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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第5章

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背中

 最初の一手は、前から来た。


 九鬼さんの腰が沈む。爪先が床を噛む。見えたのは、そこまでだった。


 埋込灯の白い列が視界の端で流れて、瞬きひとつの間に、九鬼さんは目の前へ来ていた。


 速い。だが、乗る前の構えまでは消せない。沈み込みの向きが、突っ込んでくる線を先に教えていた。


 廊下は一直線で、逃げ込める分岐が無い。速さで潰すには、いい地形だ。九鬼さんもそれを知っていて、最初の一手に、いちばん速い自分を選んでいた。


 半身をひらく。打撃装備ごと伸びてきた腕を、掴まずに外へ流した。


 加速の乗った身体は、急には止まれない。九鬼さんは俺の南側を擦り抜け、ずっと西の床で靴底を鳴らして、ようやく止まった。


 前列の中央に、穴が空いた。


 踏み込もうとした足の先へ、戸坂さんの身体が滑り込んでくる。肌の色がくすんで、質感が石に寄った。廊下の真ん中に、壁が一枚増えたのと同じだった。


 北寄りから、瀬戸が踏み込んでくる。特殊警棒の先が細かく震え、空気の鳴る音が高くなった。刃を纏う予兆だった。


 同時に、後ろで熱が膨らんだ。


 振り返るより先に、床を炎が這ってくる。低く、広く、足首の高さを舐める火だった。前と後ろが、同じ呼吸で来ている。合図の声は、どこからも聞こえなかったのにだ。


「統真!」


 八神の声だった。いつもの跳ねる調子が、どこにも無い。


「そこで止まって。……お願いだから」


 火は俺の爪先の少し手前で薄く千切れて、消えた。焼くためではなく、止めるための火だった。


「鳴瀬!」


 隊長の声が、火の消えた側から飛んでくる。


「拳を下ろせ! 事情は後で幾らでも聞いてやる。だから今は止まれ!」


 声の位置は、最初から変わらなかった。後ろの、間合いの外だ。前後が締まっていくあいだも、隊長の足音は一度も近づいてこない。動かないまま、声で隊を動かしていた。


 攻めの線は、重ならなかった。合図も無いのに、誰かが踏み込めば誰かが引く。五人の呼吸が、一つに揃っていた。


 そのあいだも、飛んでくる言葉に罵声は混ざらない。どれも、止めるための声だった。


 俺は答えず、足も緩めなかった。火で足が止まれば、挟まれて終わる。割るなら、火の届かない前列の側だった。


 瀬戸の警棒が来る。高い唸りを曳いて、袈裟に落ちた。


 内へ踏み込み、柄に近い側を掌で受け流す。刃がどれだけ鋭くても、纏っているのは警棒の間合いだけだ。中へ入れば届かない。


 その腕を取りかけたところで、鎖が来た。瀬戸を落とす一手は、宙に浮いたままだ。


 右の手首に巻き付いて、後列へ強く張られる。鵜飼さんの鎖だ。引かれた体勢へ、正面から戸坂さんが組み付いてきた。石の重さに押されて、南の壁際まで下がる。背中の打撲が、押し込まれた拍子に軋んだ。


「やめるなら今だぞ、鳴瀬!」


 耳のすぐ横で、戸坂さんの声が鳴った。


「誰もお前を、こんなとこで潰したかねえんだよ!」


 硬化した胴は、殴っても意味が無い。ただ、関節までは硬くならない。曲がるための場所は、石にはならないのだ。


 組み付いてくる腕を、肘の内側へ指で辿る。石の質感が途切れて、人の硬さに戻る境目が、指の下にあった。


 押し込む力を受け流しながら、膝の裏へ足を差し込む。その境目へ、体重ごと捻りを掛けた。折れない角度は、確かめてから掛けた。極まる寸前でわずかに力を逃がし、抜けられないことを分からせてから、崩しへ移る。


 石の巨体が床へ落ちる。硬化は、衝撃そのものには強い。それでも受け身の取れる向きへ崩して、後頭部は打たせなかった。


 床の上で、石の色が人の肌へ戻っていく。落ちた重さは、掌に残った。


「……っ、の、野郎……鳴瀬、やめろって……」


 床の上の声には、答えなかった。巻かれたままの鎖を、逆に手繰る。


 鎖は拘束の道具で、引き合いになれば、ただの綱引きだ。操作へ集中を割いている鵜飼さんの身体は、綱引きには向いていない。


「坊や、聞き分けなさい……! 一人で背負って、どうにかなる話じゃないでしょう……!」


 張り合う声ごと、手繰り寄せる。


「この……坊やっ……!」


 引き寄せた勢いのまま、伸びた腕を抱えて足を払う。床へ導き、肩の関節を極めて動きを止めた。極めた位置から先へは、締めない。関節は動きを縛るために取るもので、壊すために取るものではない。


 腰の捕縛具を抜き取って、遠くへ滑らせてから、頸へ落とすための腕を回した。血の巡りを短く塞いで、意識の側から落とす。息の道には、触れなかった。鎖が、床で音を立てて緩んだ。


