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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第4章

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45/58

豹変

初評価を入れてくださった方、ありがとうございます。励みになります。

引き続き、よろしくお願いします。>(´∀`(⊃*⊂)

 確保の翌日は、紙の仕事から始まった。


 十二月の低い日が、執務室の街側の窓から机の列の途中まで届いている。室伏隊の島では朝からペンと打鍵の音ばかりが続いた。話し声は少なかった。昨日の朝まで張り詰めていたものの、ちょうど裏側の時間だった。


 俺の机には、確保時の時系列の下書きが載っている。声掛けの時刻、交戦の秒数、鎮静剤と抑制具の順、収容班への引き渡し。書ける欄は、あらかた埋まった。


 埋まらない行が、ひとつある。あの水が、どこから立ち上がったのか。書式のどこにもそれを載せる欄はなく、載せる言葉のほうも、まだ見つかっていない。俺はその一行を余白に残して、先にほかを仕上げることにした。


 空気は、ゆるかった。装備の返納は朝のうちに済み、濡れた外套も乾燥機から戻ってきている。俺は席を立って、八神の机に紙包みを置いた。


「タオル。洗って返す」


「ん、律儀だねえ。外套は乾いた?」


「ああ。もう戻ってる」


「十二月に水浸しはないよ。あたしなら三日は根に持つね。統真、けろっとしてるけど」


「濡れただけだからな」


 桐野は隣の島側の席で、時系列の照合を進めていた。


「九条先輩。時系列は、秒まで要りますか?」


「分で構いません。映像との突き合わせは、私の側で済ませます」


 短い問いと答えが、ときどき島を渡る。それきり、またペンの音に戻った。九条さんは眼鏡の奥で画面を追い、記録映像の整理を続けている。隊長は自席で決裁の束を捌いていた。案件は昨日の朝、収容班に身柄を渡した時点でうちの手を離れている。あとは紙を仕上げれば、通常の当番に戻る。誰もが、そういう頭でいた。


 十一時前に、隊長の卓上の電話が鳴った。


「室伏だ。……ああ、どうも」


 相手の声は、こちらまで届かない。ただ、途中から相槌の間隔が変わった。


「……ええ。……いや、構いません。続けてください」


 悪い報せを受ける声ではなかった。処理に困るものを受け取っている声だ。メモを走らせる音が短く続いて、受話器が置かれた。


「中継拘禁場からだ。二件ある」


 隊長が椅子を回して、島へ体を向けた。打合せ卓へ動く者はいない。俺と九条さんが席を立ち、八神が椅子ごと滑ってきて、桐野が手帳を持って端に加わる。机の周りに、腰を据えないゆるい輪ができ、資料を持つ者はいなかった。


「一件目は検査だ。発現者性の確認、波長検出機にかけた結果が出た。異常値、測定不能。再検も同じ値だそうだ」


「測定不能、ですか」


 九条さんが眼鏡を上げた。


「記録上は『測定不能、機器再検要』で起票。特異例の欄に付記して確定した、と。装置側の問題だから、現場で気にすることはない――そういう伝えだ」


「据置機で測定不能は、あまり聞きませんね。現場持ち出しの機材ならまだしも、施設の据置機は較正が通っています。……装置の問題だと言われれば、そこまでですが」


「特異例というのは、規定の分類にあるものですか?」


 桐野が手帳から顔を上げた。


「書式に欄があるそうだ。俺も聞くのは初めてだがな。――二件目だ」


 紙の音が、島から消える。


「篠塚の目が覚めた。覚醒下の様子が、確保時と一変しているそうだ。穏やかで、受け身で、質問には丁寧に答えようとする」


「……え、なにそれ。暴れてるほうじゃなくて?」


「逆だ。それで施設の見立ては作為だ。責任能力を争う支度か、心神喪失の主張の下拵え。よくある型で、起票するほどの異常でもない、だそうだ」


 八神の声から、ノリが半分抜けていた。昨日、篠塚のうなじに針を入れたのは八神だ。


「昨日のあの感じから、そう来るかあ」


 九条さんが静かに口を開いた。


「覚醒後の様子まで、こちらへ流してくるのは珍しいですね。ふだんは、身柄を渡した先の話は戻ってきません。……供述で争うなら、初動から一貫させるのが定石です。確保時の記録は声掛けから確保まで全部残っていますから、突き合わせれば崩れます。手間の割に粗い作為ですが、ないとは言えません」


