↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/62

一旦解決

「昨日の取り調べの結果を、報告します」


 昼前の執務室に、俺の声は思ったよりよく通った。打合せ卓の短辺に室伏隊長。長辺の一方に俺と桐野が並び、向かいに九条さんと八神が座っている。


 卓の上に載っているのは、九条さんの前の書類の束と、俺の前の報告書一部だけだ。紙は、九条さんの側にだけ積み上がっている。こちらの手元は、薄い。昨日見てきたものの大半は紙にならず、俺と桐野の言葉で運ぶしかなかった。積めるものと積めないものが、この卓では分かれていた。街側の窓から冬の日が低く入って、天板の端を白くしていた。隣の隊の島では、電話の応対が続いている。


 桐野は手帳を膝に置いて、開く頁に指を挟んでいた。俺は一枚目をめくった。


「取り調べは昨日の午後、中継拘禁場で行いました。途中、施設側の判断で中止になっています。……順を追って報告します」


 まず、否認が三つあった。


「篠塚未央は、〈黎明神教〉への所属、被害者の警察官の殺害、確保時の水の行使。この三つを否認しました」


 信徒名簿に自分の字で名前があることは、認めた。字の癖まで自分のものだと言い、認めたうえで、書いた覚えがないと続けた。


 殺害の否認は、俺たちより先に施設側の担当が押していて、すでに形になっていた。取調室でも、被害者が死んだのは確保の現場だと突き合わせていた――それでも、その人と自分がどう繋がるのかは、本人の中で結ばれずにいた。先月、職場の近くで被害者の聴取を受けた記録さえ、存じ上げないと。水にいたっては、質問の意味そのものが通じていなかった。


「三件とも、嘘をついている素振りがありません。答えを作る間ではなく、探しに行く間があって、それから、ない、と返ってくる。毎回です」


「確保時の記録への反応は?」


 九条さんが顔を上げずに訊いた。


「音声を聞かせました。祈りの文言を口にしている、本人の声です。篠塚は、自分の声だと認めました。認めたうえで、言った覚えがない、と」


 卓の向かいで、八神が組んでいた腕を組み直したが、口は挟まなかった。


「最後に、桐野が質問を替えました。何をしたか、ではなく、何を覚えているか、です」


 隣で桐野が手帳を開いた。


「いちばん新しい記憶から、順に辿ってもらいました。九月の職場の行事までは、日付も細部も揃って答えられます。そこから先が、ありません」


「ない、というのは?」


「本人の言い方では、思い出せないのではなく、探しに行った先に何もない、と。空白は、およそ二か月分です。本人が自分でそこに行き当たって、数えて、取り乱しました」


「……二か月」


 八神が口の中で繰り返した。続きは、誰も足さなかった。


 桐野の声は硬かったが、揺れてはいなかった。見たことを、記録の順に置いていく。


「補足します。否認までの間は、三件とも同じ長さでした。隠しごとの間なら、質問ごとに揺れるはずです。……取り調べはそこで中止。鎮静も、以後の経過観察も、施設側が担っています」


「……演技の線は、ないんだよね?」


 八神が、探る色のない、確かめるだけの調子で訊いた。


「施設側は、演技を疑っています。虚偽供述の推定のまま、記憶の欠落は本人の心身状態の事象として記録されました。……同じ場に居て、俺と桐野は、そうは受け取っていません。それも含めて、報告書に書いてあります。取り乱しているあいだ、水の一粒も出ていません。攻撃の形は、最後までどこにもありませんでした」


 しばらく、誰も口を開かなかった。書類をめくる音が、卓の上を渡っていった。


「物証の側を、並べ直します」


 九条さんが束の角を揃えて、卓の中央へ向け直した。


「現場に水を運んだ痕跡がないこと。鑑識所見の、溺水の性状の不一致。所轄の内偵資料、信徒名簿を含む一式。被害者本人の捜査メモ。確保時の音声と映像。……五点、すべて揃っています。供述に一切頼らず、事案は組み上がります」


 冷たい並べ方ではなかった。揃っている事実を、揃っている順に置いただけだ。置き終えてから、九条さんは付け足した。


「逆に言えば、供述だけが、どこにも繋がりません」


 繋がらない、という言い方が正確だった。異常だ、と言うことはできる。その先を続ける言葉を、この卓の誰も持っていない。俺も、持っていない。


 室伏隊長は、最後まで黙って聞いていた。急かしもせず、頷いて流しもせず、書き付けも取らなかった。腕を天板に置いた姿勢が、報告の頭から終わりまで崩れなかった。視線も、こちらに据えられたきりだった。俺が報告書を閉じ、桐野が手帳を伏せても、まだしばらく黙っていた。


