29. 灼熱の迷宮
ばしゃんっ!!ばしゃっ、ばしゃっ!
悲鳴が上がる。
唐突に、足の下が池となった。ほぼ全員が落下して、半数は頭の上まで水に浸かった。
「がっ!がはっ!」
すぐに全員浮上したが、落水した者はかなりの水を飲んでしまった様子で激しく咳込んだ。完全に濡れなかった者はおそらく一人もいない。わたしも膝下まで濡らした。
宙に上がって見降ろすと、床だった場所の全てが水に変わっていた。極度に透明度が高い水だったが底が見えないくらいに深い。
「……!」
油断した。
もう始まるとは思っていなかった。
リストの提示が終わった時点でいつ仕掛けられてもおかしくなかったのに。魔道具と魔法の罠と対峙するのは九つの扉の向こうだろうと、どこかで思い込んでしまっていたのだ。
「保護魔法を展開しろ!!」
「保護魔法!!」
総隊長も、中隊長として三十一人を任されていたわたしも怒号を上げていた。
保護魔法は魔法の干渉や衝撃を遮断する、透明な魔法の膜だ。どこからどんな攻撃が来るのかまるで予想が付かない状況で、取り敢えず身を守るよりなかった。各自に自分の体を覆う保護魔法を展開させる。
落下の混乱で自分の隊員の位置を把握しきれなくなっていたが、今はそれどころではない。
巨大な水甕と化した場所を見降ろしながら、その水にどんな罠が仕掛けられているのか思考を急いで巡らせた。
と。
突然頭上に熱を感じた。
空を見上げる。
わたしは全体を見渡すために高い位置まで上がっていた。同じようにしている者が他にも何人かいたが、わたしより上にはその時誰もいなかった。だからその光景の全てが見えた。
丸く切り取られた空に白く光る球が幾つも浮かんでいた。
まだ距離があるのに、保護魔法越しなのに熱い。
異常な高温に恐怖と危機感を覚える。
まさかあれが降り注いで来るのか。
「最大強度―――――――――――――――!」
最大強度の保護魔法を、と言おうとしたが、言い終えない内に光は放たれた。
保護魔法を破られる者がいるかもしれない。
この場にいる者の中で一番強力な保護魔法を張れるのは自分だった。円の内側一杯に膜を張り、光球と自分達の間を遮断しようとした。だが、光の方が速かった。
「!!」
よけた……?
光球が凄まじい速さで自分の横を通過して行ったその刹那、違和感を覚えていた。
わたしが拡げた魔法の膜は、まだ巨大な円の半分も覆えていなかった。あの直撃に耐えられたのかは未知数だったが、それでも全てが直に下に降り注ぐことは防げただろうと思う。だが今光の球は軌道を変えて、わたしの保護魔法の横を摺り抜けて行った。
あの光球は何を目指している?
人間を狙っていないのではと思ったのは、一秒もない短い時間だった。
その直前に数人が高度を下げたのを気配で感じ取っていた。
だが下へと逃げてはいけなかったのだ。
次の瞬間円筒の底で爆発が起こり、体が上へと吹き飛ばされた。
灼熱の蒸気に遥か上まで飛ばされ、落下を始めた時には、円筒の底は硬質の床に戻っていた。
§
宙から地面へとゆっくりと降り立った。
無人の広間に自分の足音だけが微かに響く。五百六十年前の惨劇などなかったかのように、白大理石の床は輝いていた。
何もかもあの日のままだった。
九枚の巨大な扉と白い壁。果ての見えない空。
迷宮の中だ。
五百六十年目指していた場所。
だが。
「………」
祭壇を見つめながら胸に手を当てた。
ここに来た理由は今は変わってしまっていた。
そして最初の儀式が、音もなく始まった。
宙に綴られる黒い文字。
大きく流麗な筆致は、もしかしたらレベルゼの筆跡なのかもしれない。
海を割る刀
風を操る手袋―――――――
順番さえ覚えている。
リストの七つ目と二十一個目にそれは示された。
―――人に若返りをもたらすからくり小箱
―――不老不死の解呪の宝珠
「………」
この迷宮の全容を、わたしは把握していない。
あの時一つの魔道具も見付けられない内に――――――ほとんど何も探査できない内に、部隊が壊滅したからだ。この迷宮のどこを探せば二つの魔道具を見付けられるのか、どこにどんな罠があるのか、だから全く見当が付かない。
今のわたしならレベルゼの罠と渡り合えると思ってはいるが、生還出来る確信などありはしなかった。でもあと五百年掛けたって、そんな確信を持てる日は来ない。
ここで死ぬことだけは許せないが、だがどこかの時点でわたしは決意しなければならなかったのだ。
―――――――幻影を操る水晶玉
リストが最後に達する。
リストと祭壇が消えるのを見ながら少しだけ浮上した。
白大理石の床が足の下で唐突に消える。
空を見上げて待った。
やがて上空に強烈な熱源が生じた。
これだけはレベルゼにとっても想定外だったのではないかと思う。
わたしの体は25歳で変化を止めていたが、一つだけ成長を続けたものがある。
時が過ぎる程に魔力は増えて行ったのだ。
ゆっくりと少しずつ、五百六十年を掛けて。
ʄʄʄ
突然、胸に射抜かれたような衝撃を感じてよろめいた。
「大丈夫ですか?!」
近くにいた女性が体を支えて下さった。乗合馬車の窓口に並ぶ長い列の中だった。周囲の人達も騒めいて、声を掛けて下さる人もいた。でもすぐには返事も出来ない。
今のは何……?
痛みはない。一瞬何かを感じただけ。
アルト………?
体が震えだす。アルトに何か起きている気がした。




