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38. 帝国魔法使いの最期と五百年の呪い

……三、四、五………あと五歩だ!


必死に前を見据えて歩を速めた。


『アルト!!』


テイルの思念が頭の中に響き渡る。思念通話でなければもう叫んでも聞こえ難い程、波音は重く轟いていた。


宙の明かりが届かない場所は闇に沈んでいるのに、押し寄せる巨大な固まりが闇よりも濃くて、地平線が黒くせり上がって見える。


迷宮に外の世界のような水源はない。この量の水をどうやって生み出して操っていると言うのか。人類史上最強の魔法使いの凄まじさを決定的に思い知らされて、全身から血の気が引いた。


そう意図されているのだろうが、迫る波の高さと丘の高さはほぼ同じに見えた。だが丘の頂上にいれば助かるかもしれないなどとは思えない。波にさらわれるか扉に呑まれるか、どうにせよきっと無事では済まないと勘で思う。


魔道具に―――――最低でも神殿に辿り着いていなければ恐らく「不合格」だ。でも波が到達する前に全員が神殿に入るのはとても無理だと思えた。


一体どうすればいい‼


極限の速さの思念通話を中隊長三人で交わした。伝え合ったのはもう言葉ですらなく、思念だけだ。最早誰が思い付いたのかさえ分からないが、わたし達三人は一瞬で結論を出した。


レベルゼの迷宮を制圧するために、この時帝国最高位の魔法使いが全員召集されており、それがわたし達三人と大隊長だった。


もしかしたらわたしはこの瞬間だけ古代の魔法使いに少し近付けていたかもしれないと時折思う。


体力も気力も限界を迎えていた筈なのに、体内から巨大な魔力が沸き上がり、ほとばしった。


帝国最高位の三人で張った保護魔法が丘を丸ごと覆う。


「前に続け!!」

「列を外れるな!!」


隊列の最後尾と中央、そして先頭に分かれていた三人で声の限りに叫ぶと、復唱の叫びがあちこちで上がった。


わたしが三段の階段を上りきったのは、激しい水音と叫び声の中だった。


その直後―――――――――――――――



どんっ!!!



水の塊が丘に到達し、保護魔法とぶつかり雷鳴のような音が轟いた。



「………!」



微かな震動が足に伝わる。衝撃が地面を揺らしていた。水の塊が丘を周り込み、ごうごうと森へと流れて行く。魔法の壁が水圧でビキビキときしんだ。わたし達の保護魔法はだが、波の重量に耐えていた。


転げそうな勢いで神殿に飛び込み、後ろを振り返った。


一人、二人―――――――――――――――隊員達が次々と続く。


「扉に触れるな!!前に続け!!」


叫びながら懸命に魔法を支えた。


パニックが起きていてもおかしくなかっただろう。だが帝国魔法使いとして訓練を受けた隊員達は全員自分を律しきり、列を乱さなかった。


間に合うかもしれない、と思った。


殿しんがりを務めているテイルまで、全員が神殿に辿り着けるかもしれないと。


神殿の中にいれば助かるという保証などなかったが、その外はもっと可能性が低い。


なんとか全員を、と思いながら水圧を必死に押し返し続けた。


その時。


ふと、先刻さっきより明るいと思った。


神殿の中まで明かりはほとんど届いていなかったと思うのに、床や柱がきちんと見える。丘を取り巻くように浮いていたがいつの間にか波をけて高度を上げており、結果として神殿の周囲にが増えていたのだ。


建物の外でだいだい色の火が目の高さに幾つも浮いていた。



と。



視線の先でふいに灯りが上昇を始めた。



「――――――――――――――――――」



ぞっとした。



レベルゼは分かっていたのだろうか。人間の心理すら巧みに読むレベルゼの、これも計算だというなら心底から恐ろしい。


灯りは次々と上昇し、神殿の屋根に阻まれて見えなくなった。だが上空が朱く染まり、がまだそこにあるのだと分かる。


地面を覆い尽くす水と、上空の沢山の火。


心の深い部分に刻まれた傷は、理性や理屈で制御しきれないことがある。


最初の罠を再現する光景に凍り付いた。


恐怖で平静を失ったのはわたしも同じだ。


意思の力で抑え込むことが出来なかったのだと思う。数人の隊員が列を乱すのが見えた。



「――――――――――――――――」



駄目だ!



叫ぼうとしたが間に合わなかった。



次の瞬間。



暗闇も波の轟音も消えた。



叫ぼうとしていた声が喉の奥に貼り付く。口を開けたままそこで固まった。



自分が見ている物が一瞬理解出来なかった。



わたしは光が差す広い空間に立っていた。



§


ほとんどの仲間とそれが永遠の別れとなった。


わたしがもっと急いでいれば。時間に制限があると気付いていれば。あれから幾度そう思っただろう。


「自分を責めるな」「お前のせいではない」


多くの人にそう言われたが、中隊長だった自分の責任は皆無ではない。罪の意識は今も胸の底に重くわだかまっている。


「――――――――――――――」


石段を見上げる。残り数段だった。夜風が体を包み、森が騒めいている。


解呪を目指し続けた六百年近い歳月。


本当は呪いを解くだけでなく、仲間達のかたきとして迷宮を完全制圧したいと密かに願い続けていた。


でも今は。


胸に手を当てる。


「ごめん……」


小さな声で仲間達に謝った。


今は迷宮の制圧より、絶対に生きて帰りたい。


丘の頂上に到達し、草地を歩く。


五百六十年前より遥かに早く罠を突破して、わたしは神殿の階段に足を掛けた。


三段の階段を上る。九本の柱に支えられた空間を見渡すと、薄闇の中央に魔道具の台座が微かに見えた。

今度こそ求めている魔道具かもしれない。緊張に心身が強張るのを感じながら、遂に神殿に一歩を踏み入れた。




「――――――――――――――――――――――――――――」




その場に膝を落とした。



体が震え、声がなかった。



あの時には気が付かなかった。



首筋に触れた微かな風。





ここだ。





わたしはここで、五百六十年の呪いに掛けられたのだ。





呪いで失ったたくさんのものが一気に胸に甦り、波となって押し寄せる。


その場所がもし分かったら、平静でいられないかもしれないと想像しなかった訳ではないのに。想像していたよりきつかった。


あの時この場所さえ通らなければ。どんなに思っても取り戻しようがないことを思う。


伏せてしまわないよう床に右手を着いたが、立てない。


「最初の一人」だけに掛かる呪いだったのだと、自分一人が呪われたからくりを今更知った所でどうすることも出来ないのに。



「ふ――――――っ」



呼吸が浅くなりだして、無理矢理深く息を吸うことを繰り返した。何度も。


この場所を破壊したい衝動に駆られる。


でも駄目だ。


まだ目的を果たしていない。


視線を落とす。膝の上に握り締めている自分の左手が見えた。




ごうっ……




低く唸るような音が聞こえてはっとする。



!!



あの時よりずっと早く罠を突破している筈なのに。もう来るのか………?!




やっぱり前回と同じようには進行しないのだ。挑戦者を見ているかのような変化に戦慄を覚える。




動揺を鎮めなければ魔法を使えない。だが足に力が入らず、立ち上がることさえ出来なかった。




何をしてる。立て――――――――――――――――!




波が迫る音が震動となって肌を打っていた。


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