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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第5章

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匿名

 地下駐車場に車を入れ、エレベーターで執務室階へ上がった。箱の中は暖房が届かず、上がる数秒のあいだ、吐く息がうっすら白かった。


 扉が開くと、冬の朝の冷えが廊下に薄く溜まっていて、突き当たりの執務室の扉まで一本に続いている。


 腰の後ろに、脇差は無い。出動が入れば装備室で受け取る。通常勤務の日は、丸腰で机へ向かうのが決まりだった。


 コートを脱ぐ動きで、背中と肩の打撲が鈍く軋んだ。仮眠だけの身体は、立ち上がりも座りもひと呼吸遅れる。顔へ出る前に、自席の椅子へ収めた。


 九鬼隊の島は空いていて、朝の執務室は静かだった。


「統真、おはよ……って、なにその顔」


 斜向かいの席から、八神が身を乗り出してきた。


「どの顔だ」


「寝てない顔! 目の下、大変なことになってるよ?」


「寝た」


「何時間?」


「……仮眠」


「それは寝たに入りませーん」


 八神は椅子を戻し、机の上の書類を、とんとんと揃える。


「ま、いいけどさー。倒れるなら宣言してからにしてよね。運ぶのあたしなんだから」


「お前に運べる重さじゃない」


「じょーくんと二人で引きずるもん」


「引きずるな。運べてない」


「贅沢言わなーい。あ、じゃあ台車でいい? 資料室のやつ」


「いいわけあるか」


「元気じゃん。その調子その調子」


 言って、八神はひらひらと手を振った。乗せられたと気付いたのは、返したあとだった。


 軽口はそこで途切れて、八神は自分の端末へ向き直った。深追いは来なかった。それでも、触られたことは残った。


 隣の席で、桐野が一度こちらを見た。


 視線は手元の資料へ戻って、しばらくして、もう一度こちらへ来た。口が開きかけて、閉じる。目が資料へ落ちて、ページをめくる音が続いた。


 教育係なら、ここで拾ってやるところだ。どうした、と一言かければ済む距離に、桐野の席はある。


 俺は、そうしなかった。手元の決裁へ目を戻して、隣の気配が資料へ戻るのを待った。


 待つあいだも、ペンは動かし続けた。分からない字を書いたわけでもないのに、あとで読み返した一枚は、妙に線が硬かった。


 午前は、いつもどおりに流れた。定時連絡の集約に、報告書の決裁、当直表の確認。書類は進み、昼を挟んで、午後も同じ速さで更けていった。


 窓から入る光が斜めに傾いたころ、九条さんが席まで来た。


「鳴瀬さん。ブリーフィングルームへお願いします。手が空き次第で結構です」


「用件は?」


「向こうで」


 銀縁眼鏡の下の表情は、朝の挨拶のときから何も変わっていなかった。俺は決裁を一枚締めて、席を立った。


 立ち上がる動きに、背中が遅れてついてきた。


◇◆◇


 ブリーフィングルームには、先に四人が揃っていた。


 上座に隊長が座り、前方の提示面の脇に、端末を提げた九条さんが立っている。長卓の北側に八神、南側の、一つ空けた席に桐野。卓の上に、資料の類は出ていなかった。


 窓の無い部屋だった。扉を閉めると、外の時刻がこの部屋からは消える。


 俺は、扉寄りの席へ着いた。


「始めます」


 九条さんが言った。


「今朝、上層から下りてきたものがあります。匿名の情報提供です。受領したのは私で、この時点まで、隊の中で知っていたのは私一人でした」


 誰も、まだ何も言わない。八神まで黙っている部屋は、朝の執務室とは別の静けさだった。


「内容は、口で説明するより、見てもらうほうが早い」


 九条さんが端末を提示面へ繋ぐと、照明が半分落ちた。白い面に、映像が立ち上がる。


