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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第5章

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51/65

配分

「五つ」


 祭壇の奥へ向かいかけた足を、その声が止めた。朝霧が帆布の袋の口を広げて、底をこちらへ傾けてくる。首輪型のリングが、底布の上で硬く重なっている。それが何を意味するのかは言わないまま、袋ごと差し出された。


 受け取って、数え直す。指で一本ずつ端へ寄せていく。何度やっても五つで変わらなかった。俺の袋はとうに空で、肩には布の重さしか残っていない。


 五つを自分の袋へ移した。空だった帆布の底に、硬い触れ合いが戻る。数えるほどしか鳴らない音だった。補充の当ては考えるだけ無駄だ。今夜は職務の外にある。届く先も、取りに戻る棚もない。


 広間からは音が引いていた。天井の高いこの部屋では、物音は上へ抜けたきり戻ってこない。作業灯の白さだけが、押し入る前から変わらずにある。終わった感じはしなかった。この建物は、まだ半分も進んでいない。


 槙島は北側の列に沿って歩き、縛めの具合を爪先で確かめて回っている。三十四人は部屋の南寄りに二列で眠っていた。誰も起きない。起きられては困る数を、俺たちはもう知っている。


「この三十四人は、運び出さないのか?」


「後詰はいない。動けるのは、この三人で全部だ」


 透は床の列を見ずに答えた。


「引き取りは、済んでからやる」


 時期も方法も行き先も付かない返事だった。俺はそれ以上を重ねなかった。呑んだ条件をいま量り直しても、戻れる場所はない。


 前室へ続く引き戸を、正気の信徒たちが一人ずつ抜けていく。出口は正面の一枚きりで、百を超える人数が細い列になって流れていくのを、俺たちは待った。履物を拾う音と、畳表を擦る足音が、高い天井へ細く上っていく。


 声は、誰からも出なかった。〈影環〉の三人も手を出さない。俺は止めもせず、導きもしない場所に立って、出ていく背中を見ていた。床の列から顔を背けて通る者と、見たまま足の止まる者がいて、止まった者も、結局は後ろから来る流れに押されて出ていった。


 視界の手前には床へ並べた三十四人がいて、その先を、出ていく列が横切っていく。二つを分けたのは、力を振るったかどうかの一点しかない。振るわないまま座っていた者がいたとしても俺に見分ける目はなく、あの背中のどれかに混じっていたとして、確かめる手段はもうない。


 最後のひとりが正面扉を抜けて、立って歩ける信徒は建物からいなくなった。


 透が北へ歩き出す。並んだ列の横を、俺は通った。端の一人の結び目に目が落ちて、確かめ終えた縛めへまた手が伸びかける。伸ばさずに、前へ出た。この男を、どう倒したのかが出てこない。初めの数人より後は、三十四のどの顔にも覚えがなかった。行き先は、誰も口にしなかった。歩幅は、変えずに通った。


 祭壇の木の台を東へ回り込む。陰の開口は近づいても黒いきりで、先を見せない。朝霧が続き、槙島が最後に列を離れた。


 抜けたところで、頭上が急に近くなった。


◇◆◇


 後付けの天井板が、伸ばした腕の届く高さで続いている。さっきまで、天井は見上げる先にあった。いまは癖で下げた頭のすぐ上にある。照明は天井に点る弱い明かりが数えるほどで、広間より暗く、先の様子が読めなかった。


 足音が硬く、近く跳ね返る。入ってきたときの前室と同じ響き方だった。背中側の広間からは、もう何も聞こえてこない。壁一枚で、あの広さが別の建物になった。


 短い通路を北へ進むと、東西に走る廊下へ丁字で突き当たった。幅は、二人並べば肩が触れるほどしかない。左右に合板の壁が続き、閉じた扉が並び、端は明かりの外に沈んでいる。どの部屋も、扉越しには何も見えなかった。


 四人は縦に並ぶしかなかった。横へ散る場所がない。先頭が処理を終えるまで、後ろは動けない造りだった。速度の話を持ち出すなら、今度は俺が詰まる側に回っていた。


 透が指を立てて、東の端から順に掃くと示した。俺が先頭、すぐ後ろに朝霧、透、槙島。並びは、誰が口で決めたわけでもなく決まった。


 丁字を折れると、すぐ脇に最初の扉があった。把手に手を掛ける。朝霧が斜め後ろへ着いた。


 引き開けた先は事務机と帳面の山で、紙と埃の臭いがこもっていた。奥にいた年かさの男が立ち上がる。手はまだ机の上にあるのに、圧は俺の肩へ先に乗った。上から押さえられるのではなく、俺を囲んだ空気ごと縮んでくる。


