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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第3章

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凪のあと

 翌朝はよく晴れていた。


 海月亭の玄関先に荷物を並べ、十人ぶんの靴がたたきに散らばっている。仲居さんに見送られながらのチェックアウトだった。


「戸坂、しゃきっとせえ。みっともない」


 九鬼さんの声が飛ぶ。


 名指しされた戸坂さんは、こめかみを押さえたまま、壁にもたれていた。昨夜の酒がまだ抜けきっていないらしい。


「……九鬼隊長。声が、響きます」


「自業自得や」


 九鬼さんはにべもなかった。


「美里、大目に見てやれ。休みの夜くらいはな」


「分かっとるわ、厳。どっちの隊が拾った酔っぱらいでも、潰れたら同じや」


 隊長と九鬼さんが笑い合う。


 俺は自分の荷物を肩にかけながら、その様子を眺めていた。


「鳴瀬。出発は十一時の集合な。それまで、各自で凪洲を見てこい」


 隊長がこちらへ顔を向けた。


「あと、念のためだ。何かあれば、すぐ戻れるようにしとけよ。公務車両で来てる以上、休暇でも俺たちは俺たちだ」


「分かってます」


 休暇中でも、即応の義務は外れない。それを承知で、この旅は組まれている。こんな晴れた朝にも、それは変わらない。


「じゃ、解散。集合は駐車場の前な。遅れた奴は置いてくぞ」


 隊長の合図で、一行はめいめいの方向へ散っていった。


 潮路通りは二日目も賑わっていた。


 昨日と同じ商店街なのに、帰り際だと思うと、店先の一つひとつがやけに名残惜しかった。海鮮を焼く炭火の匂いが漂い、土産物屋の呼び込みが響き、軒には干物が吊るされている。それを、もう一度目に焼きつけておきたくなる。


