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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第2章

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突破

 真夜中の宵待町は、昼間とは別の街の顔をしていた。


 看板の光は半分落ち、酔客の波も引いている。表通りのクラブが看板を下ろし、人の流れが途切れたのを見計らって、俺たちは動き出した。


 二台のワゴンを、繁華街の端に分けて停めた。そこから先は、徒歩だ。


「規制、上がりました」


 無線の向こうで、九条さんの声が低く流れた。陽動隊に付いて、表通り側に回り込んでいる。


「ガス点検の名目で、裏方が三本の路地を塞いでます。所轄は噛んでません。この区画、いまは私たちの貸し切りです」


 路地の入口に、見慣れない作業着の一団がいた。


 〈裏三課〉の支援要員だ。三角コーンを並べ、点検中の札を掲げて酔客に頭を下げるのが、戦闘に立ち入らず街と現場を切り分けるための壁だった。誰も、自分が超能力者の巣の縁に立っているとは思っていない。


 桐野が心配した「街の人」は、いまこの瞬間、あの作業着の連中が遠ざけている。表からは、ただの設備事故にしか見えない。深夜帯を選び、規制線で囲い、火の手は建物の中に収める。そこまで込みで、ようやく繁華街のど真ん中で刃を抜ける。


 俺は、ビルの裏手に伸びる路地を進んだ。


 前を九鬼さん、横に瀬戸。少し後ろに鵜飼さん、そのさらに後ろに桐野が続く。足音は、誰も立てない。ネオンの裏側に回り込むと、街の喧噪が急に遠くなった。


 鴉羽ビルの北面が、闇の中で黒く立ち上がっている。


 関係者用の通用口。シャッターが下り、その内側に錠の固まった鉄扉があるはずだった。図面で見た位置と、寸分違わない。


「坊や、緊張してる?」


 鵜飼さんが、背後から囁いた。からかう声の温度だけは、こんな場所でも変わらない。


「いつもどおりです」


「つまんない返事」


 俺は答えずに、通用口の前で片膝をついた。


 桐野が、列のいちばん後ろで足を止めている。暗がりでもわかるほど、肩が強ばっていた。膝の上ではなく、いまは胸の前で、両手を固く握り込んでいる。


 声はかけなかった。かければ、かえって意識させる。後ろに立っていろ、とは昨夜のうちに言ってある。あとは、立っていられるかどうかだ。


 無線が、短く鳴った。


『こっちはいつでも行けるぞ。先に、正面で派手にやる』


 室伏隊長の声だった。九鬼さんが、耳元の通信を押さえて頷く。


「合図を待つで。陽動が転がったら――瀬戸、開けたって」


「了解です」


 瀬戸が、腰の得物に手をかけた。刃に高周波を纏わせる、近接の切り込み役だ。普段どおりの様子で、目だけが据わっている。


 俺は、夜気を一度、深く吸った。


 通用口の鉄扉一枚を隔てて、向こう側に巣がある。明かりの落ちた繁華街の喧噪は、もうここまで届かない。聞こえるのは、味方の呼吸と、自分の脈だけだ。


 ここから先は、台本どおりにはいかない。割れていない敵が、あの縦の一本道のどこかにいる。最上層には、触れずに人を潰す男がいるはずだ。それでも、入る。入ると、昨日決めた。後ろの桐野ごと、無事に連れて戻る。それも込みで、決めた。


◇◆◇


 表通りの方角で、空気が裂けた。


 爆ぜるような音と、闇を舐め上げる赤。八神の炎熱だ。距離があっても、夜の底がぐらりと明るんだのがわかる。続いて、何かを叩き伏せる鈍い衝撃。戸坂さんが、剛体強化で硬くした体ごと、前に出たらしい。


『派手にいくよーっ! みんな、こっち見て見てっ!』


 無線越しの八神の声は、ふざけた調子のまま、芯だけが鋭い。あの軽さが、いまは武器になる。


 炎が、エントランスの庇を這い上がった。夜の底が、また一段、赤く照り返す。怒号と、何かの倒れる音が、いくつも重なって届く。突っ込んでいった数人が、戸坂さんの盾の一振りでまとめて弾き返されたらしい。