 膝を抜いた。圧の芯から外れる。机の角を回って、懐へ入った。顎を浅く打ち抜く。男は帳面の山を崩して床へ落ちた。広間の誰より、年上に見える顔だった。


 次へ――と、体が先に廊下へ戻りかけて、手が止まった。


 倒れた男は扉の内側にいる。廊下へ一歩出て振り返ると、合板の壁が男の姿を半分まで隠した。あと二歩で、全部が隠れる。眠りは装着の代わりにならない。目が覚めれば、力も一緒に覚める。目の届かない場所で覚めた一人は、そのまま俺たちの背中になる。


 広間では、倒した端から全員が視界の中に転がっていた。先に全部倒す。縛るのは後でまとめて。あの順序は、全員が同じ床の上にいて初めて組める。ここでは相手が六つの部屋に分かれて中が見えず、倒した相手を部屋ごとに残して進めば、残した数だけ死角が増える。俺が実演で通した形は、この廊下では組み立てから成立しない。あの勝ちは、六メートルの天井と、袋に二十あった数の上に載っていた。空間と道具が変われば、こうもあっさり手から抜ける。


 後ろへ任せる手も、ない。この幅では、俺を追い越して処理に入った時点で列が割れる。割れた列は、まだ開けていない扉へ横腹を晒す。倒す側と縛る側に分かれる余地は、そもそもこの廊下には用意されていない。


 誰も急かさなかった。透も槙島も、止まった俺の後ろで待っていた。組み直すのに、長くはかからなかった。進む速さを捨てて、一部屋ごとに、その場で終わらせる。開ける、倒す、嵌める、縛る。ひとまとめにして、残る扉の数だけ繰り返す。それしかない。


 朝霧が扉口から男へ視線を通して押さえる。俺は膝をついた。首輪を嵌め、留め具を確かめる。手首と足首を縛った。言葉は一度も要らなかった。


 袋の中は四つになった。


 部屋は残り五つ。全部に人がいれば、足りない。足りるかどうかは、開けてみるまで分からなかった。


 廊下へ出て、向かいの扉を引く。段ボールの積みが弱い明かりに照らされただけで、人はいなかった。積みの口から紙束と蝋燭が覗いている。空きをひとつ引いた。そのぶん足りる目は増えたはずなのに、勘定が軽くなった感じはしなかった。


 隣の扉へ移る。奥は寝泊まりの部屋だった。敷きっぱなしの寝具が二組、湿った臭いを溜めている。起き上がりざまの男から、熱が来た。焦げる臭いは男の側からではなく、俺の袖のすぐ横で立った。


 槙島が前へ出かけた。拳の振りは、天井板に殺された。振り抜く高さがない。入れ替わりに、透が扉口へ立った。それだけで熱が絶えた。柄にも引き金にも、指を伸ばしてさえいない。男は自分の掌を見て、遅れて俺を見た。


 踏み込んで、落とす。朝霧の視線が通り、俺が嵌めて縛る。指示はどこからも出ていない。それなのに、順番は一度も淀まなかった。合わせた覚えはない。合わせられている感じもない。ただ――合っていた。


「……悪くねえな」


 言い回しが指揮の声から外れて、一瞬だけ、昔の近さになった。透は言い直さなかった。俺も、聞き返さなかった。


 袋の中は三つに減っていた。手だけが合っていく。向いているのがこちらだと言うのなら、俺は〈裏三課〉ではなく、こちら側の人間なんじゃないか――そこで思考を切り、向かいの扉を引いた。


 木箱と什器が並ぶだけで、人はいなかった。二つ目の空きだった。開ける前は、扉の数が人数の上限の代わりになっていた。一部屋にひとりずつという読みは、空きが二つ出たところで崩れた。部屋を潰しても、数は減らない。空きか、ひとりか、それとも詰めて何人か。扉の前に立つたび――読みは、最初からやり直しになった。この先に何人残っているのか、積み上げる根拠が消えた。


「おい、袋はあと三つだぞ」


 槙島が背中越しに言った。


「そろそろ俺のやり方に戻すか?」


 俺は答えなかった。答えないまま、次の扉を目で指した。槙島は肩を揺らして、それきり黙った。睨み合いには、ならなかった。


 透が前を向いたまま口を開いた。


「言っておく。袋のそれが尽きた時点で、確実に無力化できるという前提は消える。約束を破る話じゃない。条件が満たされなくなるだけだ」


 声は平坦で、脅しの色はどこにもない。事実をひとつ告げる言い方だった。前提が消えれば、この先は〈影環〉のやり方に戻る。それが何を指すかは、聞くまでもないことだった。