「坊や……聞き分けの無い子は……嫌い、よ……」


 意識が落ちる寸前まで、声は続いていた。


 瀬戸が、もう一度来る。


「鳴瀬、まだ間に合う!」


 唸る先端が、突きで伸びた。


「武器を置いて、話すだけでいい! それなら誰も――」


 言葉の途中で、俺は懐へ入った。突きが伸びきれば、もう間合いの内側だ。纏った刃がどれほど鳴っていても、間合いの内には振れない。


 手首を押さえ、指の腱を浅く押して、警棒を床へ落とさせる。唸りは、床で途切れた。首の付け根の、骨からも太い脈からも外れた場所を選んで、加減した短い打撃を置いた。


 瀬戸の膝が落ちた。倒れる身体を壁際まで送ってから離したのは、火の通り道から外すためだ。


 揉み合いは、南側へ寄っていた。


 その脇、北の壁際を、何かが東へ抜けた。


 白い光の下を、影が走った。視界の端で、それだけだった。追う余裕は無い。後ろには、まだ二人いる。


 二度目の火は、まだ来ていなかった。


 俺は確かめずに、前へ戻った。


 東への線が、通っている。


 踏み出しかけた足の後ろで、空気が熱を持った。


「統真」


 振り向くと、八神が立っていた。掌をこちらへ向けたまま、火はまだ出ていない。


「戻って。隊長と話して。……ね?」


 声は静かだった。ボケも、茶化しも、何ひとつ乗っていない。


「あたし、統真の事情は分かんないよ。分かんないけど……これが駄目なことだけは、分かる」


 毎朝、机を挟んで軽口を投げてくる声だ。掛け合いなら、幾らでも続けてきた。その声が今日は跳ねないまま、まっすぐ届いてくる。


「みんな倒して、あたしも倒して……それで、どこ行くの? ……戻ろうよ、統真」


 八神のそういう声を聞くのは、これが初めてだ。


 俺は答えなかった。答えずに、東へ身体を向けた。


 火が来た。


 床を這うそれまでの火と違って、腰の高さを薙いでくる。俺は東へ進む足を止めて、西へ――火の来た側へ、逆に踏み込んだ。


 範囲の火は、出どころから遠いほど広い。寄るほど、薙ぎの幅は狭くなる。背中で貰いながら走るより、間合いを潰すほうが早かった。


 前腕で顔を庇い、火の薄いところを割る。袖が焦げ、熱が布を抜けて皮膚まで通った。焼けた、とはっきり分かる熱さだった。それでも足は通っている。


「統真っ……!」


 火越しに、声が割れた。火を張りながら、八神はまだ俺の名前を呼んでいた。


 焦げた匂いの向こうで、間合いへ入った。手首を取って捻ると、掌の火が途切れる。体勢はもう崩してある。あとは首の後ろへ、三人と同じ加減を置くよりほかに、することは無い。


 落とすための最後の一手が、他の誰のときよりも遅く出た。


「……とう、ま……」


 崩れる身体を腕で受けて、床へ横たえた。火は、もうどこにも無かった。


 西の奥で、床を蹴る音がした。


 九鬼さんが、まっすぐ来る。二度目の加速は、最初のそれより明らかに鈍い。続けて乗った反動が出ている。足は速いのに、細かい調整が追いつかない走り方だった。それでも並の速さではない。遮るものの無い廊下で、線は一本しか無い。


「戻りや……! まだ戻れるんやで……! 鳴瀬くんっ……!」


 声ごと、突っ込んでくる。


 線の上から半身だけ外し、伸びてきた腕を抱えて、加速の勢いを縦へ逃がした。自分の速さに、自分で振り回される形になる。速い身体ほど、落とし方は選んでやらないといけない。畳んだ身体を床と平行に近い角度で受け、頭から着かせない向きへ返して、衝撃を殺しながら落とす。床へ着くまで、九鬼さんの手は俺の袖を掴もうとしていた。


 打たせたのは、背中の広いところだけだった。


 それでも、九鬼さんは喋るのをやめなかった。


「……なんで、や……」


 床の上から、声が追ってくる。


「うちら、あんたの敵とちゃうやろ……。飯食うて、酒飲んで、しょうもない話で笑うた仲やろ……。なあ……こんなん、間違うとるよ、鳴瀬くん……。行ってもうたら、あかんて……戻ってきぃや……」