 八神の声だけが、その喧噪の上を、甲高く跳ねていく。派手で、騒がしくて、誰の目もそこへ吸い寄せずにはいられない見世物だった。芯だけは、冷たいほど計算されている。


 火の手は表向き事業フロアの中に収められ、表通りの方角からは漏れない間合いで上がっている。派手に、しかし街には見せず。約束どおりの陽動だった。


 ビルの内側で、足音が動いた。


 複数。下層の構成員が、正面側へ吸い寄せられていく。北面の窓の薄明かりが、奥――南へ引いていくのが見えた。何事かと駆けつけた連中が、炎と盾の壁にぶつかって、そこで足止めを食う。敵の頭数が、こちらの背を向けて正面に集まっていく。


 裏が、薄くなる。陽動が、効いていた。


「いま動いた。頭数が正面に寄った」


 俺が言うと、九鬼さんの口の端が上がっていた。


「上等や。――瀬戸!」


「開けます」


 瀬戸の刃が、シャッターの錠に滑った。


 高い、絹を裂くような音。刃そのものは光らない。だが触れた金属が、抵抗らしい抵抗もなく断たれていく。火花も、削り屑も出ない。錠が両断され、シャッターが半端な高さで止まった。


 その奥に、図面どおり鉄扉がある。瀬戸は迷わず差し込んだ。錠の一点。続けて、蝶番を上下に断つ。鉄の厚みに対して、刃が通る速さのほうが勝っている。


 鉄が、ことりと落ちた。


「どうぞ」


 言い終わる前に、九鬼さんが消えた。


 自己加速。残像だけを残して、半開きの扉を内側へ押し開ける。先頭は譲らない、と顔に書いてあった。俺はその背を追って、低く踏み込んだ。


 扉の内側で、誰かが声を上げかけた。


 待ち番が一人。だが、九鬼さんの速度には追いつけない。男が腰の得物を抜こうとしたときには、九鬼さんの肘がその顎を撥ね上げていた。白目を剥いて崩れる体を、俺は肩で押しのけて前へ出る。


 暗いバックヤードだった。搬入の棚が並び、積み上がった酒瓶のケースが影を落としている。


 奥から、もう二人。


 片方が金属パイプを振り下ろしてくる。俺は半歩だけ外して、伸びきった腕の肘を逆に取った。骨の鳴る感触。悲鳴を上げる前に、徒手で気道を抑え、床へ沈めた。殺しはしない。立てなくすれば、それでいい。


 もう一人が、桐野の控える通用口の方へ抜けようとする。その足に、後ろから鎖が走った。


「邪魔よ」


 鵜飼さんの捕縛鎖が、その足に巻きついて引き倒す。妖艶な声のわりに、手際は冷たいほど正確だった。男が転んだところを、瀬戸の柄頭が後ろから落とす。


 三人。辺りが、静まり返った。


 ものの数秒だった。三人とも、力を使う気配はなかった。腕っぷしと数を並べただけの、ただの実働部隊。下の階には、こちらが警戒していた危なっかしいのは、まだ出てきていない。


「桐野ちゃん、こっち。もう片付いたわよ」


 鵜飼さんが、振り向きもせずに言う。桐野が、棚の陰を伝って通用口をくぐった。倒れた男たちを見て、一瞬、足がすくむ。喉の奥で、声にならない音が、ひとつ漏れた。それでも、後ろへは逃げなかった。


「……っ、はい」


 声は震えていた。けれど、列の位置からは外れていない。後ろで立っている。言いつけは、守れている。


 桐野は、いま、言いつけを守ることに専念していた。治癒の出番は、まだ来ていない。誰も深手を負っていないからだ。後方支援役にとって、自分の手が空いていることは、いい報せのはずだった。新人のあいつが、それを呑み込めているかどうか、横顔からは読めなかった。


◇◆◇


「先へ行く。固まるな」


 俺は、バックヤードの奥の通路へ顎を向けた。


 西側は、閉店後のクラブの営業フロアだ。仕切り扉で分かれていて、その隙間から漏れる明かりもなく、人の気配はない。そちらには用がない。俺たちが詰めるのは、南へ伸びる通路の先、中層へ上がる階段室だった。


 九鬼さんが先頭、俺がその斜め後ろに詰め直す。瀬戸は横から側面へ回り、刃を構えた。鵜飼さんは桐野のすぐ前で鎖を半ば垂らし、後ろの桐野ごと殿を固める。一列に細くなる。前夜の打ち合わせで鵜飼さんが釘を刺したとおり、どこかで足が止まれば、後ろは全部そこで詰まる隊形だった。


