Ⅸ.始まりの森 ――後編――
Ⅸ.始まりの森 ――後編――
気が付くと、目の前には先ほどの青い石があった。
テーブルの上に置かれた石は淡い光を発していたが、やがて、光りは消え、そして、石自体もぼんやりと空間の中に溶け込んで消えてしまった。周囲を見ると、森に入る前にヘルメスと話をしていた、あの部屋のようだ。しかし、部屋の中には、白髪まじりの饒舌な老人の姿は無かった。
「行ってしまったのか?」
ひとり呟く声が静けさの中に吸い込まれていく。
どうやら、俺一人にされたようだ。
部屋の中にいても、特にすることが有るわけでもないので、とりあえず、外に出てみる。外は先ほどと変わらない様子だったが、少し日が傾いてきているようだ。
小屋の周りは芝生のように短い草が生えた広場になっていて、その周りを大きな森が囲んでいる。先ほど歩いていった道の周りと小屋に近いところは程よく光が入る雑木林だが、少し奥の方は巨木が立ち並ぶ鬱蒼とした森が見える。
ここはただの大きな森だと思っていたが、そうではなかった。近くの林を通して遠くに見える大樹の森の間、に光るものが飛んでいるのが見える。
「…蝶。」
そう、木々の間の薄暗い空間を幽鬼の如く蒼白く光を振りまいて飛んでいるのは蝶のようだ。しかも、一匹ではなく十匹近い数が飛び交って森の暗がりを蒼白く染めている。
俺が驚いて、その光景を眺めていると、蝶たちは次第に森の奥へと移動していき、暗闇を残して消えていった。
我に返ると、周囲はもう夕暮れになっている。森の奥は真っ暗でもう何も見えない。少し肌寒くなってきたので小屋の中に戻ることにしよう。
小屋の中に入ると、あたらめて室内を見回してみる。今まで気づいていなかったが、部屋の奥には木造の簡素なベットが置いてあり、今夜はそこで寝ることが出来そうだ。
テーブルの上を見ると、何もなかったはずのところに丸パンにハムとチーズがはさまったのが二つと温かい珈琲の入ったカップが置いてある。あのカフェにあったのと同じカップだ。パン二つでは少し物足りない気もするが、これで夕飯にすることにしよう。
パンにかぶりついて、珈琲を飲んだあと、少し外に出てみる。
小屋の周囲もかなり暗くなってきて、森の方はもうほとんど闇しか見えない。小屋の周りを一周してみると、そこかしこから虫の声が聞こえてくる。コオロギやクツワムシに混じって聞いたことのないような虫の音が聞こえると、ここがただの田舎やキャンプ場でないことが思い出される。
空には星が瞬きだし、見たこともない星座が描かれていく。すっかり夜になり、もう小屋の近くもあまり物が見えなくなってきた。
扉を開けて屋内に入る。明るさに目が慣れず、しばらく目の前が見えない。いや、そういえば、部屋に明かりなんかあったかな?段々慣れてきな目でよく見ると、テーブルの上にはいつの間にかランタンが置かれ、部屋全体を明るく照らしている。
「まったく、便利なもんだ。」
夕食前には、食べ物が勝手に出てきて、夜になれば明かりが出てくる。たぶん、ベットもさっき気づくまでは部屋に無かったのだろう。このままでいくと、明日の朝食の心配もいらなそうだ。
問題は、ヘルメスの言ったいた「森の出口」が何処かということだけれど、食べ物と寝るところの心配もないようだし、明日ゆっくり探せばいいだろう。
「フアー」と大きく欠伸がでる。本を開いてから急に、この森へやってきて、不思議なことには多少慣れたつもりでいたが、やはりかなり疲れているようだ。この小屋についてもまだ分からないことが多いが、今夜はもう寝ることにしよう。
ランタンの灯を弱め、ベットに寝転がる。少し硬いが、仕方ない。今日の出来事を反芻しながら眠りにつこうとしたとき、
ガタ!!
外から、物音がする。そして、その物音はどうやら小屋の周りを動き回っているようだ。
何か動物だろうか。暗闇の中で突然大きな物音を聞いたので、驚き、体がビクリとする。恐怖を感じ、身動きがとれない。じっとして気配を殺す。
そうしていると、物音はだんだんと近づき、小屋の扉をガタガタとならす。幸い、ドアには鍵をかけていたので、容易に入ってこられる心配はない。しかし、こちらに入って来ようという明確な意思を感じ、恐怖が倍増し、布団を強く握りしめる。
どうなることかと思ったが、ドアが一度ガタガタと揺さぶられた後、物音はピタリと止んだ。しかし、小屋から遠ざかっていくような音もしていない。やはり、身動きもとれず、じっとしているとそのまま眠ってしまったようだった。




