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灰燼年代記  作者: kira
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13/21

月下の約束

月下の約束


 夜は静かだった。

 昼の熱を失った空気が、ゆっくりと村を包み込み、虫の声だけが規則正しく続いている。遠くで犬が一度だけ吠え、また世界は元の静けさに戻った。


 レオンとリュカは、村外れの小さな丘にいた。

 昼間は羊が草を食むだけの、名前もない場所だ。それでも今夜は、二人にとって特別だった。理由はない。ただ、ここに来るのが自然だった。


 並んで座ると、肩が触れた。

 どちらも意識したが、離れなかった。近すぎて落ち着かないはずなのに、その距離が正しいと、身体のどこかが知っていた。


 リュカは楽しそうに笑い、今日あったことを話し始めた。

 昼間にも話したはずの内容だったが、レオンは何度でも聞けた。声の調子、言葉の選び方、笑うたびに少しだけ揺れる髪――それらがそこにあることが、何よりも嬉しかった。


 レオンは、その感情に名前をつけたことがなかった。

 リュカがそばにいると、胸の奥が軽くなる。沈黙が続いても不安にならず、世界が静かに整う。それは当たり前すぎて、失うという発想そのものがなかった。


 リュカも同じだった。

 レオンがいると、理由もなく安心した。嫌な夢を見た夜も、眠れなかった朝も、彼の声を聞くだけで大丈夫だと思えた。未来を考えることはなかったが、今日が続けばいいと、疑いなく信じていた。


 好きだという言葉は、まだ二人には重すぎた。

 けれど、同じ景色を見て、同じ時間を生きているという感覚だけで、それ以上の説明はいらなかった。


 しばらく月を見上げていたあと、レオンは視線を外し、リュカの方を見た。

 言葉にするつもりはなかった。ただ、胸の内に溜まっていたものが、零れただけだった。


「……俺が、リュカを守るよ」


 力強さはなかった。

 未来を見据えた覚悟でも、誓約でもない。今ここにいる彼女が、笑っていてほしい――それだけの、あまりにも小さな言葉だった。


 リュカは一瞬きょとんとしたあと、すぐに笑った。

 からかうように、けれど心から嬉しそうに。


「じゃあ、私もレオンを守る」


 その返事に、レオンは思わず息を漏らした。

 どちらも、守れない可能性を考えていなかった。


 月が、異様なほど綺麗だった。


 リュカは、しばらく黙ったまま月を見ていたが、やがて小さく息を吸った。


「ねえ……もし、どこかへ行かなきゃいけなくなっても」


 一瞬だけ言葉が途切れる。

 探しているのは答えではなく、問いそのものの置き場だった。


「レオンは、私のこと忘れない?」


 幼い問いだった。

 残酷な問いだった。


 レオンは、すぐには答えなかった。

 胸の奥が、ひどく静かだった。


「……忘れない」


 言葉を選ぶように、一度息を吸い、


「忘れるなんてこと、できるわけないじゃないか……」


 約束ではなかった。

 誓いでもなかった。

 ただ、そうとしか言えないという事実を、そのまま口にしただけだった。


 未来が壊れる可能性を、

 まだ知らなかっただけだ。


 沈黙が落ちた。

 だがそれは、不安を孕んだものではなかった。


 レオンは月明かりに照らされたリュカの横顔を盗み見た。

 昼間とは違う色を帯びた髪が、風に揺れている。触れてしまえば壊れてしまいそうで、けれど触れずにはいられない。その矛盾が、胸の奥で静かに膨らんだ。


 リュカがふいに言葉を止め、少しだけ顔を近づけた。

 理由はなかった。言葉もなかった。ただ、そうしなければならない気がした。


 唇が触れた瞬間、世界が止まった。

 長くはなかった。確かめるような、幼い温度のキスだった。それでも、二人にとっては十分すぎるほどだった。


 離れたあと、どちらも何も言えなかった。

 ただ、並んで座り、同じ月を見上げていた。


「……月が、綺麗だね」


 リュカがそう言い、レオンは静かにうなずいた。

 それ以上の言葉は、必要なかった。


 この夜が、二人の人生で最も幸福な時間だということを、

 まだ、誰も知らなかった。


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