「どのみち、身柄も判断も、もううちの外だ。振り分けは上の管轄。報告書だけ仕上げてくれ。以上だ」


 輪は、二、三分でほどけた。八神が椅子を転がして戻り、九条さんが画面へ向き直る。桐野は手帳を閉じて、書き取った要点を読み返している。誰の顔にも動揺はなかった。作為を疑うのは筋のいい見立てで、記録と突き合わせれば白黒はつく。実務としては、それで正しい。


 俺だけが、自分の席へ戻りそこねていた。


 足が窓のほうへ逸れる。街側のガラスの手前で止まった。屋根の連なりが低い日を照り返して、光が目の高さまで上がってくる。


 湯気の向こうの声が、戻ってきていた。


『これまでにも、確保の前と後で、人が変わったみたいに豹変した奴は、いなかったか?』


『注意して、その線を追え。お前なら、たどり着ける』


 あの夜、湯の中で透が置いていった言葉だ。意味は、あのときも分からなかった。いまも分からない。ただ、たったいま島に落ちてきた事実と、あの言葉の形が、隙間なく重なっている。捕まえたあとで、別人になっている人間。あいつの言った線の、ちょうど真上だ。


(あいつの言葉で、動くのか)


 声にしてみれば、それだけのことだった。まゆりを殺した男が、湯の中で寄越した言葉だ。忠告として受け取る筋合いはない。受け取って動けば、俺はあいつの引いた線の上を歩くことになる。恨んでいる相手に、導かれて。喉の奥が、それを嫌がって硬くなる。


 それでも、昨日の通りで見たものは消えない。俺のまわりから立ち上がった水。抑揚のない祈りの声。目が覚めて、別人になった被疑者。説明のつかないものが三つ並んで、施設の側では、もう説明が済んでいる。あの場に立っていたのは俺で、確かめられるのも俺しかいない。


 行く。誰の言葉が始まりだったとしても、確かめるのは俺の目だ。乗せられているのだとしても、確かめもせずに捨てるほうが、俺にはできそうにない。


 決めてから、体を回した。隊長の席まで、机三つぶんを歩く。歩きながら、迷いは窓のところへ置いてきた。


「隊長。頼みがあります」


 決裁の手が止まり、顔が上がる。


「中継拘禁場の取り調べに、俺を入れてください。名目は、確保時の状況の確認。……確保のとき、現場で引っかかったことがあります。自分の目で確かめたい」


 引っかかりの中身は、言わなかった。報告書に書けなかったあの一行を、口で説明する言葉も、まだない。


 隊長は俺の顔を、少しのあいだ見ていた。理由を掘られるかと思ったが、出てきたのは別の言葉だった。


「いいだろう、承認する。施設には俺から申し送る。数値は出ない、本人は認めない。そこまで重なれば、確保した側の目で間違いのないことを確かめ直す筋は残ってる。めったに動く筋じゃないがな。言っておくが、確保部隊の参加は補助じゃない。質問はお前が主導していい枠だ。そのつもりで行け」


「はい」


「向こうが受ければ今日の午後だ。すぐ分かる」


 受話器がまた上がり、短いやり取りで枠が取れた。置かれるのと入れ替わりに、椅子を引く音がした。桐野が立ち上がっている。


「鳴瀬先輩。私も同行させていただけませんか?」


 まっすぐこちらを向いた声だった。


「理由はふたつあります。取り調べの場を、私はまだ見たことがありません。手順を実地で見て覚えたいのが、ひとつ。もうひとつは、被疑者が女性であることです。所持品や身体に関わる確認、体調の訴え、退室の付き添い。同性の隊員が同席しているほうが、進めやすい場面があるはずです」


 筋は通っている。教育の順番としても、早すぎはしない。答える前に、桐野の視線が俺の顔の上で一拍止まった。何かを言いかけて、やめた間だ。それ以上は、踏み込んでこなかった。


「分かった。来てくれ」


「はい」


 隊長が受話器を取り直して、同行一名を書き足した。それから、桐野へ顔を向ける。


「向こうでは鳴瀬の指示で動け。書き取りは自由だが、紙の持ち出しは施設の規定に従え」


「分かりました」


 八神が「おっ、しおりんデビューじゃん」と茶々を入れ、九条さんが「全部記録される場所ですから、軽口は置いていったほうがいいですよ」と続けた。桐野は真顔で頷いてから、後半が自分ではなく八神へ向いた言葉だと気づいて、眉を下げた。


