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灰燼年代記  作者: kira
プロローグ
14/21

灰が名を奪う刻

灰が名を奪う刻


最初に聞こえたのは、音だった。


 雷にしては低すぎる。

 地鳴りにしては、近すぎる。


 眠りの底から引きずり上げられ、レオンは跳ね起きた。

 家が揺れている。壁が軋み、天井から埃が落ち、何かが割れる音が連続して鳴った。


 外から、声が流れ込んでくる。

 怒号とも悲鳴ともつかない、意味になる前の音だった。


 父が立っていた。

 すでに剣を手にしている。


「外へ出ろ」


 短い命令だった。

 母が何か言おうとしたが、父はそれを遮り、レオンの肩を強く押した。


「走れ」


 それが、父の最後の言葉だった。


 突き飛ばされるようにして、レオンは外へ転がり出た。

 冷えた空気を吸い込んだ瞬間、背後で轟音がした。


 振り返ると、家の壁が崩れていた。

 内部から炎が噴き出し、熱が肌を刺す。


 中が、一瞬だけ見えた。


 母がいた。

 逃げようとして、足をもつれさせ、転んでいる。


 その背後から、鎧の影が迫った。


「母さん!」


 叫んだ瞬間、父が割って入った。

 剣を受け止め、身体で母を庇う。


 次の一撃が、父の腹を貫いた。


 湿った、潰れるような音がした。


 母の悲鳴が上がる。

 だが、それは途中で途切れた。


 レオンは立ち上がろうとした。

 戻ろうとした。


 だが、背中に衝撃が走った。

 誰かに突き飛ばされ、身体が前に投げ出される。


 地面を転がり、息が止まる。

 起き上がった時、家はすでに炎に包まれていた。


 もう、中は見えなかった。


 戻る場所は、消えていた。


 周囲では、音が重なり合っていた。

 金属がぶつかる甲高い音。

 そのあとに続く、鈍く、湿った破裂音。


 誰かが笑っていた。

 短く、愉悦を含んだ笑いだった。


 空気が重い。

 煙だけではない。恐怖と熱と血の匂いが混ざり合い、肺の奥まで張り付いてくる。


「逃げろ!」


 その声は、断末魔に変わった。


 レオンは走った。

 どこへ向かっているのかは分からない。

 止まれば死ぬ――それだけが、身体を動かしていた。


 衝撃。


 背中から地面に叩きつけられる。


 剣が振り下ろされる音がした。

 反射的に腕を上げる。


 鈍い感触。

 重さ。


 自分の腕が、自分のものではなくなった感覚だけが残った。

 痛みは、なかった。


 煙の向こうに、リュカがいた。


 倒れた誰かの影に隠れるように、地面に座り込んでいる。

 顔は煤で汚れ、目だけが異様に大きく開かれていた。


 目が合った瞬間、彼女の口が動いた。


 声は届かない。

 それでも、名前を呼んでいると分かった。


 レオンは、動こうとした。

 身体が、言うことを聞かなかった。


 折れた腕が垂れ下がり、視界が揺れる。


 次の瞬間、鎧の影がリュカを覆った。


 腕を掴まれる。

 彼女は抵抗した。


 爪を立て、噛みつき、叫んだ。

 声が裏返り、息が裂ける。


 必死だった。

 生きるための抵抗だった。


 だが、力の差は、最初から存在していなかった。


 身体が引きずられる。

 地面に膝を打ちつけ、血が跳ねる。


 それでもリュカは、手を伸ばした。

 レオンの方へ。


 指が空を掻く。


 届かない。


 鎧の影が、その腕を叩き落とした。


 鈍い音。

 小さな身体が、地面に転がる。


 声が、途切れた。


 レオンは、叫ぼうとした。

 喉が、音を拒んだ。


 守ると言った。

 行かなければならなかった。


 だが、出来なかった。


 見ることしか、許されなかった。


 視界の端で、村が燃えていた。

 昨日までの世界が、音を立てて崩れていく。


 理解は、最後まで追いつかなかった。


 煙が濃くなる。

 息を吸うたび、胸の奥が灼ける。


 足元の感覚が、消えていく。


 身体が、前へ倒れたのか、

 それとも世界が落ちてきたのか――分からない。


 視界が、暗くなる。

 端から、ゆっくりと。


 炎の色が失われ、

 音が遠のき、

 思考が、沈んでいく。


 最後に残ったのは、

 闇だけだった。



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