 通路の途中で、また足音が湧いた。


 三人。今度は正面から、こちらの侵入に気づいて引き返してきた組だ。陽動に釣られず残っていた、というより、奥から呼び戻されたのだろう。


「数は変わらへん。押し通るで」


 九鬼さんが、短く言って加速に入った。


 先頭の男が銃口を上げかけた、その手首を、九鬼さんの掌底が下から弾く。暴発した弾が天井に埋まる。俺は加速の余波をくぐって二人目に詰めた。懐へ。脇差は抜かない。肘で鳩尾、膝で崩す。


 崩れざま、その男が振り回した刃物を、横から瀬戸の刃が迎えた。鋼と鋼が触れた一瞬、相手の刃のほうが断たれて床に転がる。柄だけ握らされた男が、何が起きたか分からない顔で固まった。その隙に、瀬戸は柄頭を相手の側頭へ落とす。


 残る一人は、まだ若かった。二十歳そこそこ。得物も持たず、腰も引けている。逃げ腰の数合わせか、と値踏みしかけて、俺はその判断を引っ込めた。


 男の右手の先で、空気が歪んでいた。


 陽炎のような揺らぎ。低い唸りが、耳の奥に響く。何の力かは、分からない。ただ、熱とも圧ともつかない何かが、男の手のひらの上で、御されないまま膨らんでいく。能力そのものは俺には映らない。映るのは、それが押しのける空気の歪みと、きしむ気配だけだ。


 囲い込まれたばかりの口だ。何ができるかも、本人が制御できているかも分からない――昨夜、桐野に言ったとおりのものが、目の前にいた。


「桐野ちゃん、退いて!」


 鵜飼さんの鎖が走るより早く、男の手のひらが弾けた。


 酒瓶の詰まったケースが、紙のように吹き飛ぶ。狙いも何もない、ただの暴発だった。横殴りの圧が積まれた残りの山をなぎ倒し、その勢いが、奥――桐野のいる後方へ、抜けていく。


 粗い。だが、威力だけは本物だ。


 俺は、間に体をねじ込んだ。


 飛んできたケースを肩で払い、男の懐へ詰める。次の力が溜まるより速く。能力は、放たれる前に止めるのがいちばんいい。伸びかけた右腕の肘を逆に極め、足を払って床へ沈めた。男が呆然と俺を見上げる。何をしたのか、撃った本人も分かっていない顔だった。


「……っ」


 桐野が、息を呑んだまま、俺の背中を見ていた。割れた瓶の散らばった先で、肩が大きく上下している。


「無事か」


 短く訊くと、桐野がこくりと頷いた。後ろの位置は、ちゃんと守れている。それで足りる。俺は崩れた男を足で脇へ寄せた。礼も、確認も、いまは要らない。庇ったという感覚すら、抱える前に流す。ここはまだ、入口だ。


 昨夜の見立ては、外れていなかった。弓削の話から手繰った筋――末端にも、こういうのが、混ざっている。だとすれば、この上には、もっと厄介なのが、数も知れず待っているということだ。


 通路の先に、階段室の口が見えた。


 上へ続く、暗い踊り場。中層は、九条さんの言った「通路と階段が入り組んだ区画」だ。ここから先は、待ち伏せの領域に変わる。


「制圧、終わり。下は抜けた」


 俺は無線に告げた。陽動隊へ、現在地を流す。


『了解だ。こっちは派手な店を、もうしばらく続けとく。上は、気を抜くなよ』


 室伏隊長の声が、無線の向こうで低く返ってきた。


 九鬼さんが、階段室の手前で足を止めた。一度、隊の顔を順に見る。瀬戸が頷き、鵜飼さんが鎖を手繰り直す。桐野が、息を整えようとして、まだ整いきらない。


「ここまでは、上出来や」


 九鬼さんが、低く言った。


「ここからが、本番やで」


 俺は、踊り場の闇を見上げていた。


 突破は、成った。陽動が敵を正面に引きつけ、その隙に裏から潜り込む。前の三枚で口をこじ開け、後ろを鵜飼さんと桐野が固める。昨日、図面の前で組んだ手順が、そのまま現実をなぞっていた。理屈は、通っていた。けれど、ここまでだ。


 まだ、下層を抜けただけだ。この階段の上に、名も顔も知れない力が待っている。さらにその上、最上層には、あの男がいるはずだ。陽動も潜行も、ここから先は通用しない。一段ずつ、正面から食い破るしかない区画だった。


 桐野が、俺の半歩後ろで、ようやく一つ、息を吐いた。怖がりながら、その場所に立っている。昨夜の言いつけを、いまも守っていた。


「行こう」


 誰にともなく言って、俺は最初の段に足をかけた。


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