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第四部2


 世界は完全に塗り替えられた。

 まったく新しい歴史が、いよいよ始まろうとしていた。


 裏切られたドイツ。

 攻め上がったソ連。


 そしてかろうじて命脈を保ったフランスとイギリス。


 当事者以外の圧倒的驚愕をよそに、粛々と新たな状況へと実務は進んでいく。

 一時はポーランドのドイツ寄りの地点まで抑え、急遽突貫的に敷かれた防衛線。

 突破されること前提で誂えられた、血みどろの地獄の舞台。

 怒り狂うドイツの猛撃を、十全の体制でやはりすさまじい代償と引き換えに同じかそれ以上の消耗を強いようとするソ連の反攻防御。


 現出した状況に応ずるため、世界各国の態勢構築が日々、更新されていく。


 ドイツは西側を抑えつつ、急遽主力をわけて東へと戻し、とりもなおさずの姿だけは取り戻した。

 いくら不意打ちで打撃を与えたとはいえ、そうして態勢を整えたドイツ軍はそうそう揺るぎはしない。

 まずは東西両面に対して対応するだけの構えを見せつつ、状況打開を目論むという形である。


 対する西側、フランスイギリス。

 あわやパリ陥落寸前というところで踏みとどまった彼らは、ほぼその時点での侵攻線で領土を維持することになる。

 とはいうものの、中途半端な平原地帯で間延びしたようなところばかりだから、一概に防衛線として境界化できるかといえば微妙だろう。

 ようは、どこからどこまでが独仏線なのか、曖昧なままの両者にらみ合いというのが実態か。

 ドイツ側の理由でそれ以上にことが進まないだけという、消極的な均衡状態に過ぎない。

 イギリスの協力があったとしても、しばらくはフランスが主導権を握って事態を変えるのは無理だろう。


 つまりは。

 完全なる膠着状態、持久戦が開始されたのである。


 ソ連とドイツが飽くなき消耗戦を繰り広げる中、まだ碌に身動きとりようがないフランスイギリスと。

 見事なまでに均衡の様相を呈していた。


 ただ、どれだけ現時点で膠着しようとも、そう長続きしないのは明らかだった。

 東西から挟まれ、常に消耗をしいられているドイツはジリ貧となるしかない。


 いうなれば、今後、いつドイツが軍行動を起こせなくなるまでに資源を枯渇させるか、その時限戦ともいえるのだった。


 ソ連と英仏はひたすら待ち続けて、その時が来たら一気に叩く準備を整えればいい。

 対するドイツは、なんとか破滅を迎えないように、残る力を振り絞ってソ連を攻め切るか、あるいは西側と外交的妥協をとる可能性を探るしかない。


 この状況における、有事対応の可能性はただそれだけだった。

 ことさら、ソ連にとってはドイツの逆襲を如何に耐え捌き切るかということだけが課題というわけである。



………


 深夜の静寂に包まれたクンツェヴォの別荘。

 重厚なカーテンが引かれた私設試写室には、ざらついた独特の風味を持つ香煙が、映写機の放つ光の帯にゆらゆらとたなびいていた。

 決して口当たりが優しいとは言い難い、「ヘルツェゴヴィナ・フロール」の癖のある匂いを味わいながら見守る銀幕。


 独りの男が今まさに、最大の山場を迎えて一気呵成に広大な荒野を馬で駆っているところだった。


(……いい顔してやがる)


 ジョン・ウェインの時代を超えた魅力をたっぷりと堪能しながら、そう思う。

 やはりハリウッドはいい。

 たとえどれだけ俺から見たら古臭くて、いわゆる古典的名作くらいしか食指がわかなくても。

 この時代にある娯楽の中では唯一といっていいくらい、まともに楽しめる貴重なものなのは間違いない。


 最前列の中央、革張りの深い椅子に沈み込みながら、満ち足りた時間をかみしめる。

 

(あいつらにもまた一緒に楽しませてやりたいが……)


 未だすさまじい激務の真っただ中と言っていい配下、腹心たちの顔ぶれが浮かぶ。

 特にこの『映画観賞会』に、密談を兼ねて同席させることが多かった、ベリヤ、モロトフ、カガノーヴィチら。

 他のヤツラは明らかに追従めいた反応で心から楽しんでる様子がないのに、アイツラはそれなりに付き合ってくれてる感じが実にいい。


 純戦時態勢たる今の情勢が少し落ち着きを見せて余裕ができたらまた、誘ってやろう。

 だから今は、たった一人の同席者で満足するのが賢明ということだ。


 ちらりと、本来なら数人の腹心が並んで座っていたはずの場所を見やり、視線の先で静かに映画を見入っている女を確認する。

 銀幕の光に陰に陽に照らされて浮き上がる美貌は、一切の因果を拒絶しているかのように微動だにしない。


 ただそこにある。

 ただ綺麗に完成されている。


 ゆっくりと背中から腕を回して、その肩を抱いてみた。

 華奢で柔らかく、それでいて無機質な金属めいた感触。


 こちらを振り向く視線。

 『なにか?』と言葉もなく問いかけるそれを、嗤って受け止めてから、また映画の画面へと見入る。

 間も無くあちらもこのままの状態を受け入れて、視線を戻したのが伝わってきた。


 しばらくぶりに、こうして静かな時間を限定的ながら過ごせるようになったことに俺は充足を感じた。

 今この瞬間も前線では血みどろの殺し合いが現在進行形で繰り広げられているわけだが。

 少なくともここ、後方の政治中枢、指導部においては全く関係ないような静謐がある。


 こんなときにはやはりこの愛人兼秘書と共に過ごすのが一番だった。


 この国そのものを体現したような、感触と匂いを持つ女。

 エレーナの存在をたっぷりと堪能しつつ、いよいよ始まるラストシーンに集中していく。


 自ら巻き起こした欧州の新たな戦局、膠着持久戦態勢の中、対外政策に内治全般。

 完璧とはいかずとも、おおむね想定通りに事は進んでいる。

 今しばらくはこのまま事態の推移をみながら、落ち着いて対応できる状況になっていた。


 ここまできたら、俺のソ連はほぼ完成しつつあるといってよかった。

 あとはもう、いよいよ最後の目的に向かってことを始める準備と……覚悟を固めるだけだ。


 と、つかの間のエアポケットのような平穏を味わうように、手元のコーヒーを一口含んだその時。


「……っ、こほっ。……こほっ、ゴフっ!」


 突如、喉から沸き起こった違和感に盛大にむせた。

 

「大丈夫ですか?」


 茶色いシミを広げる衣服をハンカチでふき取る動きを示しながら、エレーナがいう。


「ああ、問題ない。少しむせたかな? ……いや、ちょっと疲れたのかもしれん」


 近頃ずっと続いていた、妙なだるさと深奥に燻ぶる寒気が急に意識された。

 軽い風邪でも引いたのかもしれない。


 激しい緊張と不規則な生活を強いられていたのだから無理もない。

 一時期は碌に睡眠をとることすらままならない時もあったんだからな。


 まあ、今日は早めに休むとしよう。

 場合によれば数日はゆっくりと政務から離れるのもいいかもしれない。

 今の状況ならば、よほどのことがない限り、致命的な問題など起こるまい。



 エンドロールを最後まで見ることなく、女に後を任せて俺は席を立った。

 そうして最低限、自分の体調を労わってやれば、今は何も他にやることなどないはずだった。



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― 新着の感想 ―
暗殺の前兆か、はたまた病気によるものか、、
はたして彼女はベリヤの仕込みなのかそれともSSあたりが飼い主なのか。
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