「――全部、聞いた」


 やがて、隊長は言った。


「そのうえで伝える。上の判断は、もう降りてる。今朝の時点でだ」


 卓が、静かになった。


「物証をもって、事案は成立。一旦解決として、上層管轄へ送る。供述の異常は、被疑者の心身状態の問題として、処遇側の判断材料に回る。身柄は今日中に移送だ。……俺たちの手は、これで離れる」


「移送から先は?」


「処遇の分岐も含めて、現場は関知しない。問い合わせの窓口も残らない。そういう扱いだ」


 今朝の時点で。隊長は、決まっていることを知ったうえで、俺の報告を最後まで聞いたことになる。聞くことに意味がある、と考えたからだろう。そう分かっても、報告で結論が動く余地が初めからなかった事実は、軽くならなかった。一旦、という言い回しは、まだ続きがあることを示していた。だが、その続きを決める権限は、もう俺たちの手にはない。


 言うなら、ここしかなかった。


「隊長」


 声は張らなかった。張らずに言えることだけを、選んで言った。


「物証で組み上がるのは、分かります。九条さんの並べたとおりです。ただ、供述だけが説明できていません。二か月の空白は、心身状態の一語で畳める類のものじゃないと思います。あの場で見た者として、そう言えます。……その一点を、判断の材料に載せてもらえませんか」


「見立ては、否定しない」


 隊長は、目を逸らさずに言った。


「異常は異常だ。お前たちの報告は削らせない。書いたとおり、全部そのまま上へ付ける。ただな、鳴瀬。載せるかどうかを決める場所に、俺たちはいない。実働隊の仕事は確保までだ。その先は、持ってる側が決める」


 間はあった。迷いの間ではなく、実務の距離で言われて、俺には、それ以上に載せる言葉がなかった。筋は、どこも間違っていない。誰も怠けていないし、誰も隠していない。間違っていると言えない相手に向かって、俺の手札は、見た、という一枚きりだった。


「……分かりました」


 自分の声が、引き下がる形になった。


「記録は、正しく残ります」


 九条さんが、束を手前へ引き戻しながら言った。


「供述の全文も、桐野さんの記録の写しも、移送に付けます。読む人間が読めば、異常は異常のまま残る。現場にできる閉じ方としては、これが正しい閉じ方です」


「……次、あるから」


 八神が椅子を引いて、立った。いつもの明るさが、声から半分落ちていた。


「次も、ちゃんとやろ。ね、統真」


「……ああ」


 八神は頷いて、自分の席へ戻っていった。


 卓が解けた。隊長が立って自分の机へ戻り、九条さんが束を抱えて続く。桐野は少し遅れて席を立ち、俺に一礼して離れた。


 俺は、卓に残った。引かれたままの椅子が四つ、半端な角度で止まっており、戻されない椅子だけが、さっきまで報告があったことの名残だった。自席へ戻った四人の背中は、もう次の仕事の姿勢だった。


 天板の上には、もう何もない。報告書は九条さんの束へ合流して、移送書類の一部になった。言うべきことは、全部言えた。全部言えても、何ひとつ動かなかった。


 やがて俺も立って、自分の席へ戻った。戻れてしまう。そのことのほうが、卓に残っているより応えた。


 部屋の音が、いつもの音に戻っていく。電話、キーボード、綴じ具の鳴る音。事案がひとつ増えても減っても、この音は変わらない。


 午後は、次の当番の書類仕事で流れた。移送の完了通知が九条さんの端末に入ったのは、日が落ちる少し前だ。篠塚未央の名前は、その一行を最後に、隊の管理簿から消えた。桐野も自分の机で書類に戻っていた。手は動いている。動かし方が、少し丁寧すぎた。


 定時を回って、帰り支度をする。上着を取って、椅子を机へ入れた。


 通路側へ歩く途中、資料キャビネットの前に桐野が立っていた。棚の一段に沿って、背表紙を目でゆっくり追っている。手帳は持っていない。探し物の速さではなく、読む速さだった。


 声はかけずに、扉を出た。


 突き当たりでエレベーターを呼ぶ。箱を待つあいだ、金属の扉に通路の明かりが細長く映っていた。地下へ降りると、白い蛍光灯が天井に等間隔に並んで、公務車両の列の先に自家用車の区画がある。俺の車は、いつもの端にいた。区画の白線の中で、車体が冷えた色をしている。乗り込むと、シートの冷たさが背中まで来た。


