↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/63

まどろみの家

 橋を渡ってからの十数分は、細い道を数えるだけで終わった。資材置き場の囲いの手前に車を寄せて、エンジンを切る。約束の時刻より、少し前だった。


 降りたときには、三つの影がもう歩き出していた。街灯は一本きりで、囲いの金網と、段違いに積まれた鋼材の角を照らしている。俺は足を速めて追いついた。誰も振り返らない。


「時間どおりだな」


 透の声だった。フードの下、口元から下は黒いマスクで覆われている。槙島も朝霧も同じ装いで、並ぶと目の見当しか分からなかった。


 俺は濃紺のフードを目深に被っている。マスクの類いは持っていない。鎮静剤と拘束具は腰の後ろに下げた。肩からは帆布の袋を提げていて、首輪型のリングが二十ばかり、歩くたびに中で硬く触れ合う。どれも職場から持ち出した物で、服だけが職務の外にあった。


 顔が出ているのは、四人のうち俺ひとりだった。誰も、それについては何も言わなかった。


 旧道を逸れて、低い住宅と小さな工場に挟まれた区道へ入る。冬の夜気で息が白い。吐いた白さが、フードの縁にかかって消えた。


「段取りは歩きながらだ」


 前を向いたまま透が言った。


「建物は元倉庫の平屋。今夜は定例の集会で、中に百五十かそこらいる。全員が相手じゃない。力を使わない連中には手を出すな。こっちも出さない」


「ああ」


 その一点は、確かめ合うまでもなく重なっていた。


 波形の金属外壁が近づいてくる。看板はない。教団の名も、それらしい意匠も出ていない。〈裏三課〉が参考聴取に入った、あの建物だった。


 高窓から作業灯の明かりが薄く漏れて、中が明るいことだけが外から分かる。物音はしない。百五十人の入った建物が、外からはただの物置きに見えた。


 南面の正面扉の前を素通りして、東へ回る。隣接する倉庫との隙間は人ひとりぶんの幅で、一歩下がれば別の家の塀に背中が着く。離れて全体を見渡せる立ち位置は、どの向きにもなかった。見上げると、窓はどれも床から四メートル半の高所で、出入りには使えない。


 北面の西寄りに大型の引き戸があった。倉庫だった頃の搬入口だ。槙島が把手にかけた手を、すぐに離して首を横に振る。施錠。破れば音も時間も食う。歩く速度は落ちないまま、透の説明は必要になった順に一言ずつ足されていく。全体をまとめて渡す気配は、初めからなかった。訊けば返ってくる。ただ、訊くより先に足が進んだ。西面に開口はなかった。


 一周して南面へ戻る。残ったのは正面の両開きだった。選ぶ余地は最初からなくて、それを自分の目で確かめるための一周だった。


「入るのは集会の最中だ。頭数がいちばん揃う時間に合わせる」


 透が言った。揃うのは力を使う側の頭数で、同じ屋根の下には使わない側も揃っている。狙いとしては正しく、〈裏三課〉なら選ばない正しさだった。


 俺はそれを言葉にしなかった。歩幅だけ合わせた。


 正面扉の前で、槙島が先頭に立つ。膝を沈めて、肩から鉄扉へ入った。両開きが蝶番ごと内側へ弾け飛んで、住宅街の静けさが一度で断たれた。


◇◆◇


 扉の内側は、天井の低い前室だった。


 後付けの天井板が頭のすぐ上にあり、照明は薄暗い。左右の壁沿いの下足棚に履物が詰まっていて、中央やや西寄りの長机の奥では、世話役らしい年配がひとり、腰を浮かせたきり固まっていた。力を使う気配はない。誰も手を出さなかった。


 足音が低い天井に硬く跳ねる。数歩で奥の開口に着いた。引き戸は開け放たれている。


 抜けた瞬間、頭上が消えた。


 天井まで六メートル。板を張っていない元倉庫のままの梁と、使われなくなった荷役のレールが、吊られた作業灯の上に浮かんでいる。狭い前室で硬く鳴っていた足音が、急に遠くなった。


 床は打ちっ放しのコンクリートに薄い畳表。その上に、百を超える人数が座っていた。祭壇と呼べるのは北の壁の手前にある簡素な木の台ひとつで、像も、名前を書いたものもない。


 百幾つの頭が、一斉にこちらを向いた。


 立ち上がる。逃げようと腰を浮かせる者、隣にしがみつく者、まっすぐこちらへ向き直る者が入り混じって、どれが多いのかも分からなかった。


 悲鳴は思うほど上がらなかった。視界の左では、老いた女が座ったまま両手で耳を塞ぎ、その真後ろに立った男は、もうこちらへ踏み出していた。


 同じ畳表で祈っていたはずの二人が、数秒で別のものに分かれていく。分かれ目は、外からは見えなかった。


 最初に来たのは水だった。


 右手の男が腕を突き出す。水はその手からではなく、俺の足元の床から噴き上がった。太い柱になって胸を突きにくる。半身で外し、噴き上がりの根元を踏み越えて、男の懐へ入った。顎の横を掌の付け根で打つ。膝が抜けて、男は畳表へ落ちた。


