第三十話:届かぬ想い
ふと小妖怪は尿意がきて目を覚ました。以前は草むらなどで事足りたが、大江山の縄張りのものになってから屋敷の中で用を足す雪隠などを使うことは通常になっている。小妖怪は歩いていくが足がもつれて前に進まない。
「フヒー、呑みすぎちまったな、これは」
久しぶりの来客にハメを少々外しすぎたなと小妖怪はこの先にある角を曲がった時だった。
足元に何かが引っ掛かった小妖怪は転び思いっきり顔面をぶつけてしまった。
「いてっ!?」
小妖怪はあまりの痛さに酔いが少し覚めて、足元にいる原因に文句を言ってやろうと強く揺さぶった。
「おい、こんなところで寝るんじゃね、危ねえだろうが」
きっと自分と同じように酔っているのだろう、こんなところに寝転ぶ妖怪の顔を見てやろうと、小妖怪はひっくり返した。その時にぬるりとした感触があった。それが何なのか小妖怪は分からなくて近くで見てようやく気がついた。それは赤い血だった。
「おい、しっかりしろ…嘘だろ…誰にやられた!?」
揺さぶっても妖怪は返事をすることもなくすでに事切れていた。小妖怪は酔いが完全に覚めて何をすべきかに切り替えた。
「こうしちゃいられない、早くこのことを金童子様にお伝えしなければ」
小妖怪は立ちあがろうとしたその時だった。
「それは困りますね」
後ろから声が聞こえた。小妖怪は振り向こうとした時に背中に衝撃が襲った。そしてその斬撃に小妖怪は耐えられず倒れ伏した。
「お前、確か、あの時の…」
「ええ、困るんですよ、あの金童子という鬼は強そうですからね」
小妖怪は倒れながら自分を襲った顔に目を見開いた。驚いた様子に男、碓井は淡々としながら小妖怪の命を刈り取った。
〇〇
「なんだ、これは…」
周りを見渡すとそこは血の海と化していた。大江山の縄張りの妖怪たちは攻撃することは慣れていたが奇襲されたことなど一度もなかった。大妖怪である酒呑童子や茨木童子、金童子の棲家を襲おうなどというものはいなかったのだ。今日までは。
だがそれは瞬く間に崩壊していった。犬神はかつての棲家の有様に呆然としていた。そして自分がなぜここにいるのかを。
「俺はなぜここにいる、確か京の都にいたはずだ、なのにどうして…」
そう独り言を呟いていると後ろから声をかけられた。
「どうされたのですか?」
話しかけてきたのは犬鬼だった。目の前の光景を見て平然としている様子に犬神は気づいた。
「お前、俺に何をした…」
犬神の質問に首を傾げて悪びることなく答えた。純真無垢さがかえって不気味さを脚色していた。
「ああ、ようやく気づきました?狒々の妖怪、京の人間たちを幻術で惑わしても酒呑童子や茨木童子、金童子はあまりにも強くて私の幻術は通用しないんですよ。あなたがいたお陰でだいぶ助かりました。あの者たちの結束が強く隙がなかった…だがあなたは彼らにわだかまりを持っていた」
「お前、俺を利用したのか…」
震える犬神の声に淡々とうなづいた。
「はい、あなたを操るのはいとも簡単でした。あなたは彼らに憧れゆえに悪に染まることはできず、人間への嫌悪感を強めました。そしたらどうなるか、人間と仲良く交流をする茨木童子は邪魔な存在でしかない」
そうだ、ある日を境にいつの間にか茨木童子の存在が邪魔で仕方がなかった。俺はあの人の存在に憧れていたはずなのに…。
それなのに私はあの人に何を言った。
『彼はもう充分に戦うことはできないでしょう。私を近くに置けば必ずお役に立ちましょう』
『ええ…正直言って邪魔ですよ』
俺はなんてことをあの人に言ってしまったんだ…。
「許さない、お前だけは絶対に許さないっ…!!」
犬神は懐にあった小刀を振り翳し犬鬼に突撃した。小刀であいつの体をズタズタに切り裂いてやると在らん限りの声で絶叫した。しかしその凶刃は憎き相手に喰らわせることはなかった。
いきなりドスリと背中に突き刺さった衝撃で犬神は倒れた。犬神は何だと思い周りを見るとそこには人影があった。
「犬鬼殿、ここにおられたのですね、探しましたよ」
「卜部殿、碓井殿、これは失礼いたしました」
犬鬼はその男、卜部に礼をして出迎えた。
「あなたが襲われそうになったので、この妖怪を射てしまいましたがよろしかったでしょうか?」
「ああ、もうこのモノは必要ありません」
「それならばこれは始末しましょう、犬神であれば怨霊になられたら面倒なので」
卜部が倒れている犬神に先ほど背中を射た弓矢に近距離で狙いを定めた。狙うのは後頭部。直撃すれば死を免れない。
射られた痛みと衝撃で体を動かせない犬神はびくりとも動くことができなかった。ぎりりとした弦を引く音が耳に響きながら観念したその刹那だった。
「させません、そのものはまだ大江山のものですので…」
そこに現れたのは金童子だった。
「おや、これは金童子様、どうしてこちらに」
何でもないように駆け寄る犬鬼に金童子は持っていた薙刀を向けてぴたりと動きを止めた。
「あなたから様をつけられると寒気しますよ、犬鬼、いや犬鬼灯か…」
「先ほどの話をどこから?」
「あなたを操るのはとても簡単でした…というところからか。お前、よくも私の縄張りで好き勝手してくれたな…」
「あなたの縄張り、おかしな話ですね。ここの主は酒呑童子であなたは副将…」
理屈をごねる犬鬼の口調に金童子は語気を荒げた。