◇◆◇


 エンジンをかけ、スロープを上がって地上へ出た。出口の遮断機が上がって、庁舎の明かりが背後へ遠のいた。葛尾区の外れは夜が早い。暗い倉庫の並びを抜けると、大通りの信号の色だけが増えた。


 冬の夜だった。自宅までは南へおよそ二十五分。通い慣れた道で、カーナビに案内をさせることはない。ラジオも、点けない。車内にあるのは、路面を拾うタイヤの音くらいだった。


 隣の席には、誰も乗っていない。


 暖房が効いてくるまで、ハンドルは指の芯まで冷たかった。信号で停まると、前の車の灯が路面に滲んで、青で流れていく。考えは、進まなかった。進める先がない。事案は送られ、書類が付いて、身柄は移った。管理簿から名前が消えるところまで、手続きは今日のうちに済んでいる。


 済んでいないのは、こちらだけだ。


 確かめに行って、確かめられずに帰った。持ち帰ったのは、行く前より深い分からなさと、報告書の一部だった。その報告書も、もう手元にない。解決したことになって、誰の手にも残らない事案が、これでまた一件増えた。上のどこかで判が押されて、それで終わる。本気で追う気があるのかどうかは、押された判からは読めない。


 二か月をどこにも持っていない人間の顔が、消えなかった。音を入れない車内の静けさに、取調室の白い照明ごと、時々浮かんだ。あの二か月がどこへ行ったのかを訊く立場を、俺は今日で失った。


 透の言ったことは、正しかった。あいつの言葉が指したとおりの場所に、指したとおりの人間がいて、俺はそこへ行き当たった。動いて、確かめて、結果がこれだ。当たっていた、という事実の置き場所を、俺はまだ持っていない。


 考えは、そこで止めた。止めても車は道を覚えていて、南へ進んでいく。


 羽鳥区へ入ると、道が一本ずつ細くなる。信号が減り、街灯の間隔が広がっていく。対向車も、数えるほどになった。前面道路から、低い塀と植栽の切れ目を折れて、敷地へ入る。


 ヘッドライトが白線と区画番号をなめて、集合玄関寄りの定位置で止まった。ハンドルを切る角度まで、体が覚えている。


 ライトを落として、エンジンを切った。


 音が落ちる。冷えはじめた金属が、ボンネットの奥でかすかに鳴った。外灯が数基、屋根のない駐車場をまばらに照らして、フロントガラスの向こうに冬の空がある。星は、数えるほどだった。集合玄関までは、歩いて数十歩。降りれば、今日が終わる。


 ドアレバーに掛けた手が、そこで止まった。シートベルトは外した。暖房の残りが足元から薄れて、窓の外の冷えと釣り合っていく。駐車場には、ほかに人の気配がない。数秒、俺は降りなかった。


 上着のポケットで、私用の端末が震えた。


 震えは短く、続かなかった。電話ではない。エンジンの切れた車内で、それが唯一の、外から来た音になった。仕事用の端末は鞄の中で黙っている。この時間に、私用へ入れてくる相手に心当たりはなかった。


 取り出す。画面の白が、暗い車内では強すぎた。メールが一件。件名はない。


 知らないアドレスだった。文字列に意味も読めない。差出人の名前は、空欄だった。


 広告なら、開いて終わりだ。開いた。


 本文は、二行だった。挨拶も、名乗りもない。


 一行目は、待ち合わせの指定だった。地名がひとつと、時刻がひとつ。頼むとも、来いとも書いていない。指定が、事務連絡ほどの素っ気なさで置いてある。……地名に、見覚えがあった。知らない土地ではなかった。時刻も、深夜でも早朝でもない。会おうと思えば会える組み方を、している。


 それだけなら、宛先違いで済んだ。だが、二行目が、それを許さなかった。


『机の上のぺんぎんは、まだ倒れずにいるか』


 読み終えるのに、時間は要らなかった。読み終えたあとの時間のほうが、ずっと長かった。外灯の白の下で、俺は同じ二行を見ていた。


 〈ゲート〉の男子寮、俺の個室の、机の上。深い青の、ぺんぎんの置物。指で突くと、揺れて、倒れずに姿勢を戻す。職場の机では抽斗にしまう性分の俺が、あの部屋でだけは、隠さずに出していた。誰かに話したことは、ない。


 話す必要がなかった。あの部屋に入って、机の前に座り込んで、飽きもせずにあれを突いていた人間が、いたからだ。倒れかけては起き上がるのを眺めて、笑っていた声まで、憶えている。


 世界に、一人だけ。


 驚けばいいのか、構えればいいのか、どちらも来なかった。先に、名前だけが来た。


 透だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。