16. 魔女に届く手紙
「アルト様……」
まだ薄暗い早朝の玄関に立っていたのは、わたしと旅装をされたアルト様だけだった。
出発を突然に早められたアルト様はミラトルとの雇用契約も既に解除されていた。
―――――――――三十九年お仕えした。
「―――――どうか無事でお戻り下さい」
そう申し上げると、その方は小さく微笑まれた。
五百六十年続いた呪いを解く魔道具。遂に手にしようとされているが、生きてお戻りになれるかは分からない。
いざと言う時の各所への連絡や財産の後始末を託されているわたしは、この旅にお供することが出来なかった。
「アルト様―――――――――。リスタ様には」
発とうとする方に尋ねた。
万一の場合には、その方に届ける文書や品物もお預かりしている。
会わずに行かれるのかと。
「手紙だけ届けて行く」
現代最強の魔法使いは、静かな微笑みを浮かべそう仰られた。
ʄ
「リスタさん」
赤いジャケットの係員に呼び止められて白い封筒を渡された時、心臓が跳ねた。受け取ると、封筒の右下に予想通りの名前が書かれていて息が苦しくなった。
まさか。
手紙を持ち、誰もいない書棚の間に駆け込む。まだ開館したばかりの時間で、辺りには今日の持ち場が一緒の同僚しかいなかった。
懸命に震えを抑え、封筒の端を手で千切る。
二つ折りにされた便箋を開くと目にした文の短さに胸が苦しくなった。どんな言葉も違うと彼は思ってしまったのかもしれない。用件以外の全てを削ぎ落してしまった短い手紙。
「しばらく魔法図書館には行けませんが、必ず帰って来ます」
たったそれだけ。
膝から崩れ落ちる。
行かないでアルト!
声もなく叫んでいた。
なぜ昨日扉を出なかったの。
何度も思っていたのに。
扉を出て行くアルトを見送りながら一緒に行きたいと。
アルトが見ている景色を見たいと、アルトが暮らしている場所を見たいと、何度も思っていたのに。
アルトを魔法図書館に閉じ込めてはいけないと思っていた。アルトなら呪いの話を聞いてなお一緒になりたいと言う女性が一杯いる筈だと思っていた。
でも違う。
それだけじゃなかったと今気付く。
わたしは自分を守っていたのだ――――――――――――もう二度とあんな思いをしたくなくて。
今追い掛ければ間に合うかもしれない。そう思い至った瞬間、弾かれるように立ち上がり、走り出していた。
すぐにも外に出たい気持ちを堪えてわたしが向かったのは自分の部屋だった。
もどかしくて堪らなかったけれど、制服を着たままだと魔法の拘束で橋を渡れないと知っていたから。
数万人に及ぶ魔法図書館の職員には全員に自分の部屋が与えられていて、そこが魔法図書館に来た時に持っていた物を置いておく場所だった。魔法で創造される部屋は職員の数が増えると自動的に増えた。
気持ちが焦る。職員の部屋のエリアだけでも広大だから、空間転移の扉を数回通らなければ自分の部屋に辿り着けなかった。
最後の扉に飛び込むと、長い廊下が現れた。左側に格子窓、右側に番号が振られた扉が延々と並ぶ細い通路。開館時間を過ぎていたから当たり前だったけれど、廊下に誰もいなくて少し驚いた。
五百年見慣れた筈の場所が知らない場所のように見えて少しだけ寂しくなった。
わたしはもうここには戻らない。
1001番。駆け寄って、その部屋の扉を開けた。




