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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第6章

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56/68

迎え

更新再開します。

少なくとも1章分は毎日更新する予定です。

その後、続けて更新できるかはストックの溜まり次第・・・

引き続き、よろしくお願いします。>(´∀`(⊃*⊂)

 庁舎を背にした道を、南へ歩き続けていた。


 街の外れの直線は人通りが絶えて、遠くをたまに車が横切る音のほかに、動くものがない。等間隔に並んだ街灯が点きはじめて、歩道へ明るい輪と暗がりを交互に落としていた。


 道沿いには看板を下ろした事務所と、背の低い倉庫が続いている。窓に明かりの点いた建物は、数えるほどしかない。歩道の縁では葉の落ちた街路樹が並んで、細い枝が街灯の光を細かく割っていた。


 空の藍は、端のほうから黒へ変わりきる途中だった。暮れ残りの色は屋根の低い街並みの上に細く延びているきりで、見ているあいだにも薄くなっていく。


 吐いた息が白く散って、光の中で消えた。十二月の冷えは、日が落ちきる前から路面の底に届いている。


 手ぶらだった。


 鞄も、着替えも、何も持っていない。歩きながら、両手の軽さが先にそれを教えてきた。風はほとんどないのに頬の感覚が鈍っていく。マフラーも手袋もない外歩きは、いつ以来か思い出せなかった。


 ポケットの中で、車の鍵が指先に当たる。車は庁舎の地下に置いたままだ。取りに戻れば、あの建物へ引き返すことになる。


 足は、止まらなかった。


 前腕の火傷に、袖越しの外気が沁みる。擦り傷と打ち身は、歩調に合わせて鈍く疼いた。疲れは数日ぶんまとめて肩に乗っていて、仮眠のほかに横になった覚えがない。


 行き先は決めていない。それでも足だけが、同じ速さで動き続けている。


 背後から、エンジン音が近づいてきた。


 振り向くより先に、ヘッドライトの明かりが俺を追い越して、路面へ長い影を倒した。一台の車が速度を落とし、俺の左に並ぶ。そのまま前へ出て、数メートル先の路肩に停まった。


 色も形も言い当てにくい、特徴のないセダンだった。〈裏三課〉の公務車両ではない。俺の車でもない。ナンバーは都内のもので、それ以上に読み取れる情報が、車体のどこにもなかった。社名も、目印になる類も付いていない。


 エンジンは掛かったままで、排気が路肩の空気を白く濁らせている。停まった位置が、ちょうど進路を塞いでいた。避けて通るか、近づくか。どちらかを選ばせる置き方だった。


 助手席側の窓が、静かに下りた。


 運転席に、透がいた。


 肩に黒いスカーフを巻いた私服で、両手はハンドルに掛けたまま、顔だけをこちらへ向けている。


「乗れ」


 窓越しの声は、それきり続かなかった。


 説明はない。挨拶もない。どうして今日だと分かった、と訊く代わりに、俺の手は、ドアの取っ手に掛かっていた。


 助手席に身体を入れて、ドアを閉めた。


 閉まる音と入れ替わりに、車が動き出した。


 発進は静かだった。押し出される感じもないまま、景色のほうが先に動きはじめた。


 透は行き先を言わない。俺も訊かなかった。


 シートベルトを引くと、金具の鳴る音が車内で妙に大きく響いた。運転席と助手席は、腕を伸ばせば届く近さで並んでいる。その近さのまま、どちらも口を開かない。


 暖房の風が、足元で低く鳴っている。外の冷えに慣れた肌には、車内のぬるさが、なかなか馴染まなかった。


 透は滑らかにハンドルを回し、迷いのない針路で角を二つ折れた。この街を、走り慣れている運転だった。


 街の外れの道が尽きて、車は幹線へ出た。対向車のライトが、フロントガラスの上を規則的に流れていく。後部座席には荷物ひとつなく、ミラーの中はただ暗かった。


 出所の見当は、乗る前についていた。


 匿名の情報提供が〈裏三課〉の上へ渡って、俺は呼ばれた。集会所の映像付きだ。真偽の確認から命令違反まで、逃げ道のない順で並べられていた。あの席で、出どころを考える余裕はなかった。考える先も、多すぎた。


