄʄʄ


目が覚めるとまだ暗かった。


鼓動が速い。



アルト――――――――――――――



じっとしていられず体を起こした。


夢―――――――――――――――?



暗がりにアルトがうずくまっていた。たった独りで、何かに打ちのめされて。すぐそこに危険が迫っているのに立てないのだと思った。



アルト!!



必死に名前を呼んで手を伸ばした。



アルト――――――――今どこにいるの?


夢だったと信じ切ることが出来ない。あのひとはもう、迷宮に挑んでいるのでは。


闇が薄い。物の輪郭が辛うじて見える。もうすぐ夜明けだ。乗合馬車の始業時間には早過ぎるけれど、いても立ってもいられなかった。


馬車があるかは運次第で、金額は交渉次第になるけれど、ウルドエンド方向に向かう個人の馬車があれば乗合馬車より早く出発出来るかもしれない。


ベッドから急いで降りた。


昨日きのうは結局何も食べずに寝てしまったけれど、朝食も諦めた。


まだ宿の食堂もく時間ではなかった。


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