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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第3章

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白凪浜

 海の家で着替えをすませて浜に出ると、夏の光が、まともに顔に当たった。


 白凪浜は、名前のとおり、白っぽい砂が弓なりに伸びる浜だった。沖のほうに、遊泳エリアを区切るブイが点々と浮いている。平日の午前だからか人出はやや少なめだが、それでも家族連れや学生のグループが、ぽつぽつと砂浜に散っていた。


 視界の端に、隊の女性陣の色が入ってきた。八神のオレンジに、鵜飼さんの黒。派手だ、とだけ思って、視線を海へ流した。


 潮の匂いと、波の音。連戦のあいだ嗅いでいたのは、埃と消毒液と、焦げた火薬の匂いばかりだ。それを思えば、ここの空気は、ずいぶん遠くまで来た実感があった。


 と、横を、丸い影が一つ、駆け抜けていった。すごい速度だった。


 戸坂さんだ。


「うぉおおお、海ぃーー!」


 丸坊主の大男が、両手を広げて、まっすぐ波打ち際へ突っ込んでいく。砂を蹴立てて、そのまま盛大に海へ飛び込んだ。水柱が上がる。


「戸坂さん、はやい」


 俺は、思わず呟いた。


「準備運動とか、しないんですね」


「あの人に、そういう概念ないんだよ」


 隣に来た瀬戸が、荷物を砂に下ろしながら、げんなりした顔で言った。海に来ても、その役回りは、変わっていなかった。


「移動中もずっと、海でなにするか考えてたみたいで。子どもかよ、って」


「聞こえてるぞ、瀬戸ぉ」


 水面から顔を出した戸坂さんが、こっちへ手を振っている。


「お前も来い! 冷たくて気持ちいいぞ!」


「行きませんよ。まだ荷物も置いてないのに」


◇◆◇


 パラソルが一本、砂に立った。


 その下に、いちはやく陣取ったのは九条さんだった。海パンの上にTシャツを着たまま、折りたたみの椅子を広げ、文庫本を片手に長い脚を組んでいる。日陰から一歩も出る気のない構えだ。


「九条さん、泳がないんですか?」


「私は、ここで結構です」


 眼鏡の奥の目が、ちらりと海を見て、すぐ本へ戻った。


「水も砂も、後始末が面倒なだけでしょう。日陰で読書。これが正解です」


「じょーくん、せっかく海に来てそれ!?」


 ビーチボールを抱えた八神が、目を丸くして詰め寄った。


「もったいないでしょ。泳ご? ね?」


「断ります」


「のりわるーい」


「ご自由にどうぞ。私の自由は、ここにあります」


 取りつく島もない。八神が、ぶうと頬を膨らませた。


 俺は、その横を通って、適当な荷物番の位置に腰を下ろした。日陰の端、九条さんの少し前。海も砂浜も見渡せて、自分は濡れずに済む。悪くない場所だ。


 その荷物のそばには、桐野が、着替えを終えたきり、おずおずと座り込んでいた。パーカー型のラッシュガードのファスナーを、首元まで上げたままだ。羽織りの下に、白い縁取りの、淡いミントグリーンの水着がのぞいている。


 羽織りっぱなしでは、日焼けは防げても、濡れて擦れれば肌の負担になる。そこまで考えて、やめた。休暇の浜で、後輩の装備を査定してどうする。


 荷物の山の脇には、隊の通信機器と現場端末が、タオルにくるんで置いてある。休暇とはいえ、公務車両で来ている以上、事件が立てば即中断して戻る。それは、隊の誰もが承知のうえだ。海に浮かれていても、そこだけは、ちゃんと手の届く場所にあった。