 夜の映像だった。


 手持ちらしい揺れのある画角で、金網と、建物の外周の暗がりが流れていく。画面の隅では、日付と時刻が刻まれ続けていた。昨夜の日付だった。


 四つの人影が、画面を横切っていく。


 先を行く三人は、フードの影で顔が落ちている。最後尾の一人は、外灯の白をまともに浴びていた。


 俺だった。


 顔の造作まで判る距離ではない。それでも、疑う余地を探す気は起きなかった。肩の運びも、歩幅も、俺のものだった。


 三人の足取りに、急ぐ様子は無い。囲いの切れ目で一度足が揃い、先頭が何かを確かめてから、また動き出す。撮る側を警戒する素振りは、四人の誰にも無かった。


 映像は一分に満たず終わり、九条さんが再生を止めた。照明が戻る。


「撮影地点は、〈黎明神教〉の集会所の周辺。撮影は昨夜です。先行する三名は、装備と体格から〈影環〉と見られています」


 誰が撮り、誰が上げたのかは、最後まで示されなかった。


 室内は、静かなままだった。隊長は腕を組んで提示面を見ている。八神は、口を開けかけた形のまま止まっていた。桐野の目は、白へ戻った面から動かない。


「順に伺います」


 九条さんは提示面の脇から動かなかった。声の高さも、朝の続きのままだった。


「一つ目。映っているのは、鳴瀬さん本人ですか?」


「俺だ」


 即答になった。歩き方まで映っている以上、別人で通す道は初めから無い。無いと分かっている道に、足を置く気は無かった。


 八神の椅子が、微かに鳴った。


「二つ目。〈影環〉と行動を共にしていた理由は、何ですか?」


 答えなかった。


 問いと俺のあいだで、止めた映像の白い面が光っている。理由なら、ある。あるから、言えなかった。


「三つ目。この件には、上から線が引かれています。手を出すな、という指示は隊の全員に下りていた。承知の上で追ったのですか?」


 答えなかった。分かっていて追った。その答えは持っているのに、口へ載せる形にすると、続きの説明ごと引きずり出される。


 記録の手つきで、九条さんが端末へ何かを打ち込んだ。急かしも、繰り返しも無い。沈黙は沈黙のまま、卓の上へ順に積まれていった。


「四つ目。……これは、確認です」


 九条さんは、そこで初めて息を替えた。


「事と次第によっては、裏切りにあたります。その自覚は、ありますか?」


 声は、最後まで平らだった。詰める調子も、荒げる響きも無い。四つの問いは、職務の順番で正しく積まれていた。


 責める声なら、撥ね返しようがあった。敵意なら、敵意で受ければ済む。正しく問われると、返す言葉は出てこなかった。


 卓を挟んで、誰も動かない。隊長は入室から一言も発しないまま、組んだ腕も椅子の角度も変えずにいる。八神が俺と九条さんを順に見て、口は開かなかった。


 桐野は、卓の一点を見ていた。膝の上で重ねた手が、白くなっている。


 話せば、と思った。


 順を追って全部話せば、この隊は動くかもしれない。九条さんなら筋を組み直す。隊長なら、上へ掛け合う。俺一人で線の外を歩くより、よほど遠くへ届く。その見通しは、一度だけ、卓の上に本当に見えた。


 だが、話すなら根から話すことになる。なぜ追うのか。どこへ行き着くつもりなのか。遡っていけば、行き着く根はひとつしか無い。


 復讐だ。


 復讐を追うなと、俺を戒めたのは隊長だった。あの言葉は正しかったし、いまも正しい。正しいと分かっている場所へ、これを持ち出す道は無かった。


 立った期待は、立てた本人の手で潰れた。


 卓の向こうで、八神が何か言いかけて、九条さんに目で止められた。止めた九条さんも、それ以上は問いを足さない。部屋は、俺の番のまま止まっている。


 黙る俺が、この卓からどう見えるかは分かっている。答えないことは、四つ目の問いへ黙って頷くのと変わらない。隊から見れば、いちばん悪い選び方だ。分かった上で、他に選べる形が無かった。