 支度は上着と手帳で済んだ。装備は要らない。


「いってらっしゃい。手土産はいいから、明るいうちに帰りなよ」


 八神が手を振り、九条さんが目礼で送った。何も提げない両手が、出動の朝よりよほど軽い。車列の端の一台に乗り込むと、二人分のドアの音が、低い天井に短く響いた。


◇◆◇


 庁舎から中継拘禁場までは、同じ区内で三十分の道のりだった。


 ハンドルは俺が持った。桐野は助手席で手帳を開いていたが、道の半ばで口を開きかけ、そのまま閉じた。俺も何も足さなかった。午後の日はフロントガラスの右で低く白み、車内ではヒーターの音が回り続けていた。


 市街地が切れると、道の両側は倉庫と小さな工場に変わった。空き地が増え、看板が減っていく。昨日の確保現場と、よく似た並びだった。同じ景色の奥に今日の行き先があることが、妙に落ち着かない。


 目印は、フェンスだった。背丈の倍近い目隠しの板が、街区の一角をまるごと囲んでいる。中はまったく見えない。切れ目は車両用の一か所しかなく、板にも門柱にも、施設の名はどこにも出ていなかった。


 門の前に停めると、こちらが名乗るより先に、扉が電動で横へ滑り出した。申し送りが通っていて、遠隔で見られている。開いた奥に、灰色の箱が建っていた。


 鉄筋の二階建てで、外壁は無塗装に近い灰色、窓は数えるほどもない。倉庫だと言われれば信じる外形だ。名のない建物に、名のない門から入っていく。隣で、桐野が手帳を持ち直す衣擦れがした。


 建物の北面には、屋根つきの車寄せが接していた。護送車両が横付けして、人を外気に晒さずに搬入できる造りだ。昨日の朝、篠塚はここを通っている。動線の形だけで、それが分かった。


 受付は車寄せの奥に直結していた。窓口で身分を照合され、入館の記帳を済ませると、預かり品はないかと問われた。装備は置いてきている。台帳の受領記録が目に入った。昨日の日付、朝の時刻、受領者の印。昨日の護送は、この一行に着地して終わっていた。桐野は俺の斜め後ろで、記帳の書式と台帳の並びを目で追っていた。


 出てきたのは、四十絡みの男だった。取り調べ担当だと名乗ったきり、余計な挨拶はない。窓口脇の小卓に綴りを置き、こちらへ向けて開いた。


「先に、検査の記録です」


 紙の上では、話は短かった。測定不能、機器再検要。再検の欄に同じ字が並び、その下の「特異例」の欄に短い付記が入って、確定の印が打たれている。特異例の欄は手書きの継ぎ足しではなく、書式のほうに最初から刷られていた。桐野が手帳へ、書式の名を写している。


「測定不能というのは、装置に何がどう出ると、こうなるんですか?」


「装置側の問題です。私どもから申し上げられるのは、そこまでです」


 突き放す声ではなかった。規定を読み上げるのと同じ、乾いた声だ。男が隠しているのではない。この先の答えが、はじめから用意されていない。


「覚醒後の様子を伺えますか?」


「穏やかです。受け答えは丁寧で、協力的と言っていい。確保時の記録とは、はっきり食い違います」


 綴りのページが繰られた。


「ああいう変わり方は、作為と見ます。責任能力を争う支度か、心神喪失の主張の下拵えか。珍しい型ではありません。確保時の記録は全部いただいていますので、突き合わせは順にやります」


「俺は確保の現場にいました。その食い違いを、自分の目で確かめに来ています」


「結構です。質問は主導していただいて構いません。同席はお二人とも、と伺っています」


 見立てを動かす気は、向こうにない。こちらにも、覆すだけの材料がない。同じ記録を見て、読み方が分かれている。押し合う場所のないまま、手続きが進んだ。


 担当が先に立ち、廊下の防火扉を抜けた。扉一枚で、音の質が変わる。受付側の事務の物音が消え、硬い靴音が残った。天井の低い空調音が、その間を埋めている。廊下の中ほどに施錠された階段室の扉があり、その先に取調室の並びが続く。どの扉にも、覗き窓はなかった。中を見るなら、隣のモニタ室の画面を通すしかない造りだ。


 桐野は俺の半歩後ろにいた。視線が動いて、扉の並び、天井の記録機、階段室の錠を順に拾っていく。質問はしない。張りつめているのは、手帳を持つ指の白さで知れた。


 並びの奥の手前で、担当が足を止めた。


「こちらです。被疑者は五分で入ります」


 灰色の扉だった。表示は室番の数字きりで、飾りも札もない。


(あいつの言葉で、ここまで来た)


 迷いなら、庁舎の窓辺で済ませてある。


 灰色の扉は、まだ動かない。この向こうの気配は、何も伝わってこない。靴音のやんだ廊下を、天井の低い空調音だけが、同じ高さで満たしつづけていた。


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