 言葉は、最後まで俺へ向いていた。


 俺は、答えなかった。


 五人が、床にいた。


 装備室の扉の前あたりに、固まって倒れている。誰の呼吸も続いていることだけは、一人ずつ目で確かめた。


 ブリーフィングルームの扉口に、九条さんが立っていた。動く様子は無い。名を呼ぶ声も、そこからは来なかった。


 東端のセキュリティ扉まで、遮るものはもう無い。


 歩き出す。


「鳴瀬!」


 背中に、隊長の声が当たった。


 追ってくる足音は無い。最初からずっと、声だけが追ってきていた。その声との距離が、開いていく。


「戻れ! 話は、それからだろうが! ……聞いてんのか、鳴瀬!」


 扉の認証へ手を掛けた。


「鳴瀬ェ!!」


 開いた扉を抜ける。閉まりきる瞬間まで、声は続いていた。


 エレベーターの箱に入り、地上階を押す。扉が閉じると廊下の全部が消え、あとには機械の駆動音しか無い。


 降りていく箱の中で、焼けた前腕が今さらのように熱を持ちはじめた。


◇◆◇


 地上階で、扉が開いた。


 音が、無かった。一斉呼び出しが人を払ったあとの表向きフロアは、東側の受付カウンターまで無人で、明かりだけが点いている。


 正面の遠くに、硝子の自動扉。その向こうが、もう暮れかけていた。窓の無い部屋と廊下を通ってくるあいだに、外は勝手に日が落ちていた。


 隣の箱の扉が、開いたままになっていた。


 誰も乗っていない。開いたまま、止まっている。


 視線を戻すと、ホールの中ほどに、桐野が立っていた。


 俺と表玄関を結ぶ線の上だった。どちらの箱で降りても正面になる場所に、小柄な身体がまっすぐ立っている。白い顔の中で、目だけがこちらを見ていた。


 廊下の北側を走り抜けた影の正体を、俺はここで知った。


「鳴瀬先輩」


 声は、最初から揺れていた。


 俺は歩みを緩めずに近づいていく。距離が詰まっても、桐野は動かない。道を空ける気配も、追いすがる構えも無く、立った場所から言葉だけを出してくる。


「待って、ください。……お願い、します」


 息を吸う音が、静かなホールにそのまま聞こえた。


「事情が、あるんですよね。……あるなら、皆に話してください。話してくれたら、隊は、絶対に力になります。隊長も、八神さんも、九鬼さんたちも……あんなふうに先輩を止めようとするくらい、皆……」


 声が、一度つかえた。それでも続いた。


「私も、協力します。何でもします。できることなんて、少ないですけど……それでも。だから……一人で行くのは、やめてください」


 言い切って、桐野は目を逸らさなかった。非戦闘員は退避が決まりの場面で、その決まりの外に、一人きりで立っている。声の震えは、最後まで消えていなかった。


 俺は、足を止めた。


 廊下では、誰の声にも止めなかった足だった。


 手を伸ばしても届かない間合いで、桐野と正対する。上の階で九鬼さんたちと向き合ったときと、同じほどの距離だった。


 俺は少しだけ声を落とした。この場に二人しかいなくても、この一人へだけ向ける声にした。


「……復讐だ」


 桐野の肩が、揺れた。


「今回のことは、そのために動いた。だから――隊には、頼めない」


 それ以上は、足さなかった。誰を、とも。いつから、とも。


 桐野は、しばらく黙っていた。


 黙って、言葉を探して、見つけた順に出してくる。


「……月城さんの、ことですか」


 俺は答えなかった。答えないことが答えになるのは、分かっていた。


「恋人を、殺されて……その辛さは、私には分かりません。分かるなんて、言っちゃいけないと思います。……でも」


 語尾が崩れ、また立て直される。声は大きくなり、消えかけ、それでも途切れなかった。


「でも、駄目です。復讐は……駄目、です。そんなことをしたら、先輩が……先輩じゃなくなる、って思うんです」


 言葉を探す間が空いて、続きは、ずっと小さい声で来た。


「先輩と、影山さんと、月城さんは、親友だったんですよね。海で、話してくれたじゃないですか。三人で、ずっと一緒だったって……。親友同士が争うことなんて……月城さんが、望むはず、ないじゃないですか……!」


 最後は、叫ぶ声になっていた。


 正しかった。


 どこにも、間違いは無かった。


 俺は、何も返さなかった。反論はしなかった。する気が、無かった。


 桐野のほうへ、歩き出す。


 桐野は動かない。一歩も退がらず、道を譲りもしない。目だけが、近づく俺を追って揺れていた。


 この言葉は全部、俺のために持って来たものだ。規定のためでも、隊のためでもなく。それが分かる声で、桐野は最初から喋っていた。


 手が、先に動いた。


 届く距離まで来て、俺は桐野を軽く抱き寄せた。片腕で、力は入れない。小柄な頭が、肩の下に触れた。


「俺がいなくても、桐野は大丈夫だ」


 腕の中の身体は、動かなかった。腕も上がらず、声も出ない。


「……あとは、頼んだ」


 それだけ言って、腕を解いた。


 桐野の東側を回り、表玄関への直線に戻る。硝子の自動扉が開いて、外の冷気が流れ込んできた。


 外は、冬の夕闇だった。吸い込んだ空気が、喉の奥まで冷えて通る。街灯が点きはじめた道の先、空の色は、藍から黒へ沈みかけている。


 背後の建物から、硝子越しに、泣き声がかすかに届いた。


 俺は足を止めず、振り返りもしなかった。


 暮れきる前の空の下を、歩き続けた。


ストックが無くなってきたので、少しの間お休みしたいと思います。すみません。

そこまで期間は空かない予定です。一週間とか・・・くらいに抑えられたら。

引き続き、よろしくお願いします。>(´∀`(⊃*⊂)

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