 その数を、今夜の迎えが減らした。庁舎を出る日はおろか、時刻まで知っていたような停まり方だった。あの夜あの場に居て、〈裏三課〉への届き方に通じている人間がいた。線を細くしていくと、行き着く先は隣に一人しかいなかった。


 今日までは、立てようのない問いだった。相手の居場所すら知らない。その相手がいま隣にいて、互いに、走る車から降りる場所もない。訊けるとすれば、この場を除いて他になかった。


 外れていてくれてもいい、という往生際の悪さも、どこかに残っていた。それごと、口に出すことにした。


「……一つ、訊く」


 前を向いたまま、声だけを運転席へ渡した。


「集会所の件で、〈裏三課〉の上に匿名の情報提供があった。映像付きだ。あれで俺は呼ばれて、命令違反まで全部並べられた。――あれを上げたのは、お前か?」


 一息で言い切った。声は、思ったより揺れなかった。暖房の効いた車内で、指先だけが冷えていた。


「ああ」


 間は、ほとんどなかった。


「俺が上げた」


 声の高さは変わらなかった。ハンドルに置かれた両手も、前へ据えた視線も、そのままだ。認めた瞬間だけ運転が丁寧になる、というようなことすら起きない。ウィンカーを出し、車線を変え、前の車との距離を保つ。認める前と認めた後で、この男の手順はどこも変わらなかった。


 隠す素振りも、謝る気配もない。悪びれた色は、声のどこにも乗っていなかった。訊かれたから答えた、という以上のものが何も付いてこない。


 否認を崩す段取りも、言い逃れを塞ぐ言葉も、幾つか持っていた。全部、使い道がなくなった。肩透かし、という言葉では足りない。振り上げようとした先から、振り下ろす場所ごと取り払われていた。


 静かすぎる認め方だった。喉の奥で何かが引っかかったが、それが何なのかを確かめるより先に、透が続けた。


「理由も言っとくわ」


 事務連絡と同じ平坦さだった。


「お前が、スカウトに乗らなかっただろうが。何度誘っても、断る。なら、来るしかねえ状況を作るまでだ」


「それで、あれを上げた」


 上げた、の一言に、映像のことも、匿名の細工のことも、全部が畳まれていた。


「言っとくが、上の指示じゃねえ。〈影環〉は関係ねえよ。俺が決めて、俺がやった。恨むなら、俺を恨んどけ」


 言い終えても、声はどこにも力んでいない。悪事の告白でも、手柄の話でもない。地図を読み上げるときと変わらない調子で、この男は自分の工作を並べ終えていた。


 弁明は、最後まで出てこなかった。必要だったからやった、という筋の言葉が、順番どおりに置かれていった。


 恨め、と来た。許しを求める気は、初めからないらしい。それきり、透は黙った。


 筋は、通っていた。スカウトを断り続ける相手を動かすには、断っていられる足場ごと崩せばいい。手段の是非を措けば、目的に対して真っ直ぐな手だ。


 理屈が通っているせいで、余計に手の付け所がなかった。壊れた理屈なら、壊れていると言える。通っている理屈は、そのぶん深く、こちらの立つ瀬を削っていく。


 組織の意思ですらない。この男がひとりで決めて、ひとりで、俺の居場所を終わらせた。上に言われてやったのなら、まだ組織の話にできた。ひとりでやったと言われれば、目の前の男の話にしかならない。


 その答えが腹の底へ落ちきるより先に、身体が動いた。


 シートベルトの内側で上体が捻れる。低いセンターコンソールの上を越えて、右手が透の襟へ伸びていた。


 自分でも、遅れて分かった。順序も理屈も、その一瞬だけ消えた。守るものを次々に失っていった数週間の、その入口を、この男が設計していた。


 指先と襟元の距離が、掌ひとつ分を切った。


 透は、避けなかった。こちらへ目をやることさえしない。


 ブレーキも踏まなかった。両手はハンドルを離れず、視線は前の路面から動かない。速度も落ちない。俺の手が届く前とまったく同じ運転が、隣で続いていた。対向車のライトが膨らんで、車内を舐めて、過ぎていった。


