第四部1
「初期の目的は達成した。引き続き防衛戦と、軍の維持を継続中。詳細はこれまでに送った報告書の通りだ」
文字通り歴史に名を遺すのは確実の、生ける伝説になった男は相変わらず固く、強張らせた表情のまま、前線から戻った最初の第一声を放った。
一切の高揚や悦びとは無縁な響きだった。
淡々と、努めて抑制的というわけではない。
ただ完全に情緒的なものが欠落したかのような、声、そして眼差し。
ああ、よっぽど疲れたんだなぁと、俺は労ってあげたくなる。
「……素晴らしい。世界最高の軍人が完全かつ完璧な成果を齎し、我がソ連の栄光は最大に輝きを増した。もはや言葉もないよ、同志トハチェフスキー。君は実にこれ以上ない形で私の、そして数多の官民全ソヴィエト構成員の期待に応えてくれたわけだ。ふふふ、もちろん論功行賞では随一の予定だが。何かそれ以上に君の苦労に私から労えることがあれば何でも言ってくれたまえ」
君が大好きだよと。
そうわざとらしいくらいにアピールした振る舞いで手を握り、肩を叩いてやる。
どうだ、戦争キチガイ。
うれしいだろう?
あのドイツに痛烈な一撃を与え、欧州制覇を目前に封じ込めるという空前絶後の成果をもたらす政治判断を断行した、偉大な指導者にこんな風に親し気に接せられるのは。
「……いや結構。書記長にこれ以上何かを頂戴することなど畏れ多い。捨て置いてくれ」
なんだ、ノリの悪い奴だな。
もう少しうれしそうな顔できないかね、しかし。
最高の軍事的成功の実行者として栄誉を浴びる機会をくれてやったのに。
むしろ、迷惑そうな感じすら漂わせてやがる。
どこまでいってもコイツはコイツのままということか。
まあ、それならそれでいい。
なんだかんだ言いつつも国益自体は否定できないようだしな。
今のところソ連が成功しているという事実を前に、この男は自分の軍事的才能を発揮せずにはいられまい。
そう、心の中で結論づけつつ、一切を表に出さずに俺は言った。
「そうかね? 残念だが、いつでも思い直すようなら言ってくれたまえ。後は……あの傷を負って猛り狂っている怪物が消耗しつくすまで、これまで通り耐えてくれればいいわけだ」
ポーランドを舞台に展開されている絶え間ない命の奪い合い。
独ソの消耗戦の実態そのもの。
着席するよう促しながら、自分もドカッとソファーに腰を降ろす。
「君の縦深理論の防衛的発展……。その有効性が完全に証明されているようで、大変結構」
突破されること前提の幾重もの深く厚い防御態勢。
言うなれば横の塹壕戦。
その考案者にして史上初の実践者たる男は、この俺の賛辞にもやはり高揚としたものは現さなかった。
「……こちらの損失も決して少ないものではないがな」
「そうだな、それが戦争というものだ。奪い奪われ、最後に残るのがどちらかを決める、最も単純で公平なルール。私などよりも君が一番わかっていたのではないかね?」
「……」
今更のような葛藤めいたものを見せる男に、冷ややかな心持が立ち上がりそうになる。
コイツはまだそんなことを考えてやがったのか。
きっちり戦場ではやるべきことをやってるくせに。
どっかずれてやがんだよな。
戦争バカの分際で。
「お恥ずかしいことだが、私は同志書記長のように達観できないらしい。なにせすでに20万。それだけの兵が、あの内戦を生き延びてきた歴戦のつわものたちがすでに失われているのだから。……今後も人的物的損失はおさまるどころかより激しくなっていくのは間違いない。最終的にどれだけのものが失われるのかと。かつての帝国主義戦争(第一次大戦)以上の犠牲を出すことも覚悟しなくてはいけないだろう」
「大変痛ましいことだ。必要最低限に抑える努力をしなくてはならんな」
「最善の努力をした結果、500万にものぼる犠牲をはらうことになったとしても?」
「……」
俺は一瞬、驚きで呆けたようになった。
たかが500万?
この遂行中の、世界人類が経験した中でも最も苛烈で悲惨で無慈悲な闘争の結果がそれだけの犠牲で済むだって?
そんなの。
笑っちまうほどの大成功じゃないか。
本来の歴史で一体何人死ぬはずだったんだと、思わず言ってやりたくなった。
世界最高の軍事大国が最も充実していた状態で、ソ連にとって最悪な状況とタイミングで襲い掛かってきた、あの絶望的戦争。
1000万をこえるとも言われる純戦死者を出した結果を。
それと比べたら単純に被害が半減することになる。
ならば目の前の男がどれだけ今更うじうじ思い悩んだとしても、選択しないでいられるわけがない。
俺はそんな内心の軽蔑、馬鹿馬鹿しいような心持を必死で抑えつつ、しかつめらしい顔をする努力をするのに精いっぱいだった。
「君の同志国民、兵士に対する人道的配慮は大変すばらしいものだな。だが今だけは耐えてほしい。忘れろとは言わん。今後百年の安寧のための最低限必要な犠牲だと思ってくれるしかあるまい」
「……」
決して納得はしていないという眼差しのまま、トハチェフスキーは押し黙った。
だがそれ以上に食いついてくることはなかった。
とりあえず、軍行動自体には問題なさそうなことを俺は理解した。