 隊長は、まだ黙っている。追及の側にも、庇う側にも回らないまま、組んだ腕が動かない。その沈黙が、九条さんの問いより深く卓に乗っていた。


 上が線を引いた理由は、今回も示されていない。線の向こうで何が動いているのか、俺は一度も見せてもらっていない。機関は、俺に見せていない線を持っている。疑いとして提げてきたものが、この卓で、確信の側へ据わった。


 見せられないまま座り続けても、歩けるのは線の内側しかない。話せない男が、話せないまま明日も同じ机に着く。その絵は、どこへも続いていなかった。


 部屋には時計の音も無い。どれだけ黙っていたのかは、自分の呼吸の数でしか測れなかった。


 椅子を引いて、立った。


 立つ動きに、背中と肩が遅れてついてくる。卓の全員の顔が、こちらへ上がった。誰か一人へ向けず、部屋の全部へ言った。


「〈裏三課〉を、抜けます」


 理由は付けなかった。付けられる理由を、持っていない。


「は……!?」


 八神が腰を浮かせた。椅子の脚が床を擦って、硬い音を立てた。


「ちょっと待って、統真。なに言って――」


「世話になった」


 八神の続きは、そこで行き場を失くした。浮かせた腰のまま、俺と隊長を交互に見ている。


 桐野は、座ったままだった。顔だけがこちらへ上がって、唇が動きかけて、声にはならなかった。膝の上の手は、重ねた形から動いていない。


 九条さんは、提示面の脇に立ったままでいた。端末を持つ手が下りて、眼鏡の奥の目が、まっすぐこちらを見ている。問いは、もう続かなかった。


 言った言葉は、言った後のほうが重かった。取り消す気は無いのに、口にした途端、この部屋の空気から自分だけが切り離されていく。


「鳴瀬」


 隊長が、初めて口を開いた。


 組んでいた腕が解かれ、卓の上へ置かれる。立ちはしなかった。声も、張られてはいない。


「座れ。話はまだ終わってねえ」


「……すみません」


「理由を言えとは言わねえよ。言えねえ事情ってのは、あるもんだ。黙りてえなら黙ってろ。黙ったまま、ここに座ってりゃいい」


 低い声のままだった。


「だがな、抜けるってのは別の話だ。いまお前が出てけば、あの映像の意味は、お前が自分で決めることになるんだぞ。残って黙るのと、出てって黙るのは、まるで違う」


 正しかった。九条さんの四つの問いと同じで、突ける隙がどこにも無い。


「お前が何を抱えてるかは知らん。知らんが、一人で抱えると決めた奴が、ろくな結果を連れてきた例しを俺は知らねえ」


 卓越しの距離は、縮まらなかった。隊長は声だけをこちらへ寄越して、椅子の位置を変えない。


「一晩置け。明日も同じことが言えるなら、そんときは俺が上と話す。だから今日は、ここまでにしとけ」


 俺は、隊長の目を見た。


 この人は、力では止めない。椅子からも立っていない。言葉で止め切れなければ通す――止め方を、最初からそう決めている目だった。


「……すみません」


 同じ言葉しか返せなかった。返す言葉が同じでも、二度目は一度目より重く沈んだ。


 隊長は、それ以上を重ねなかった。解かれた腕が、卓の上で止まっている。目は、俺から外れなかった。


 扉までは、数歩だった。


 卓の外側を回る。誰の前も横切らず、誰の背も掠めずに通れる並びだった。手を伸ばす者は、いなかった。


「統真!」


 八神の声が、背中に当たった。


 振り返らずに、扉を開けた。廊下へ出る間際まで、部屋の静けさが背中に貼り付いていた。


◇◆◇


 廊下は、無人だった。


 埋め込みの照明が、白い光を等間隔に落としている。ここにも窓は無く、外がいま何時なのかは、廊下のどこからも知れなかった。


