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灰燼年代記  作者: kira
第一部 「鎖と刃」
18/21

二章「神なき神殿」 一話「家畜の行方」

家畜の行方



選別された者、約三十人。


それが、彼らの全てだった。

名ではない。数でもない。

ただ、まとめて扱われるための呼称。


鎖がつながれた。

一人ずつではなく、列として。

逃げるための形ではない。

運ぶための形だった。


「歩け」


それだけが命令だった。

行き先は告げられない。

問いも、意味を持たない。


レオンは、前の背中との距離だけを見ていた。

顔ではなく、間隔。

声ではなく、鎖の重さ。


誰の隣にいるかより、

どの位置に置かれたかだけが、身体に残った。


歩く。

止まる。

また歩く。


道は続いた。

森を抜け、石の多い土地を越え、

乾いた風の吹く平原を進んだ。


夜になると、野営した。

焚き火が組まれ、

質素な食事が配られた。

硬いパンと、薄い汁物。


毛布は、一人一枚。

地面は冷たかったが、

眠ることは許された。


見張りは御者たちだった。

怒鳴られもしない。

殴られもしない。


前いた場所より、

ずっと“まし”だった。


だからこそ、

少しだけ、身体が緩んでしまった。


途中で、歩けなくなる者が出た。


膝が折れ、

息が乱れ、

それでも立とうとして、何度も身体を揺らした。


御者が来た。

何も言わず、鎖を外し、

その身体を馬車に乱暴に放り込んだ。


配慮はなかった。

ただ、放り込んだ。


身体が馬車の床に打ちつけられる音がした。

その音が、すぐに遠ざかった。


列は、そのまま進んだ。


誰も止まらない。

誰も振り返らない。


レオンは、馬車に乗せられた者を見て、

胸の奥に浮かんだ言葉に、自分で驚いた。


――価値が、下がった。


「捨てられなくて良かった」ではなかった。

「生き延びて良かった」でもなかった。


歩けなくなった。

それだけで、扱いが変わった。


周囲を見回すと、

誰も口には出さなかったが、

同じ考えに触れているような沈黙があった。


きっと、他の皆も同じことを思ったのだろう。

そう思った瞬間、

列の空気が、少しだけ固くなった。


緊張が、目に見えない形で増していった。


それを、

自分が“価値の変動”として見てしまったことに、

遅れて、かすかな気持ち悪さが生まれた。


だが、その感覚は、

次の一歩を出すことで、すぐに薄れた。


歩くことの方が、優先だった。


列の中に、リュカがいた。


同じ鎖につながれている。

同じ速さで歩いている。


だが、近くにいるはずなのに、

距離は、前よりも遠く感じられた。


彼女が変わったのか、

自分の見方が変わったのか、

どちらかは分からなかった。


ただ、

声をかけたい、という衝動が、

もう生まれなくなっていることだけは、はっきりしていた。


数日の後、建物が見えた。


白すぎず、黒すぎず、

豪華でも、みすぼらしくもない。


古い石を積み、

長く使われてきた形をしている。


何のためにあるのか、ただただ大きな建物。


処刑場にも見えない。

救済の場にも見えない。


だからこそ、

何のための場所なのかが、分からなかった。


門の前に、人が立っていた。


御者とは違う。

声の出し方も、立ち方も、視線の置き方も違う。


整った服。

無駄のない動き。

そして、驚くほど柔らかい声。


「ようこそ。お疲れでしょう」


その言葉は、

道中の命令よりも、ずっと異質だった。


御者は、いつも通りの調子で、

何も言わずに列を止める。


声が柔らかい。

動作が丁寧だ。

触れ方が、“人”に向けられている。


レオンは、

御者の態度との違いに戸惑った。


さっきまでの粗雑さと、

今の丁寧さが乖離しすぎて、

頭がうまく受け取れなかった。


引き渡しが終わると、

御者は何も言わずに去っていった。


足音が遠ざかり、

静けさが広がる。


その静けさの中で、

大人たちは、変わらぬ声色で言った。


「まず、身体を清めましょう」


連れて行かれた先には、湯気があった。

風呂だった。


村でも、

こんなふうに湯に浸かれたのは、

数えるほどしかなかった。


ましてや、

自分の意思とは関係なく、

“用意された風呂”に入るのは、初めてだった。


湯は熱すぎず、ぬるすぎず、

皮膚の上で静かに広がった。


汚れが落ちていくのが、

目に見えて分かった。


鎖の跡。

土の色。

汗と埃。


それらが、

湯の中にほどけていく。


身体が軽くなるたび、

頭の中まで、少しずつ白くなっていく気がした。


次に渡されたのは、服だった。


つぎはぎではない。

破れてもいない。

誰かの古着ではあるが、

ちゃんと“服”の形をしていた。


村では、

何度も縫い直した布を着ていた。

ほつれを、母が何度も指でなぞっていた。


それを思い出す前に、

新しい布の感触が、指先に残った。


食事も出た。


豪華ではない。

だが、量があった。


皿が空になるまで、

誰にも止められなかった。


腹が満ちる、という感覚を、

久しぶりに思い出した。


比べものにならないほど“まし”だった。


いや、

“まし”という言葉では足りなかった。


良すぎた。

優しすぎた。


声は荒れず、

命令は少なく、

拒まれることもない。


皆が笑顔で、

静謐で、

平和が満ちている。


それが、

どこかおかしいはずなのに、

レオンは、まだそうとは思えなかった。


身体が温かく、

腹が満ち、

布が肌に馴染んでいる。


それだけで、

心が勝手に緩んでしまった。


「恐怖」という言葉が、

浮かびかけて、消えた。


怖さよりも先に、

安心が来てしまったからだ。


ここは、

外よりも、

ずっと“優しい”。


そう感じてしまった自分を、

まだ疑うことができなかった。


彼らは、

旅をしてきたのではない。


運ばれてきたのでもない。


ただ、

行方を決められただけだった。


どこへ来たのかは、まだ分からない。

だが、

「戻る」という言葉だけが、

少しずつ、身体の中から遠ざかっていた。


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