「統真ー、こっちこっち」


 八神が雑貨屋の店先で手を振っていた。


 桐野がその隣にいる。九条さんは少し離れた古書を扱う店の棚を、黙って眺めていた。


「何だ」


「お土産。あんた昨日、アザラシ買ったでしょ。ああいうの、もう一個くらい、並べたら?」


「いらん」


 言いながら、店の棚に目をやったのが、まずかった。


 貝殻を寄せ集めて作った小さな置物が並んでいる。その中に、まるい体につぶらな目をつけた、ラッコの細工がひとつ、紛れていた。


 昨日、桐野に勧められて買ったアザラシのキーホルダーと、どこか似た顔をしている。


 それに、目を留めてしまった――ほんの一瞬だけ、俺は。


「あ」


 八神が見逃さなかった。


「いま、止まった。絶対、止まった」


「止まってない」


「しおりん、見た? 統真のこの顔。これがね、鳴瀬統真の『かわいいもの感知レーダー』が反応した瞬間ね」


「八神。やめろ」


「うちの最強さん、銃も刀も使うのに、まるっこいやつには勝てないの。弱点」


 桐野が口元を押さえて、肩を震わせていた。


 昨日、商店街でこの手のいじりを一度くらった。それをまだ覚えているらしい。


「……鳴瀬先輩。買えば、いいと思います」


 桐野が控えめに言った。


「昨日の、アザラシと。並べたら、きっと、可愛いです」


「お前まで言うのか」


「す、すみません。でも、本心です」


 うつむきながらも、その口元はほどけていた。昨日までのおどおどした新人の顔とは、少し違う。夜の海岸で過去を打ち明けたあの後だからか。妙に距離が近い。


 俺は観念して、貝殻のラッコを一つ手に取った。


「……一個だけだ」


「やったー、落ちた!」


 八神が両手を上げた。気づけば、九条さんが隣の棚の向こうまで来ていた。ため息ひとつ、寄越してくる。


「八神さん。人の財布で勝負しないでください」


「じょーくんも何か買いなよ。辛気くさい古本ばっかり見て」


「私は、これを」


 九条さんが手にしていたのは、地元の漁業史をまとめた薄い冊子だった。八神が心底わからん、という顔をした。


「旅行先で、それ……?」


「資料です。土地を知るのは、捜査の基本でしょう」


 しれっと言う九条さんに、八神が「出た、仕事人間」と茶々を入れる。


 俺は会計を済ませて、ラッコの包みを鞄にしまった。


 桐野がそのあいだに、隣の文具屋で何冊かの手帳とペンを選んでいた。土産にしては、ずいぶん実用的だ。


「桐野。それ、土産か?」


「あ……はい。自分用です」


 桐野は少し慌てたように、手帳を胸に寄せた。


「最近、覚えることが多くて」


「真面目だな」


「いえ、そんな」


 新人が向学心を見せている。それだけだ。俺は深く考えなかった。


 潮路通りを桐野と並んで歩いた。


 九鬼隊の宮田さんが土産物屋で迷彩柄の手ぬぐいを大量に抱えているのを、鵜飼さんが冷ややかに眺めていた。瀬戸がその横で、まともな干物を選んでいる。


「坊や」


 すれ違いざま、鵜飼さんに呼び止められた。


「坊やのその趣味、こっちはとっくに知ってるけどね。今日も八神ちゃんが、それは楽しそうに言ってたわよ」


「……何のことです?」


「ふふ。隠さなくていいのに」


 妖艶に笑って、鵜飼さんは行ってしまった。


 桐野がこらえきれずに、声を漏らした。


 潮の匂いと、人いきれと、隊のざわめき。その全部がもう終わるのだと思うと、足が少しだけ重くなった。


◇◆◇


 十一時。


 駐車場の前に、車が二台並んでいた。


 来たときと同じ公務車両だ。看板もマーキングもない地味な車体が夏の陽を鈍く照り返している。これを庁舎へ返さなければ、俺たちの休暇は本当には終われない。


「忘れ物、ないなー?」


 八神が点呼するように、車内を覗き込む。


 もう一台、九鬼隊の車では、戸坂さんが後部座席でもうぐったりしていた。瀬戸がその隣で、水のペットボトルを手渡している。


「運転、どうする? 美里、お前飲んでたろ?」


「昨日のうちに、ちゃんと抜いとるわ。二日目に運転控えるくらい、計算してる。厳こそ、寝起きで握って事故るなや」


「言うな」


 隊長と九鬼さんが互いの隊の車のキーを確かめ合っていた。


 俺は室伏隊の車の窓際の席に乗り込んだ。桐野が間を置いて、隣に座る。


 車が動き出した。


 潮路通りの賑わいが窓の外を、後ろへ流れていく。海の家の屋根や土産物屋の幟が、だんだん小さくなって、やがてただの海沿いの道になった。


 約二時間の帰り道だ。


 しばらくは車内も賑やかだった。八神が誰かのいびきの真似をして、桐野を笑わせていた。九条さんが買ったばかりの冊子を律儀に読んでいる。けれど、トンネルをいくつか抜けるうちに、その賑わいも少しずつ静まっていった。


 桐野はいつのまにか窓にもたれて、眠っていた。


 よほど疲れたのだろう。新人なりに、気を張りつめた二日間だったはずだ。


 俺は流れる景色をぼんやりと見ていた。


 二日間のことが頭の中をとりとめもなく流れていく。


 潮路通りの賑わいが蘇り、海の家の屋根が浮かび、八神の笑い声と九条さんの呆れ顔、隣で眠る桐野のあどけない寝顔が重なる。連戦のあとの束の間の休みだった。それも、もう終わろうとしている。


 悪くない二日間だった。素直にそう思える。


 昨夜の透のことが、ときおり頭の隅をよぎる。けれど、いまは流れる景色に、そっと預けておくことにした。考えるのはあとでいい。


 車の振動が規則正しく体を揺らしていた。


 車が見慣れた街へ入っていく。


 潮の匂いはとうに消えていた。代わりに、都会の乾いた空気が窓の隙間から忍び込んでくる。日常がすぐそこまで戻ってきていた。


 〈裏三課〉庁舎の地下駐車場。


 スロープを下りると、ひんやりとした空気が車を包んだ。コンクリートの天井に、白い蛍光灯が等間隔で並んでいる。来たときと同じ場所に、二台の公務車両が収まった。


「お疲れさん。ここで解散だ」


 隊長がエンジンを切って、伸びをした。


 めいめいが車を降りて、荷物をまとめる。眠っていた桐野が目をこすりながら、慌てて鞄を抱えた。


「九鬼隊は、上で報告書だけ片づけて、今日は上がれ。鳴瀬たちも、明日は通常番だ。ゆっくり休め」


「はーい」


 八神が間延びした返事をする。


 九鬼さんが室伏隊のほうへ、ひらと手を振った。


「厳、楽しかったわ。桐野ちゃんも、よう頑張ったな。また現場で会お」


「九鬼さん。ありがとうございました」


 桐野がぺこりと頭を下げる。


 九鬼隊の足音がエレベーターのほうへ遠ざかっていく。戸坂さんの気だるげな声が、まだ聞こえていた。鵜飼さんが宮田さんをからかう声も、それに重なっていた。やがてそれは、扉の閉まる音と一緒に、ふっと消えていく。


 駐車場がしんと静まった。


「鳴瀬先輩」


 桐野がこちらを向いた。


「あの……ありがとう、ございました。昨日の夜のこと」


「礼を言われることじゃない」


「でも。聞かせてもらえて、嬉しかったです。私、ちゃんと、覚えておきます」


 桐野はそれだけ言って、八神に呼ばれて、駆けていった。


 車両の施錠と鍵の返却、その最後のひと仕事を隊長から引き受けて、俺は一人、車の脇に残った。


 鞄の中で、貝殻のラッコがかさりと鳴った。アザラシのキーホルダーに並んで、間の抜けた顔がもうひとつ増えていた。なんとなく、おかしさがあった。


 二日間が終わった。


 連戦の疲れが確かに少し癒えていた。海も、温泉も、隊の馬鹿騒ぎも、悪くなかった。それは本当だ。


 ただ、胸の底が来たときより、少し重かった。


 まゆりを殺したのは、透だ。それは揺るがない。


 なのに、あの湯の中で軽口を叩いた横顔が、どうしても人殺しのものには見えなかった。あんなふうに笑う奴が――まゆりを、手にかけたのか。その問いが恨みの底に、小さな棘のように刺さって、抜けなかった。


 恨んでいるはずの男と、昔のように、言葉を交わしてしまった。その座りの悪さが恨みと並んで、居座っている。


 ――確保の前と後で、豹変する奴。


 あの忠告もただの世間話だとは、思えなかった。あいつの目は本気だった。何かを俺に託そうとしていた。意味はまだ分からない。


 いつか、その意味が分かる日が来るのか。


 来たとして、そのとき俺は透をどうするのか。


 答えの出ない問いを、いくつも抱えたまま、俺は地下駐車場の出口へ向かった。


 明日からは、またいつもの日常だ。


 ただ、その日常の先で、何かが静かに、こちらへ近づいてきている。そんな予感だけが凪いだ海の底のように、低く、胸に残っていた。


これにて第3章が終了です。コメディ寄りの章でした。

次章から、また裏三課での事件を扱います。

よろしくお願いします。>(´∀`(⊃*⊂)

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