「あら、鳴瀬くんも見物組?」


 パラソルの向こうから、九鬼さんが歩いてきた。室伏隊長と並んで、二人とも、すでにどこかのんびりした顔をしている。


「鳴瀬くん、ほんまに泳がへんのやな」


「見てるほうが、性に合ってるので」


「無理にとは言わんけどな。若いうちは、こういうの、もっと楽しんどき」


「美里、お前も人のこと言えるか」


 隊長が、横から茶々を入れた。


「お前だって、足首までしか浸かってねえだろ。だいたい、その水着だか作業着だか分からねえ恰好はなんだ」


 濃紺の競泳型に、ラッシュパーカーを重ねた身なりだ。たしかに、泳ぐための恰好ではない。


「アホなこと言わんとき。動きやすいのが一番や、現場と同じやろ。うちは、これでええの。濡れたら髪が乾かんのや」


 言いながら、九鬼さんは砂に腰を下ろし、二人して、子どもらを見守る並びになった。年長者は年長者で、ちゃんと自分の楽しみ方を心得ているらしい。


◇◆◇


「鳴瀬ー、ちょっといいか」


 声に振り向くと、宮田さんが、両腕にいっぱいの荷物を抱えて立っていた。


 浮き輪、ビーチボール、予備の弾でも詰めてあるらしい四角いケース。それから、やたらと武骨な黒い筒が、何本も。


「これ、見てくれ。今日のために、組んできたんだ」


 宮田さんが、得意げに、その黒い筒を掲げた。


「自作の、水中投擲弾だ。中に色のついた水が入ってて、当たると派手に弾けて――」


「待ってください。これ、海で使うやつですか?」


「もちろん。実戦的な水鉄砲ごっこ、できるぞ。射程も計算済みで」


「実戦的な水鉄砲ごっこ、って、なんですか」


 俺が訊き返すより早く、横から白い手が伸びて、その筒を、ひょいと取り上げた。


 鵜飼さんだ。黒のホルターネックの水着に、薄手のパレオを腰に巻いている。俺は視線を筒へ戻した。


「あんた、こんなもん持ち込んで。ほんっと、しょうもないわねえ」


「う、鵜飼様。それは、繊細な精密機器で」


 宮田さんは、鵜飼さんを直視できず、筒だけを見て言い募っている。


「精密機器ね。ふぅん」


 鵜飼さんは、筒を裏返したり振ったりしながら、にやりと笑った。


「壊れたら、どうしようかしら?」


「待ってください、待って、それだけは。お願いします、なんでもしますから」


「なんでも? いい言葉ね」


 宮田さんが、嬉々として詰め寄り、鵜飼さんが、けだるそうにそれをあしらう。いつもの構図だ。海に来ても、この二人の力関係だけは、何一つ変わらない。


「坊や」


 筒を宮田さんに放り返して、鵜飼さんが、今度はこっちへ流し目を向けてきた。


「あなた、こっちを見もしないのね。この水着、いい線でしょう?」


「日焼け対策なら、面積が足りないと思いますが」


 鵜飼さんが、吹き出した。


「真顔で言うことかしら、それ。まあいいわ。あなたも、たまには日陰から出たら? その背中、白くてもったいないわよ」


「結構です」


「つれないわねえ、坊やは」


 ふふ、と笑って、鵜飼さんは波打ち際へ去っていった。俺は日陰から出ず、腰のパレオが遠ざかるのを見送った。


◇◆◇


 浜に出てしばらくは、みんな思い思いに水を楽しんだ。


 戸坂さんは沖のブイの手前まで泳いではまた戻るのを繰り返した。八神は宮田さんの浮き輪を横取りして、その上で大の字に波へ揺られている。桐野も、八神に手を引かれて、おそるおそる胸の高さまで海に入り、寄せる波のたびに、小さな声を上げていた。


