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灰燼年代記  作者: kira
第一部 「鎖と刃」
16/21

一章「幸福の価値」 二話「幸甚の秤」

幸甚の秤



朝か夜かは、分からなかった。


ここでは、光が時間を示さない。

天井の裂け目から落ちてくる薄い明かりは、ただ「見える」という最低限の条件を満たしているだけで、始まりも終わりも告げなかった。


鎖が鳴る。


誰かが立たされる音。

誰かが倒れる音。

誰かが戻ってこない沈黙。


それらは順序立てられず、意味づけもされないまま、同じ空間に積み重なっていく。


レオンは、床に座らされたまま、それを聞いていた。


足首の鎖は外されている。

だが、自由になった感覚はなかった。


立て、と言われれば立つ。

座れ、と言われれば座る。


鎖がなくても、身体はすでに命令を待つ形に出来上がっている。


視線の先に、列があった。


人の列だ。

だが、並んでいるのは人ではない。


大きさ。

姿勢。

目の動き。

息の乱れ。


それらが、順に見られていく。


声は少ない。

質問もない。

あるのは、指差しと、短い合図だけだ。


「次」


その言葉が落ちるたび、列の形が変わる。


誰かが前に出され、

誰かが脇へ寄せられ、

誰かが消える。


理由は、示されない。


レオンは、自分の番を待ちながら、床を見ていた。


石の色。

削れた跡。

染みついた黒ずみ。


何度も洗われ、

それでも落ちなかった痕。


それが何かを考えるのを、途中でやめた。

考えたところで、意味はない。


代わりに、胸の奥で別の感覚が動いていた。


――測られている。


重さではない。

力でもない。


もっと曖昧で、もっと残酷なもの。


生きたいと思う強さ。

壊れずに立っていられる限界。

まだ泣けるか、もう泣けないか。


そういうものが、見えない秤に乗せられている。


名前のない秤。

慈悲のない秤。


それでも、人はそこに置かれる。


「前へ」


声がかかった。


レオンは、顔を上げた。

初めて、視線が合う。


見ているのは、人ではなかった。


目はある。

声もある。

だが、その奥に、測る以外の意志がない。


秤そのものだ。


立たされる。

肩を押される。

顎を持ち上げられる。


抵抗する理由は、もう残っていなかった。


痛みはない。

殴られもしない。


それが、かえって怖かった。


壊す必要がないと判断されたからだ。


「――」


何かが記された。

板か、紙か、それすら分からない。


合図が出る。


レオンは、脇へ動かされた。


列の一部が、分断される。


こちら側。

あちら側。


数が、違う。


こちらは、少ない。

あちらは、多い。


少ない方にいることが、何を意味するのか。

考える前に、身体が理解していた。


生き残った。


その事実が、胸の奥に沈む。


喜びは、ない。

安心も、ない。


あるのは、重さだけだ。


なぜ自分なのか。

なぜ、あちらではないのか。


理由は与えられない。


与えられないからこそ、

人は勝手に意味を作る。


強かったから。

壊れなかったから。

使えるから。


そう考えた瞬間、

胸の奥で、何かが静かに崩れた。


生き残った理由が、幸福ではなく、

価値として処理されたと理解したからだ。


幸福は、選ばれない。

価値だけが、残る。


それが、この場所の秤だった。


レオンは、無意識に周囲を見回した。


探しているのは、人影。

ここにいるかどうかも分からない、

あの細い輪郭。


だが、視線が触れるたび、

違う、という感覚だけが積み重なる。


呼ぶことはできない。

呼べば、ここでは音になる。


音は、価値を下げる。


だから、黙る。


黙ったまま、探す。


それが許されている唯一の行為だった。


やがて、秤は片付けられる。


選ばれた者たちは、別の場所へと連れて行かれる。


背後で、何かが閉じる音がした。


重い。

だが、鎖よりは軽い。


レオンは、歩きながら思った。


――生き残ったことに、値段がつくなら。

――その支払いは、きっとこれからだ。


幸福は、もう測られない。


測られるのは、

どこまで壊れずに使えるか。


それだけだった。


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