 その事実のほうが、伸びた手より先に頭へ届いた。


 ここは、走っている車の中だ。この襟を掴んで引けば、ハンドルが乱れて車線が死ぬ。車は目的地へ着かない。行き先も知らされていないのに、着かないことの意味だけは、はっきりしていた。


 この車から欲しいものは、真相のほかにない。


 復讐を先にやるか、真相を先に取るか。並べ替えたのは、誰かに強いられたからじゃない。俺が決めた。決めた並びのとおりなら、この襟を掴む手は、要らない手だった。


 要らないと分かっている手が、それでも、すぐには戻らなかった。分かることと降ろせることのあいだには、距離がある。


 街灯の光が、伸ばした腕の上を通り過ぎていく。次の光も過ぎた。そのあいだ、車内では誰も動かなかった。


 指が、布の手前で止まっている。織り目が数えられる距離で、掴まれかける側は前を向いたまま、乱れていたのは、掴みかけた俺のほうの呼吸だった。


 手を、引いた。


 引く瞬間まで、透は前だけを見ていた。俺の手がどこで止まったのかさえ、確かめようとしなかった。


 上体を戻すと、ベルトが胸の上を滑って、元の位置へ収まった。右手は膝に置いた。掴む形に曲がった指が伸びるまで、少し掛かった。


 追撃は、しなかった。できなかった、が近いのかもしれない。


 透も、何も足さない。取り繕う言葉も、場を流す軽口も出てこない。車内には、エンジンの低い音と、路面を拾うタイヤの音が残った。


 怒りが消えたわけではなかった。行き場が変わっただけだ。謝られていれば、突き返す先があった。しらを切られていれば、追い詰める道が残った。認めて、弁明しない相手には、そのどちらも用意されていない。


 呑み込んだ、と言えるほど綺麗には降りていない。ただ、これ以上押し問答を続けても、出てくるものがないことは知れていた。


 置き所を失った分が、どこへ溜まるのかは知らない。行き先の分からないものを抱えたまま、行き先の分からない車に揺られている。その釣り合いの悪さが、妙にはっきりしていた。


 窓の外を、灯りを落とした店の看板が流れていく。見覚えのある街並みは、とうに切れていた。どこを走っているのか、追うのはやめた。


 耳の奥で、硝子越しに薄く減った泣き声が鳴った。


 辿り直さずに、視線を外の流れへ戻した。


 シートの背へ、体重が少しずつ沈んでいく。数日ぶんの疲れは、こんな夜でも順番を待たなかった。


 信号のない道に入って、車の揺れが一定になった。


 真相を先に、復讐を後に。


 そう決めたのは、庁舎を出るより前だ。復讐を降ろした覚えはない。取り立てる順が、後ろへ回った。


 呑んだのは、今夜の一件までだ。古い勘定が消えたわけじゃない。降ろし損ねた分の重さは、着いた先で量ればいい。決めた並びのとおりに、今夜はこの助手席まで来ていた。手を引いたことが、その確かめだった。


 幹線の信号が減って、道は流れの速い区間に入った。


 俺は前を向いたまま、口を開いた。


「〈影環〉ってのは、どういう組織だ?」


 答えは、短かった。


「向こうで訊け」


 突き放す響きはなかった。教える気がないのではなく、自分の口からは言わないと決めている声だった。


「着けば分かる」


 付け足しは、それきりだった。着く先がどこなのかは、その言い方の外に置かれたままになった。


 訊きたいことは、一つでは済まない。数える気にもならないほどある。ただ、この男に並べて訊いたところで、返ってくる答えの数は、最初から決まっているらしかった。


 俺は重ねて訊かなかった。答える者が別にいる。その言い方だけを、受け取った。


 やがて、前方に高速の入口が見えてきた。


 料金所の手前で、緑の案内標識が近づいてくる。並んだ方面表示は、どれも西を指し示していた。


 透は速度を保ったまま、料金所を抜けた。明かりが車内を白くして、すぐに引いた。


 本線に合流すると、エンジンの音程が上がって、そのまま安定した。街灯の間隔が変わり、窓の外の流れが速くなる。市街の明かりが、リアウィンドウの向こうで遠ざかっていった。


 行き先は、告げられていない。俺も、訊かなかった。


 西へ向かう流れに乗ったまま、車は夜の道を走り続けた。


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