 返す言葉を探して、見つからなかった。言い返す口を一度開いて、閉じた。条件を差し出したのは俺で、その条件は最初から、袋の中の数と同じ形をしていた。


「あと何人いる?」


 透は取り合わなかった。


「奥には、何がある?」


 沈黙が返った。フードと黒いマスクの間の目は、廊下の先を向いたまま動かない。知っていて、語らない。それだけは分かる。先に何人いるかが分からなければ、最後の一つを取っておくべきかどうか、俺には決めようがなかった。決めさせない場所に、透は立っていた。


 残る部屋は二つ。袋の中は三つ。数の上では足りている。その勘定に、この廊下より奥は入っていなかった。


 廊下の西の端へ進む。片方の扉は槙島が肩で押さえて開き、俺が先に入った。それも、指図があっての動きではなかった。


 また寝具の部屋だった。起き上がった相手の動きより先に、俺の膝の高さで空気が水気を帯びる。踏み込みが遅れた。打点が浅くなって、二打で落とすことになった。広間で三十四回振るった右手は熱を溜めたきりで、拳を開くと、開き切るまでに間ができる。留め具に指が掛かるまでも、前より長くかかった。


 袋の中は二つになった。


 最後に残った扉の前で、袋の口を開けて中を見た。そして先に決めた。一番最後の一つは使わない。奥に何がいるかは知らない。知らないまま、それでも残す。間違えたと分かるのは、いつでも使った後だ。


 引き開けると、書棚と綴じた名簿の奥に、白髪の混じった女が立っていた。手はまだ棚に掛かっているのに、締めつけは俺の手首の側で絞られた。その腕ごと踏み込んで、落とす。自分で思った位置より、踏み込みは浅かった。当てる瞬間に膝で送って、ようやく届いた。朝霧が押さえ、俺が嵌めて、縛った。結び目をほどいて、縛り直した。最初の力が、足りていなかった。


 袋の中は一つになった。


 四人の力は、どれも系統が違った。圧、熱、水、締めつけ。同じものはひとつもない。それでいて、現象の立つ場所は全員が同じ側へずれていた。振るう当人の手からでも目からでもなく、狙われた俺の周りから起きる。


 広間で祈っていた連中と、この奥で寝起きしていた世話役。教団の中の別の層で、例外がひとりも出なかった。個体差の説明も、あの広間に集まった偶然も、まとめて捨てた。数の多さが根拠なんじゃない。広がり方が根拠だった。層が変わっても、同じずれが出る。そこまで並べても、理由へは一歩も進めなかった。


 六つの部屋は、これで全部開いた。教団を率いていた人間は、どこにもいなかった。


 廊下を東へ引き返すと、開いたままの扉の奥に、縛られた四人がそれぞれの部屋の床で眠っている。その前を順に過ぎながら、倒れていた場所を思い返した。机の奥、寝具の上、棚の前と、どれも部屋の内側だった。四人とも、自分の部屋から一歩も出ていない。俺たちが西へ移るたび、東側の廊下は空いていた。走ろうと思えば、走れたはずだった。奥へ走った者がいなかった。走れなかったのではない。誰も、逃げようとしなかった。


 東の端で、廊下は北へ折れていた。入ってきたときには角に隠れて見えなかった突き当たりに、鉄の片開き扉が閉じている。建物のほかのどこよりも古く、ほかのどこよりも頑丈に見えた。


 ほかの扉には、出入りの跡があった。把手の塗りが擦れ、敷居の床が鈍く光っていた。鉄扉には、どちらもない。把手にも面にも、開け閉めの痕跡が残っていなかった。


 あと何人いるのかを知る方法は、最後までなかった。訊いても返らず、開けても読めなかった。それでも、残った一つの使い先を決めるには、先の見当が要る。数える代わりに、消すしかなかった。部屋は全部潰した。誰も奥へは逃げなかった。触られていない扉が、一枚だけ残っている。どれも、この目で確かめられたことの外へは出ていない。読み切ったというより、消していった最後にそれが残った。


 俺は鉄扉の正面に立った。透が後ろへ着く。槙島と朝霧は、折れの角に残った。


 扉の向こうから、音はひとつも渡ってこない。背中側の廊下も、もう鳴らない。扉一枚を挟んだ静けさは、それよりさらに深かった。


 手の中で、最後の一つが、天井の弱い明かりを鈍く返していた。


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