 次は熱だ。左前方の女が息を吸った。予兆はそこまで普通の能力者と同じで、熱はやはり女の指先からではなく、俺と女のあいだの空気から立った。前髪の先が焦げる。熱の帯の下を潜って足を払い、落ちる肩を支えながら意識だけ刈った。


 三人目の圧は、予兆が読み切れなかった。正面の男は動いていないのに、右の肩口を横から押された。見えるものは何もない。押される向きに逆らわず一歩流れて、勢いのまま距離を潰す。鳩尾に短く入れて、崩れる襟を掴んで寝かせた。


 締めつけも来た。足首に、握られたような感触。出どころを探しても、誰の手もそこにはない。強まる前に軸足を替え、術者らしい若い男――視線がこちらの足首に落ちていた――へ踏み込んで、こめかみの横を打った。締めつけは、床に落ちた男と一緒に消えた。


 左手の奥で、火の色が膨らんだ。壁際へ寄っていく信徒たちのすぐ横だ。膨らみきる前に、火は掻き消えた。


 数歩後ろで、透が火の主を見ていた。刃にも銃にも触れていない。見られた側は自分の力が消えたことに追いつけないまま、朝霧の干渉に膝から縛られて倒れた。


 あの雑居ビルで一度、向けられた力だ。能力のない俺の膝まで沈ませて、二の太刀を遅らせた。感触はあのときのままで、それ以上を考える暇はなかった。


 四人、五人。数えていたのはそのあたりまでだった。


 振るわれてから、力を使う人間だと分かる。分かってから、倒す。祈っていただけの人間と使う人間は、立ち上がった時点では見分けがつかないから、順序は最後まで裏返らない。常にこちらが一手遅れて、遅れたぶんは速度で取り返すしかなかった。


 中央を、北へ押し上げていく。


 水、熱、圧、締めつけ。系統はばらばらで、同じものはほとんど続かなかった。それなのに、ひとつだけ全員に共通するものがある。


 出どころだ。


 どの力も、術者の手からも目からも立ち上がらない。現象は決まって、狙われた側の周りから直接生まれる。ひとりやふたりじゃなく、倒した全員が例外なくそうだった。


 篠塚未央。〈裏三課〉で確保した、水を使う娘と同じ感触だった。あのときは、珍しい個体差だと自分に言い聞かせ、説明の立たない一点は棚に上げたままにしていた。


 個体差では、片づかない気がした。


 この建物の中に、あれと同じものが何十人といる。意味は分からない。分からないまま、背中の産毛が逆立っていた。


 西寄りで、槙島が動いた。


 振り向いたときには、床に転がした相手の襟首を左手で吊り上げ、右の拳を頭の高さまで引いていた。強化の乗った拳だ。鉄扉を蝶番ごと飛ばした出力を、動けない人間の頭蓋へ落とす軌道だった。


 押さえるための一撃じゃない。終わらせるための一撃だ。


 考えるより先に床を蹴っていた。中央から西へ割り込み、振り下ろされる腕の内側へ肩を入れて、拳ごと軌道を外へ流す。拳は床へ落ちて、畳表ごとコンクリートを砕いた。


「……なんだ、てめえ」


「殺すな」


 倒れている男を背に庇う形で、槙島と向き合った。マスクの上の目が、本気で殺気立っている。


 視界の端に、透の小太刀があった。倒れた相手の首筋の上で、刃が止まっている。押さえの位置じゃない。引けば終わる位置だった。


 透も槙島も、最初からこの手順で動いていた。縛る道具を、そういえばどちらも提げていない。


「なぜ殺す」


 透は答えなかった。マスクの上の目は、感情の読める形をしていなかった。


 北側で、残った連中が距離を測り直している。囲いの弧が、止まった時間のあいだにも縮んでいた。


「私も、縛る側に回る」


 声は東から来た。朝霧だった。倒した相手のそばに片膝をついたまま、顔だけこちらへ向けている。


「蒼。あれは、本人じゃない」


 蒼、と呼ばれたのは槙島だった。短い一言の意味は、俺には取れなかった。本人じゃないなら誰なのかと問い返す間もなく、槙島が吐き捨てた。


「だから何だよ」


 槙島は俺を睨んだまま続けた。


「いいか、まだ半分も残ってんだ。一体ずつ縛って進む時間で、こっちが囲まれる。四人しかいねえんだぞ。途中で一人でも取りこぼしたら、死ぬのはこっちか、後ろで震えてる連中だ」


