第二十五話:童子の涙と逆鱗
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渡辺が視線を一瞬を逸らした隙にいばらはそれを見逃さずに一目散に走り出した。とにかく京の外へと向かい、山の麓まで逃げ切ることができた。
まだ日も出ていないので、月明かりしかない山の中は人っこひとりいなかった。闇の中で生き物たちも息を潜めている。
「はあ、はあ」
普段であれば呼吸を乱すこともないいばらは整える余裕さえなかった。いばらはふと切られてしまった方の腕を悔しそうに見ながら口を開いた。
「くそ、あの刀にあんな力があったとは…」
今まで業物と対峙したことがないいばらにとって対処できるはずがなかった。余っている袖を歯で噛み切り、腕の傷口を布に押し当て出血を抑えた。これで少しは収まるかもしれないがとなんとか痛みを抑えようとしたその時だった。
ドクン
渇きの衝動がいばらに襲いかかる。童子と出会ってから久しく感じていなかった吸血の衝動が。あまりにも出血をしてしまい抑えることができなくなっていた。
これはまずいと思いながらも、もう指一本も動かすことができなかった。そして急激な眠気に抗えなくなりいばらはそのまま気を失った。
〇〇
酒呑童子がいばらを見つけ出したのは夜明け前だった。京の都には酒呑童子の妖気が強すぎるため入ることができなかった。手傷を負った鬼が山の方に去っていくのを見かけたという妖がいた。
「分かりました、童子様。お聞きに…」
金童子は酒呑童子に話しかけとようとしたがその時にはもう山の方へと駆け出していた。
そして木を背に静かに眠っていたいばらを見つけ出したものの、血まみれになっており、前日まであったはずの左腕がなくなっていた。あまりにも変わり果てた姿に酒呑童子はただ呆然とするしかなかった。
『誰だ、お前を傷つけたのは…』
酒呑童子はあまりの怒りに、妖気が溢れ出し、周囲の木々がざわめきだし山の中に潜む動物たちが震え上がる。それに後から駆けつけた金童子はいばらの状態を見て声を上げる。
「童子様、今はいばらを助けるのが先です!」
切迫する声に酒呑童子なんとか感情を抑えた。
「キン、少し下がっていてくれ」
「…分かりました」
大将の願いに何か言いかけたが副将はいばらの状態を鑑みてすぐに山を降りた。酒呑童子はいばらの体を抱き抱え、久しぶりに見る顔の青白さいばらに深く後悔した。
「…すまない、離れるべきではななかった」
気を失っているいばらでは血を飲むことができない。ならば童子は自分の手のひらを傷つけ口に含み、彼の口元へと近づけた。
〇〇
気を失っていたいばらは口元から暖かい物が流れこんでいるのに気づいた。それを無我夢中で求めていると、誰かが自分を抱いているのに気づいたが、誰かはなんとなく分かった。
『もっと…』
『もっと』
欲求が抑えられなかった。そして重たい目を開けるとそこにいたのはやはりと思っていた人物だった。
「ど…う、じさま」
「ああ…」
その時、酒呑童子の瞳から何かが溢れていた。頭がぼうっとしていていばらはそれを不思議そうに見つめていた。
「どうして、泣いているんですか?」
お前のせいだよ、と思いながらも酒呑童子は口にしなかった。ただひたすらにいばらの頭を優しく撫でた。
〇〇
童子の血を摂取したことで傷を癒やし棲家に戻りいばらは命を取り留めた。けれど以前のように力を発揮することはできなくなった。
それでも充分に強いのだが、けれど片腕がなくなったことでいばらの座を狙うものが現れた。それは犬神だった。
「彼はもう充分に戦うことはできないでしょう。私を近くに置けば必ずお役に立ちましょう」
その言葉に呼応するかのように他の妖怪たちは拍手をした。いばらはそれに抵抗することなく首肯した。彼が言うのはもっともだと思ったからだ。
けれどその反応が違ったのは酒呑童子と金童子だった。酒呑童子はいばらが瀕死の重傷を負って以降、離れることが少なくなったばかりか、少しでも離れたりすると機嫌を損ねてしまう。
そばにいることが多くなりいばらはどうしたものかと、金童子に助けを求めるが、微笑まれるだけである。金童子も口数が少なく冷静な性格であったが、この出来事を境に以前よりも口が多くなっていき、オカン気質になっていった。
そんな二人の目の前でいばらに対する発言に黙っていられず、酒呑童子は持っていたお猪口を割った。
「今、なんていった…お前、何か勘違いしていないか」
酒呑童子のドス黒い声音と普段は抑えている強い妖気に犬神や妖怪たちは震え上がる。
「こいつが戦えるからそばに置いていたと思ったら大間違いだ」
「え…」
いばらは驚きで声を上げた。自分は戦えるからいるのだとずっと思っていたからだ。いばらの驚いている様子に近くにいた金童子は呆れたように嘆息した。
「全く、あなたとあのバカはもっと話をすべきですね」
それにいばらはどう返事をしたらいいかわからなかった。どうしてため息を注いたのかどうして童子があんなに怒っているのか視線を彷徨わせた。
「俺があいつを気に入っているからだ、何か文句あるのか」
「いえ…」
犬神は後ろめたそうに俯きながら歯を食いしばった。そのわずかな挙動に童子は眉間に皺を寄せて問い詰めた。
「お前、やけにあいつのことになると突っかかってくるな、あいつが嫌いか?」
その指摘に犬神の頭の中にピシリと音がした気がした。それはずっと心の中に蟠っていた鬱憤だったものが溢れ出してきた。そう思ったら自分の気持ちを抑えることができなかった。
「ええ…正直言って邪魔ですよ」
ガラリと口調が変わり、いばらは犬神の変わり様を見て唖然とした。
「犬神…?」
「茨木童子様、何をそんなに驚いているのですか?」
他のものも驚いている様子に犬神おかしくて笑った。金童子の問い詰める言葉に犬神は鷹揚にうなづく。
「それがあなたの本性ですか」
「ええ、これが私の本性です。それにしても本当に勿体無い。人間を蹂躙する力があるのに、それをよしとせず、人間と仲良くしようとするなんて」
その言葉にいばらはダンの姿が脳裏に浮かんだ。
「犬神、お前知っているのか…?」
「ええ、知っていますよ、あなたが人間と酒を酌み交わしていたことも、人間と仲良くするなんてどうかしている…人間がどんな生き物かを知らないから…」
その言葉が途切れたのは酒呑童子が犬神を殴りつけたからだ。犬神は吹き飛び、壁に激突した。それに他の妖怪たちはすくみ上がる。
「人間にもいい奴がいれば悪い奴もいる、だけど、こいつが悪いやつといるとは思えねえし俺は人間は嫌いじゃない、それが嫌だったら出て行け」
その言葉を最後に酒呑童子はいばらを連れて奥の部屋へと帰っていった。いばらは倒れる犬神に言葉をかけようとするが見つからなかった。
衝撃で体が動かせなくなった犬神は倒れ伏していた。その姿に誰も駆け寄るものはいなかった。倒れた犬神に金童子は冷たい眼差しで見つめた。
「あなたが人間にされたこと、受け入れられないことは重々承知しておりました。ですがこれだけは譲れません。仲間を侮辱するようなものにここに居場所はありませんよ」
痛みで言葉を発することができず、犬神はダメージを受けた体で大江山の縄張りから追い出さられた。
次話は22日に投稿いたします。




