26. 最強の魔法使いの迷宮
その周囲だけ木がなかった。
広場を見降ろす神殿のような姿。
盛り土の上に佇む白大理石の建物。壁はない。九本の柱に支えられた白い丸屋根。
成長が抑制されている――――――――――――
苔と羊歯に薄く覆われているだけの地面を見て、二千年以上綻びることなく保たれた魔法の凄まじさを改めて突き付けられる。
この寒気が気温のせいなのか、自分でも分からなかった。
迷宮の中は創造者の魔法がほぼ永続的に維持される特殊な場所だ。
だが外の世界は違う。
外の世界では予測不能な変化が生じ続ける。誰かが一本の柱を壊したとかそんな些細な、だが予想外の事象に対応出来なかったために魔法の回路が崩れて、街じゅうの機能が停止してしまうこともある。迷宮の外に構築された魔法が二千年もの間、一度の修繕もなく継続するのは普通のことではなかった。
「リスタ――――――――――――――」
微かに震えていた。
左手を胸に当てる。ハンカチの下で心臓が脈を打ち、温かかった。
生きているのだ、と思う。呪われた体でも心臓は動いていて、血が流れている。
この命を捨てたりしない―――――――――わたしは死ぬためにここに来たんじゃない。
ポケット越しにハンカチを握り締め、ふぅーっ、と長めに息を吐いた。
震えが止まる。
顔を上げ、白亜の神殿に向き直った。
足を踏み出す。柔らかな地面は静かに沈み込んだ。冷気に包まれ、頬が冷たくなって行く。
ここに来るのに五百年以上掛かった理由はもう一つある。
本当はそっちの理由の方が大きい。
「永遠の地獄」に落とされるのは恐怖だが、レベルゼがそんな罠を仕掛けている可能性は低いと実は考えている。
絶対にないとまでは言い切れない。
だがレベルゼは魔力が低い者を虫けら程度にしか思っていない人間ではあったが、人や生き物を無意味に苦しめて愉しむ性質は、恐らく持ち合わせていなかった。
だからただ死ぬためなら本当は、さっさとここに来ていれば疾うに叶っていたのかもしれない。
だがどれだけ「終わり」に焦がれても、わたしはそれだけはしなかった。
血を吐きそうに「終わり」を望んでいても、レベルゼの迷宮で死ぬことだけは許せなかったのだ。
これはわたしの意地だ。
白大理石の階段が九段、小さな丘に連なり「神殿」へと続いていた。踏み面の広いその階段をゆっくりと登る。
コン……
広い空間に足音が響く。
五百六十年挑めなかった場所にわたしは遂に立った。
ʄʄʄ
「アルト――――――――?」
足を止めて慌てて周囲を見回した。
行き交う大勢の人達で辺りは騒めいていた。
鉄道の駅から乗合馬車の駅までの道は人通りが多かった。鉄道はウルドエンドまでは続いていなかったのでここから先は徒歩か馬車で進まなければならず、わたしは乗合馬車の駅へ行こうとしていた。
混雑はしているけれど、誰とも体が触れたりしていない、と思い直す。
なのになぜだろう。
今アルトがわたしに触れた気がして―――――――――――――――
でも見回してもそのひとの姿はなかった。