「そんなのどっちだっていいんですよ、縄張りをものを貶めた奴はどうなるか分からせてやる」
薙刀を構えて犬鬼に襲いかかった。それを卜部と碓井は黙って見ているわけにはいかない。碓井は持っていた刀で応戦し、碓井は弓矢で金童子を狙った。けれど金童子の素早い動きで的を絞ることができなかった。
『やはりこの方は強い…童子様を支えているだけある』
犬神はその戦う様子に見惚れ、卜部はこのままではまずいと思った矢先だった。金童子の体は一瞬がくりと傾いたのだ。一瞬で持ち直したがその違和感を犬鬼は見逃さなかった。
「ああ、おかしいと思ったんですよ、あなたもあの酒を呑みましたからね」
犬神は犬鬼の話など聞きたくなかったが、あの金童子が人間相手になぜ防戦一方なのか気になって仕方がなかった。
『あの酒とは一体なんなんだ』
「神便鬼毒…鬼にしか効かない毒の味はいかがだったでしょうか?」
「!!?…毒だと」
「ふふ、体を動かすのもやっとのはずです、もう投降されてはどうでしょうか」
「…ふん、お前たちに負けを認めるぐらいだったら死を選ぶ」
即答だった。金童子の額には大量の汗を滲ませていた。普段は汗ひとつかいたことのない冷静沈着な姿が精悍さを欠いていた。
「そうですか、それは残念です」
「お前は残念と言って、残念そうではない…まるで伽藍堂だな」
その時犬鬼の表情が初めて笑顔以外になった。まるで人形のように無表情になっていく様子に金童子はニタリと笑った。
「はは、そっちの方がよほどお前らしいじゃないか」
「黙れ…あなたは私の従僕にしてあげましょう」
「御免蒙る!!」
金童子が最後の一撃を込めようとした瞬間だった。遠くから音が聞こえた。それが金童子に向かい肩に直撃した。気づくのが遅れてしまい防御が間に合わなかった。その正体に金童子は痛みを堪えながらそれを見た。
それは一本の槍だった。
焼けるような激痛が金童子に襲いかかり、その絶好の機会を四天王が逃すはずがなかった。碓井がじっと狩人のように狙いを定め、その矢は金童子の足に直撃した。
「ぐわ!!?」
あまりの痛みに金童子は立っていることができなくなり、膝を屈した。その時に拍手と共に遠くから声がした。
「お見事」
パチパチと手を叩きながらやってきたのは坂田と保昌だった。碓井は仲間の賛辞に返礼をした。
「お見事なのは坂田殿ですよ、あの距離で投擲して当てるとはさすがは剛腕です、感服いたしました」
「はは、日々の修練の賜物ですよ」
坂田は照れを隠しながらも、金童子に向かい口を開いた。
「さてとこの者を始末しましょうか」
鬼の毒で弱った体、肩に当たった方の腕が上げることはできず、槍が当たった足は動かすことができなかった。自分の置かれている状態に目を伏せた。
「そうですね、向こうでは頼光様と渡辺が戦っているでしょうから、助太刀しにいかねば」
それを聞いた瞬間に金童子は目の前にいる人数を確認した。大江山に山伏と扮して入ってきたのは6人だった。しかし目の前にいるのは4人である。
戦っている、誰が誰と、それは考えなくても直感した。その時にもう力尽きていたはずの胆力が沸いて、歯を食いしばり、肩の槍を抜き、足の矢を引っこ抜いた。
「行かせません、私はこの大江山の副将、金童子…童子といばらの元には絶対に行かせません」
先ほどまではもう立つこともやっとのはずから放たれる凄絶な殺気に四天王は呑まれそうになった。そして、死闘が繰り返され、その戦いは明け方までに及んだ。
「最後に言い残すことはあるか…」
勝ったのは四天王、負けたのは金童子だった。多勢に無勢とはこのことで、犬神は金童子の無惨な姿に涙を流した。
「金童子様、申し訳ありません、全て私の…」
後悔する犬神に金童子は優しい言葉をかけた。
「お前のせいではない、私があの魔性を見抜くことができなかった…私の失態だ、私は守り切ることができなかった」
犬神のせいではないという金童子の優しさに犬神はただ無力感に苛まれるしかできず涙を流した。その涙を拭いたくても、拭うこともできなかった。
金童子は目を伏せた。最後に止めを刺したのは坂田だった。倒れ伏した副将を見て坂田は惜別を述べた。
「己の主君を守るために…敵ながら天晴れだった」
金童子は目を伏せながら最後に脳裏に浮かんだのは酒呑童子といばらの姿だった。
〇〇
『童子様 いばらもこんなところで寝たら風邪を引きますよ』
『そうですね…』
いつものように注意するといばらはおとなしくうなづいてくれるが、主君である童子は聞こうともしない。
『もうちょっといいだろう、俺たちは風邪を引かないんだしっ』
『あなたは引かないかもしれませんがいばらは別です』
『お前、いばらが来てから俺への扱い雑じゃねえか?』
童子が子供のようにブスくれる表情にいばらと金童子は目を合わせておかしそうに笑った。それに童子はますます気に入らないのか今度はそっぽを向いてしまう。
『どうか逃げて、童子様…いばら…』
戦うことも好きだった、けれどあなたたちともっと他愛ない日常をすごしたかった。けれどその願いは虚しく、彼らに届くことはなかった。
次話は8月1日に投稿いたします。
第三十話は何とかなったのですが、第三十一話の下書きも見直したら予想以上に文章がスカスカなのが発覚しまして…。お出しできるまで今しばらくお待ちくださいm(_ _)m