 ひとしきり泳いで、水に飽きたころ。


「よーし、じゃあ、ビーチバレーやろう!」


 砂浜の真ん中で、八神が高らかに宣言した。どこからネットを引っ張り出してきたのか、もう手早く張り渡しはじめている。準備のよさだけは、認めるしかない。


「チーム分けね。えーっと、しおりんは、こっち! あたしと組も」


「えっ、わ、私ですか?」


 荷物のそばで所在なげにしていた桐野が、ぴくりと顔を上げた。


「私、バレーなんて、ぜんぜん」


「いいのいいの。やってりゃ慣れる。ほら、おいで」


 八神が、半ば強引に、桐野の手を引いていく。桐野は、おたおたしながらも、引っ張られるまま、ネットのこちら側に立たされた。


「あ、しおりん、それは脱ぐ! 変な日焼けの跡、つくよ」


「で、でも……これ、八神さんが選んでくださったやつで。その、私には、かわいすぎます」


「かわいいから選んだんじゃん。ほら」


 桐野は、少しためらってから、観念してラッシュガードを脱いだ。フリルのついた、ミントグリーンの水着が日の下に出る。


「……に、似合わないですよね」


「似合ってるんじゃないか」


 俺が言うと、桐野は耳まで赤くなった。それでも羽織りは着直さず、畳んで荷物へ置いて、小走りにネットへ戻っていった。


「相手は……戸坂さんと、瀬戸くん、どう?」


「おう、やるか!」


 海から戻ってきた戸坂さんが、即答した。


「手加減はしねえぞ。新人だろうが、容赦なし」


「戸坂さん、相手は新人さんですよ。常識的に考えて、加減してください」


「瀬戸、お前は固いんだよ。海ぐらい、はじけろ」


 瀬戸が、はあ、とため息をついて、それでも位置についた。文句を言いながら、ちゃんと付き合ってやるのが、瀬戸だ。


 最初のサーブは、八神が打った。


 ボールは、ふらふらと頼りない弧を描いて、相手コートへ落ちかける。それを、戸坂さんが、走り込みざま、思いきり叩き返した。


 ボールが、鋭い速さで戻ってくる。


「ひゃっ」


 桐野が、悲鳴を上げて、両手で顔をかばった。ボールは、その腕に当たって、あらぬ方向へ跳ねていく。


「戸坂さん、だから加減を……」


「あー、わりい。つい」


「だ、大丈夫です。びっくりしただけで」


 桐野が、赤くなった腕をさすりながら、それでも、笑っていた。怖がっているというより、楽しんでいる顔だ。


「しおりん、いい根性! 次、いくよ」


 八神が、桐野の背中をぱしんと叩いて、ボールを拾いに走る。全力の駆け足でも、水着はどこもずれない。動くための造りだ、と査定しかけて、二度目だと気づいた。


 二球目。今度は、桐野のところへ、ふわりとボールが上がった。


 桐野は、ぎゅっと目をつぶって、めちゃくちゃに腕を振り回した。


 偶然、その手の甲に、ボールが当たる。ぽーん、と間の抜けた音を立てて、ボールは、戸坂さんの頭を、軽く越えていった。


 一瞬、誰もが、それを目で追って。


 戸坂さんの後ろにいた瀬戸が、慌てて飛び込む。けれど、伸ばした指先は、落ちてくるボールに、わずかに届かなかった。


「――入った!」


「やった、しおりん、ナイス!」


「えっ、え、入りました? 今の、入りましたか?」


 桐野が、自分でも信じられない様子で、きょろきょろしている。八神が、飛びついて、その肩を揺さぶった。


「入った入った! すごいじゃん!」


「ま、まぐれです、たぶん」


「まぐれでも一点は一点や。ええぞ、桐野ちゃん」


 砂の上から、九鬼さんが、ぱちぱちと手を叩く。室伏隊長も、にやにやと笑っていた。


「新人、やるじゃねえか。おれの頭、越えてったぞ」


 ネットの向こうで、戸坂さんが、白い歯を見せて笑う。


「す、すみません、戸坂さん。わざと、じゃなくて……」


「謝るとこじゃねえだろ。胸張れって」


 その隣で、瀬戸も、苦笑しながら、桐野に軽く手を上げてみせた。


「いい度胸だよ、桐野さん。戸坂さん相手に一点なんて、そうそう取れない」


「い、いえ、まぐれで……」


 恐縮しながらも、桐野は、まんざらでもなさそうに、口元をゆるめている。


 俺は、日陰から、それを眺めていた。


 配属されたばかりのころは、隊の誰に話しかけられても、ひたすら恐縮して肩を縮めていた桐野が、今は、ボール一つに一喜一憂して、戸坂さんの剛速球にも笑っている。


