33. 遠視の水鏡
縁に優美な装飾が施された青銅の器。
その魔道具の誘惑に抗えなかった。
美術品のようなその器を、水を生成して満たした。
魔道具は魔力を持つ者が触れると、創造者がそれに与えた名前と使い方が分かるようになっている。
「遠視の水鏡」は器を水で満たして魔力を注げば、世界中の景色をそこに映し出せる魔道具だった。それだけではなく、顔を浸けて覗き込めば表面に映っていない部分も見渡せる上に、温度や匂いまで感じ取ることが出来るらしい。
「水鏡」が屋内の景色は映さないと分かった時は少しほっとした。レベルゼですらさすがにまずいと思ったのかどうか。
こんな物、人手に渡ればどんな使い方をされるか知れたものではないだろう。
レベルゼの魔道具はやはり格違いだった。
魔道具を一つ獲得する度、その圧倒的な力に心臓が冷たくなり寒気のようなものを覚える。
「………」
気圧されないように気を持ち直した。
「遠視の水鏡」を改めて見つめる。ようやく呼吸が落ち着き始めていた。
レベルゼの魔道具は幾つか現存している。古代の魔法使いは魔道具の見映えにもこだわり素材にも金を惜しまなかったが、特にレベルゼの魔道具は美術品としての評価も高かった。後の世代の魔法使いにとっては古代の魔道具、とりわけレベルゼの魔道具は、目指すべき見本であり憧れであり続けた。
レベルゼは確かに、不世出の天才ではあったと思う。
ここまで獲得した魔道具もどれも芸術作品のようだった。
優雅に輝く楕円の器に魔力を注ぐ。
望みの場所を念じると、水面が微かに波立った。そして黄金色の器の中に、ふいに街角の景色が現れた。
「……!」
映った景色の鮮明さに息を呑んだ。レベルゼの魔力と技術が偉大であることだけは認めざるを得ない。
複雑な思いを抱きながら自分を支えてくれた人達のいる場所を一つ一つ映した。屋内は見えないし、今この瞬間に家にいるのかも分からない。姿を見られれば嬉しかったが、探して回ることまではしなかった。
最後から三つ目に、オーディーの家族が今いる街を念じた。
「―――――――――――――――」
姿を見ることは出来なかった。でもオーディーと一緒に、長年わたしの傍にいてくれた一家だった。この十四年の間には、それぞれが何度かミラトルを訪ねてくれてもいる。みんなわたしの年齢を追い越して行ってしまったが、彼らもわたしの家族だったと思う。
そして最後から二つ目の場所としてミラトルの家を思い浮かべた。
水の中に大きな家が建ち並ぶ石畳の道が映る。それが家の近所であることはすぐに分かった。
望む場所の位置を正確に思い描くことが出来れば、水鏡はその正確性に応じた働きをした。右へ左へと頭の中で想像すると、鏡の中の景色もまるで今そこを歩いているかのように動き、すぐに家へと辿り着いた。門番達の姿が見える。
念じると視点が動き、屋敷を高い位置から見降ろせた。
オーディーの姿だけは探したかった。だが彼が都合よく庭に出ているようなことはなかった。
彼がいそうな場所に当たりを付け、屋敷の窓を探してみる。
窓の中は見えてしまうのか……
なんとも言えない思いだったが、今だけは窓の中を見て回った。
そしてダイニングルームの窓を覗いた時にオーディーの姿を見付けた。ちょうど部屋を出ようとしている所だった。
オーディー!
胸の中で叫んでいたが、こちらの声は届かない。廊下へと出て行く彼の姿を、ただ水鏡越しに見送った。
「――――――――――――」
四十年、自分を支え「終わり」に寄り添ってくれたオーディー。
どれだけお礼を言っても足りなかった。
呪いを解き、「小箱」を手に入れ望みを叶えることが出来たら、真っ先に知らせたい相手はオーディーだ。
次が最後。
魔法図書館。
世界中の地図に標されているその場所は、少しのずれもなく一度で映し出すことが出来た。
水路の中に建つ灰紫色の建物。五つの橋を、今日も大勢の人達が渡っていた。
魔法図書館の沢山の窓は外の世界には繋がっていないため、水鏡で見ることは出来ない。リスタの姿を見るのは不可能だった。
リスタ―――――――――――――――
思わず水面に手を伸ばす。苦しいくらいに逢いたかった。
水に浸けると手が温かかくなった。掌に風まで感じる。
ミラトルの温度と空気と分かってはっとする。
「―――――――――――――」
リスタ。
図書館に向かって語り掛けた。
必ず帰る。
そう告げて水鏡から手を上げた。風を感じていた手は濡れもしていなかった。
立ち上がり、胸ポケットを握り締める。水鏡の中見えた景色や姿に励まされていた。
四つ目の扉へ向かって歩き出す。
五百六十年前、爆発の後には方向などもう全く分からなくなっていた。
だからあの時逃げ込んだ扉がどれなのか分からない。その扉にはまだ行き当っていなかった。