 東の端に、エレベーター区画の扉が見えている。今朝、あそこから西へ歩いて、突き当たりの扉を押した。同じ廊下を、いまは逆へ歩いていく。


 エレベーター区画までは、十八メートルほど。遮るものは、何ひとつ無かった。


 背中で、ブリーフィングルームの扉が開く音がした。続いて出てくる足音は、数えなくても顔ぶれが分かる。振り返らなかった。


 背後で、九条さんの声が短く立った。壁の通達装置へ向けた、抑えた声だった。


 半呼吸あって、同じ声が天井から降ってきた。


『各隊へ通達。室伏隊、鳴瀬統真の館内移動につき、規定に基づく制止を要請します。対応は在庁の実働隊に一任。……繰り返します』


 放送の声に、詰める調子は無かった。訓練の招集と同じ、手続きの声だった。その手続きの声で、俺の名前が廊下いっぱいに響いている。


 規定どおりだ。抜けると告げた人間が館内を歩いている以上、九条さんはこれを上げるほかない。あの部屋の問いと同じで、どこも間違っていなかった。


 繰り返しの二度目が、天井を渡って追い越していく。


 足は、止めなかった。


 前方で、装備室の扉が開いた。


 最初に出たのは九鬼さんだった。続いて戸坂さん、瀬戸、鵜飼さん。四人とも装備を着けている。腰の捕縛具に、打撃用の携行装備。出動前の支度のまま呼ばれて、そのまま廊下へ出てきた並びだった。


 四人が、幅いっぱいに広がる。


 九鬼さんが中央、南寄りに戸坂さん、北寄りに瀬戸。鵜飼さんが後列へ立った。三人が横へ並べば、この廊下に、すり抜けられる隙間は残らない。


 俺は、足を止めた。


 互いの手が届かない距離で、双方が止まっている。俺の腰には、何も無い。丸腰の一人へ、装備の四人が並んでいた。


 慰安旅行の晩、この四人とは同じ卓を囲んでいる。酒と飯を挟んで、下らない話で笑った覚えしか無い顔ぶれだった。打ち合う並びより、あの卓の並びのほうが先に立った。


 九鬼さんの目が、まっすぐこちらを見ている。瀬戸は、目が合っても逸らさなかった。戸坂さんは半身に構え、鵜飼さんは腰の束へ手を掛けたまま、誰もまだ口を開かない。


 装備室の扉が、四人の背の向こうで静かに閉まった。閉まる音のあとは、足音もない。硬い床の廊下から、音が順に引いていった。


 九鬼さんが、俺から目を離さないまま、顔だけ僅かに隊へ振った。


「確認や。館内やで。火器は誰も持っとらんな?」


「はい。規定どおりです」


 瀬戸が返した。


「使うてええのは非致死装備だけや。能力は制止の範囲まで。建物を壊す規模は無しやで。……ええな」


「うっす」


 戸坂さんの返事が、狭い断面の廊下で硬く響いた。鵜飼さんは、何も言わずに頷いた。


 確認は隊の内へ向けられたもので、俺へ掛かる言葉は、それきり無かった。それでも、どの一言も、俺に聞かせる声の張りをしていた。


 誰も、まだ手を出していない。


 俺の後ろでも、追ってきた足音が少し離れて止まった。振り返らなくても、間合いの外だと分かる。前も後ろも、知っている顔で埋まって、廊下から出口だけが消えていた。


 張り詰めた音は、どこにも無い。足音が止まった、それだけで廊下は張っていた。


 通るなら、この四人を倒して通ることになる。まだ誰の手も上がっていない距離で、その先の形が、もう見えている。


 俺は、自分に線を引いた。


 殺さない。後遺症も、残さない。


 決めたのは、そこまでだった。


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