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第四部3

 突然の眩暈と、息切れに襲われたのは、別荘の書斎で日本語のメモを確認していた時だった。


(……なんだ、これは……)


 手のひらから力が抜け、紙片がひらひらと舞う。

 耐えきれず椅子の背もたれから身体が滑り落ち、ぶ厚い絨毯の上に沈み込んだ。


 どぉんっ、と。


 自身の肉体が倒れる音が、ひどく遠くで響いた気がした。

 視界が急激な熱量に灼かれて歪む。

 脳の奥底が沸騰し、思考の配線がショートしていくような感覚。


 ままならない異常に悶絶しながら、それ以上の危機感に、握りしめているものを意識する。 

 指で挟んだ数枚の紙、そこにびっしりと書き込まれた、この世界に存在してはならない記号の羅列。


 一世紀後の「日本語」による備忘録。


 ありえぬはずの数字と事物が書き留められた、予言の年表。


 誰にも見せてはいけない。

 見せられるわけがない。


 せめてこれだけでもなんとかできないかと、朦朧としながら想う。

 しかし身体を犯す未知なる力はすさまじく、ただ呻き、震えることしかできない。


「書記長?」


 ドアの向こうから、女の呼ぶ声が聞こえた。

 異常を察して、早速動き始めたのだろう。


 施錠された扉を最初は遠慮がちに、やがては力強く連続し始めるノックの音を胡乱に認識する。


「大丈夫ですか? 返事をしてくださいっ」


 ドンドンと、床を伝わる激しい振動。

 俺は暗黒へと自分が誘われていくのを、為す術もなく感じていた。


(……これだけは)


 そう、意識が完全に途切れる最後、握りしめたものをどうにかしようとだけ想う。

 でも結局何もできないまま、無限の闇へと落ちていった。


………


 気が付くと、高い天井を見ていた。

 オーク製の簡素な、パネル張りの格天井ごうてんじょう


 永年寝起きしている、寝室のものだというのはすぐにわかった。


 窓から差し込む光は柔らかく、夕暮れか、あるいは早朝か。

 全身に檻のように淀む重い疲労感。

 高熱を出した後特有の倦怠に、カラカラの喉の渇きが意識された。


 カチャリ。

 小気味よい音をさせながら、開いていく扉。


 エレーナは内向きの際に纏っているいつものシャツにスカート姿で、水差しといくつかの薬瓶らしいものが乗った盆を持っていた。


「気がつかれましたか」


 相変わらずの、抑揚を削ぎ落とした硬質な声。

 彼女は枕元に歩み寄り、一切無駄のない手つきで水差しからグラスへ水を注いだ。


「私は……?」


「熱病にかかられたようです」


「そうか。……どれだけこうしていたのか」


「まる二日になります」


「……」


「主治医によると突発的感染症の一種とのこと。最悪命に関わる場合もあるらしいですが、幸いにして峠は越えたと。……どうぞ」


 彼女の手に支えられ、上半身をゆっくりと起こす。

 差し出された水で薬を流し込むと、冷たい感触が乾ききった喉に心地よかった。


「……すまんな。君には助けられたようだ」


 呟くように漏らした掠れ声に、エレーナは盆を傍らのテーブルに置きながら、淡々と答えた。


「いえ、当然のことです」


 そこには献身的な温かさも、職務以上の感傷も見当たらない。

 ただ、最適化された部品がその役割を果たしたという、純然たる事実を告げるだけの響きだった。


 薬を飲み終えると、どさりと背中に回したクッションに身を預けるように寄りかかる。

 そして自分を助け、介抱し、甲斐甲斐しく世話をする女を改めて見つめる。


 金色の髪と碧青の瞳。

 相変わらず、人間味を感じないほどに完成された造形。


 美しく、有能な、完璧な愛人であり、秘書だった。


 しばしそれを確認し、感じいるように見つめ続けた。

 無言で交差する視線。

 一切動じた様子もなく、淡々と静謐に返される瞳の煌き。


 そして俺は口を開いた。



「あのメモを見たのだね?」



 と。


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― 新着の感想 ―
例えどんなにお気に入りでもね、、 見たのがほんの可能性だとしても消さないとダメになっちゃったね。
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