 ずいぶん、ほぐれたものだ。


「鳴瀬先輩」


 ふいに、桐野が、こっちを見て言った。額に汗を浮かべて、息を切らしている。


「先輩は、やらないんですか?」


「俺は、日陰からの判定でいい」


「えー、ずるいです。先輩も、混ざってください」


「審判がいないと、お前ら、得点で揉めるだろ」


 言うと、桐野は、少し考えて、それから、ふふ、と笑った。


「……たしかに、揉めそうです」


 戸坂さんと瀬戸が、さっき一点で本気で言い合っていたのを、ちゃんと見ていたらしい。後輩は、こういうところが、存外しっかりしている。


◇◆◇


 試合は、結局、勝敗のよくわからないまま、うやむやに終わった。審判に収まった俺も、途中で数えるのをやめていた。


 途中から、宮田さんの投擲弾だの、鵜飼さんの参戦だの、戸坂さんの一人ではしゃぐ分だので、もうビーチバレーの体を成していなかった。気づけば、半分以上が、ただの水のかけ合いになっている。


 宮田さんの投擲弾は、ぱしゃりと派手な音を立てて、青やら赤やらの色水を撒き散らした。当てられた戸坂さんが大笑いし、そのとばっちりを浴びた鵜飼さんが、宮田さんを冷ややかに睨む。撃つたびに、宮田さんの手持ちは、一本、また一本と減っていった。


「統真ー! そんなとこ隠れてないで、こっち来なよ!」


 八神が、びしょ濡れの髪で、手招きしてくる。


「来ないと、こっちから行くよー?」


「やめろ。それは脅迫だ」


「じゃあ、来る?」


「行かない」


「もー、かたいなあ」


 八神が、わざとらしく頬を膨らませて、それから、ぱっと、いたずらっぽい顔になった。嫌な予感がした。


 次の瞬間、八神が、両手で海水をすくって、こちらへ振りかけてくる。


 とっさに身をひねって、半分はよけた。それでも、肩から腕にかけて、冷たいしぶきが散る。


「あ、よけた。統真、反射神経よすぎ」


「お前な」


「えへへ。一回くらい、いいでしょ」


 悪びれもしない。俺は、濡れた腕を払いながら、ため息をついた。何年経とうと、こいつはこいつのままだ。


「鳴瀬」


 いつのまにか、瀬戸が、隣で同じように水を払っていた。同じく、八神の流れ弾を食らったらしい。


「逃げ場、ないな、ここ」


「ないな」


 言いながら、二人して、似たような手つきで腕の雫を払っている。それがおかしくて、どちらからともなく、苦笑が漏れた。濡れたって、こういう休みなら、まあ、悪くはない。


◇◆◇


 ひとしきり騒いで、昼が近づくころには、遊んでいた面々は、さすがに息が上がっていた。


 戸坂さんは、砂浜に大の字だ。満足そうに、空を見上げている。宮田さんは、中身を使い切った投擲弾を、惜しそうに眺めていた。八神と桐野は波打ち際にしゃがみ込み、さっきから貝を拾い集めていた。九条さんは、相変わらず日陰で、文庫本のページをめくっていた。


「腹、減ったな」


 砂を払いながら立ち上がって、隊長が言った。


「そろそろ、引き上げるか。昼は、商店街で食うんだろ」


「潮路通りやな。あそこ、海鮮の食べ歩きがうまいて聞いたで」


 九鬼さんが、立ち上がりざま、伸びをする。


「楽しみやわ。さ、みんな、着替えてきいや」


「はーい」


 間延びした返事が、あちこちから返ってきた。


 桐野が、波打ち際から駆け戻ってくる。手のひらに、小さな桜貝を二つ、大事そうに載せていた。


「鳴瀬先輩、見てください。きれいでしょう?」


「ああ。きれいだな」


「八神さんと、半分こにしたんです」


 そう言って、桐野は、また浜のほうへ戻っていく。その足取りは、来たときより、ずいぶん軽くなっていた。


 俺は、日陰から立ち上がって、砂を払った。


 濡れずに済ますつもりだった腕も、八神のおかげで、結局は少し湿っている。けれど、不思議と、それが嫌ではなかった。


 潮風が、汗をうっすら冷やしていく。ほどよく疲れた体に、その風が、ちょうどよかった。


 昼飯のことを考えると、急に腹が鳴った。


 桐野の手のひらにあった桜貝の色を思い返しながら、俺は、海の家へ足を向けた。


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