 思想の話をしていなかった。速度と確実性の話だ。だから性質が悪い。縛る手順が遅いことは、〈裏三課〉の人間である俺が、この場の誰よりよく知っている。


「縛るのは後でいい」


 口に出してから、順序を組み立てた。逆じゃない。口が先だった。


「先に全部倒す。倒すのは俺がやる。嵌めるのも縛るのも、倒れてからで間に合う。意識のない人間は、力を使えない」


「……全部って、おい」


「見てろ」


 答えを待たずに、北へ向き直った。


 こちらの停滞を見て、押し返せると踏んだ数人が前に出てくる。手前の男の足元から水が湧く。湧ききる前に距離を潰して、打つ。熱が空気に立つ。立つ位置を読んで外し、沈める。締めつけは軸足を替えてやり過ごし、術者ごと落とした。


 途中から、それは戦いというより工程になった。予兆を読む。出どころのずれを織り込んで外す。懐に入って、落とす。同じ動きの繰り返しが、拳の皮膚と肺の底に少しずつ溜まっていった。


 何人目かで、掌の付け根の皮が、血の出ないぎりぎりまで張り詰めた。何人目だったかは、もう分からない。倒す相手の顔を覚える余裕は最初の数人で尽きて、残っているのは重さと当たりどころの感触になっていた。


 踏み込む足が、半端に濡れた畳表を掴みそこねる。それを直す動きまで、繰り返しの中に組み込まれていった。


 朝霧の干渉が、暴れる力を一人ずつ止めて、こちらの数秒を作る。一度に一人の力でも、一人分の数秒があれば足りた。透は中央の後ろから動かず、槙島も拳を下ろしたまま動かなかった。


 最後の一人が床に落ちたとき、この室で立っているのは四人と、南へ、前室の側へ下がっていく信徒たちになっていた。


 息は上がっていた。隠す気も起きなかった。拳の付け根が熱を持って、指を開くと関節が鈍く軋む。数はこういうふうに効いてくるのかと、倒し終えてから知った。


「三十四」


 透が言った。数えていたらしい。


「言いたいことは分かった、統真。速度は認める。そのうえで、条件がある」


「言え」


「縛った身柄は、全員こちらで引き取る。お前の職場には渡さない。呑めるなら、この先も同じやり方で構わない」


「引き取って、どうする?」


「こちらで引き取る」


 同じ言葉が、同じ平らさで返ってきた。それ以上は言わないという形の返答で、マスクの上の目は動かなかった。


 倒れている男を見た。さっき、槙島の拳の下から引き出した男だ。息はある。この息を続けさせることと引き換えに、行き先を手放す。


「……分かった。身柄は渡す」


 自分の声で、そう言った。


「決まりだ」


 透が小太刀を納めた。槙島は舌打ちを残して北側へ歩いていき、倒れた連中の状態を確かめて回りはじめる。決まったことは蒸し返さない。そういう荒さだった。


 そこからは、手を動かす時間だった。三十四人を室の南寄りへ移して並べ、朝霧が押さえ、俺がリングを嵌めて、手足を縛る。課の手順なら装着の前に鎮静が挟まるが、殴って落とした相手は、もう眠っている。腰の鎮静剤には触れないまま、そのぶん手が速くなった。


 取り決めはしていない。俺が次の一人の前に膝をつくと、朝霧の干渉が先にそこへ移っていて、押さえの効いた身体が手元に残る。三人目からは、目を合わせる必要もなくなった。朝霧は手元しか見ていなくて、それで足りていた。


 二十人を過ぎたあたりで、袋の底が見えた。手を入れると、指が布に触れる。持ってきた数は、三十四に届かなかった。


 顔を上げる前に、隣から袋が差し出された。朝霧は何も言わない。開けると、首輪型のリングが同じ向きに詰まっていて、数は俺が持ち出した分と変わらなかった。


 一本を取り出して、手の中で見た。留め具の形も、継ぎ目の位置も、職場で使ってきた支給品とどこも違わない。手が、止まった。


「……これを、どこで」


 朝霧は答えなかった。干渉はもう、次の一人の上へ移っている。俺は問いをそのままにして、その首へ手を伸ばした。


 リングは系統を問わず効いた。水の男にも、熱の女にも、同じに効く。なぜ効くのかを考える材料は、俺にはなかった。


 一人に一分とかからない流れが、それでも三十四回続いた。二人分で、数は足りた。最後の一人の手首を縛り終えたとき、朝霧の袋に残っていたのは数個だけだった。


 信徒たちは前室の方へ少しずつ下がっていく。誰も声を出さない。祈りの続きをする者もいない。下がりきらない人数が、まだ東西の壁際に残っていた。


 顔を上げたとき、初めてそれが目に入った。


 祭壇の木の台、その東側の陰。奥へ抜ける開口が、扉もないまま黒く開いている。交戦のあいだ、一度も意識に上らなかった。


 この建物は、まだ終わっていない。


「東の列、終わった」


 隣で朝霧が結び目を確かめて、立ち上がった。フードの奥の目は、もう開口へ向いている。


「ひとつ訊いていいか?」


「どうぞ」


「あんたはなんで、縛る側に立った?」


 答えは返ってこなかった――朝霧は縛り終えた列を見渡して、それから顎で北を指した。


「奥が残ってる」


 続きはなかった。俺は立ち上がって、理由の分からない味方と並んで、祭壇の奥へ歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。