布陣
弓削から引き出した糸を、形にするのに数日かかった。
頭の名と、繁華街に一棟という大雑把な在り処。裏から抜いたのは、それだけだ。番地までは、あの男も知らないと言った。知ろうとすれば消される、と。
その先を詰めたのは、執務室に残った二人だった。
九条さんが裏の証言を軸に置き、表社会調査で八神と瀬戸が拾い続けた断片を、宮田さんが突き合わせる。誰の名義でもない会社が、いくつも同じ一棟に同居している。そのうちの一つが、解体業まわりの帳簿で、過去に〈宵闇〉の関係先と線を引けた。
突入作戦の前日、俺たちはブリーフィングルームに集まっていた。
執務室と同じ階にある、作戦会議だけに使う部屋だ。長卓を、室伏隊と九鬼隊の十人で囲んでいる。前方のホワイトボードには、もう図面が貼り出されていた。
「ようやく顔が揃ったな」
九鬼さんが、長卓の前で腕を組んだ。青いショートヘアの下で、目だけが笑っていない。
「厳んとこに頭下げて、何日経ったと思てんの。うちだけやったら、今ごろビル名も出てへんかったわ」
「礼を言われてるのか、嫌味を言われてるのか、どっちだ」
室伏隊長が、隣で軽く肩をすくめた。
「両方や」
「だろうな」
二人のあいだには、こちらが口を挟む隙のない呼吸があった。年季の入った、対等な間柄。隊をまたいだ作戦が、この一往復だけで、ずいぶん滑らかになる。
「で、九条。場所は出たんだろ?」
隊長が、話を前へ戻した。
「出ました」
九条さんが、眼鏡の縁に指を添える。
「東城区、宵待町。繁華街の只中に、雑居ビルが一棟。下のクラブの名から、界隈では『鴉羽ビル』で通っています。表向きは、クラブ運営と管理会社、解体業の事務所。看板はすべて合法事業のものです」
「外から見て、巣だと分かるか?」
「分かりません。それが狙いでしょう。人通りと店の喧噪に紛れて、出入りが目立たない」
ホワイトボードの図面へ、全員の視線が集まった。
細長い縦の断面が、フロアごとに区切られている。九条さんが、下から順に指していった。
「下層は、表向きの事業フロア。一般客が出入りします。中層は、通路と階段が入り組んだ区画。上層に事務所と倉庫。そして――」
指が、最上層の手前で止まる。
「最上層付近に、頭の居室があるとみられます。下から上へ、一本道で詰めていく造りです」
「逃げ場のない、縦の袋小路ってわけですね」
戸坂さんが、丸坊主の頭を撫でた。前衛の盾役らしい、突っ込みたがりの目をしている。
「だったら話は早え。下からぶち抜いて、上まで登りゃいいでしょ」
「あら。それを一人で言ってのけられるなら、もう作戦なんて要らないでしょうに」
鵜飼さんが、長い赤毛を払って、冷ややかに笑った。
「縦に詰めるってことはね、こっちも一列に細くなるってこと。どこかで足が止まれば、後ろは全部そこで詰まるわね」
「……それもそうですね」
戸坂さんが、あっさり引き下がる。脳筋なりに、力で押せない場面の見当はついているようだった。
俺は、図面の縦線を目でなぞった。確かに、まっすぐ登れる構造は、攻める側にも逃がさない側にも都合がいい。ただし、途中のどこかで待ち伏せを食えば、細い列のまま立ち往生する。
「相手の戦力を、先に詰めておきたい」
俺が言うと、九条さんが頷いた。
「現時点で、確実に言えることだけ並べます」
ホワイトボードの脇に、新しい紙が貼られた。書かれているのは、ごく短い。
「一つ。頭――黒越剛三。相当強度のある能力者とみて、まず間違いありません」
「弓削の話ですか?」
「ええ。鉄の手すりが、握った跡のまま飴のようにひしゃげていた。触れてもいない男が、急に押さえつけられて膝を折った。……重さを操る類の力です。手も触れずに、物をひしゃげさせ、人を潰す」
部屋の空気が、少し下がった。
あの応接室で弓削が並べた光景が、ここで戦力の見積もりに化けている。縄張りを食われた側の実感が、最警戒の一行へと変わっていた。
「閉所では、特にやっかいですね」
九条さんが続けた。
「逃げ場を奪う形で力が効く。最上層の居室で立て籠もられれば、まともにぶつかるのは分が悪い」
「で、頭以外は?」
隊長が訊いた。
「ここからは、推定です」
九条さんの口調が、一段慎重になる。
「現場ごとに残った痕跡の毛色が、ばらばらでした。一人の力では、説明がつかない。つまり――黒越のほかにも、手強いのが複数いるとみていい。ただし、何人かも、それぞれが何をする力かも、表からは割れていません」
「名前も、顔もなし、か」
「ありません。実際にぶつかるまで、分からない」
不親切な見取り図だった。
数も、能力も知れない敵が、あの縦の一本道のどこかに潜んでいる。それを前提に、こちらは列を組んで登らなければならない。
「もう一つ、頭に入れておいてほしいことがある」
俺は、桐野のほうへ少し体を向けて言った。新人にこそ、聞かせておきたかった。
「〈宵闇〉は、力を持つ若い連中を選んで集めてる。弓削の話とも合う。だとすると、末端にも、囲い込まれたばかりの新規発現者がいるかもしれない」
「……まだ、力の使い方も定まっていない人が、ですか?」
桐野が、硬い声で訊き返した。
「そうだ。何ができるか分からない、本人すら制御しきれてないかもしれない。そういうのが、混ざってると思って動け」
桐野は、唇を結んで頷いている。いちばん不確かな話を、それでも受け止めようとする顔だった。
「不確かなまま、突っ込むしかない、っちゅうことやな」
九鬼さんが、図面を指で叩いた。
「完璧な見取り図が出るまで待っとったら、巣ごと畳んで逃げられる。割れてへん敵がおる前提で、それでも勝てる組み方をする。――そこで、二隊に分ける」
ホワイトボードに、編成表が重ねられた。
「陽動隊と、突入隊。正面から派手に行く側と、その隙に裏から潜る側や」
九鬼さんが、まず陽動の側から振り分けていく。
「陽動は、厳。指揮と後ろを持って。前に戸坂、中に八神ちゃん。後ろに九条くんと宮田。正面の表向き事業フロア側で、思いきり暴れて、敵の頭数をこっちへ引きつける」
「派手にやるのは、得意中の得意だよ!」
八神が、赤いショートヘアを揺らして胸を張った。炎熱系の火力は、確かに陽動向きだ。
「宮田さんも、後ろから好きなだけ撃てるじゃないですか〜」
八神が、間髪入れずに宮田へ茶々を入れる。
「いい射点さえ取れれば、何時間でも」
宮田さんが、眼鏡の奥で目を細める。
「正面なら、遮蔽も豊富だ。最高ですね」
「あんたの『最高』は、だいたい字面どおりじゃないから怖いわね」
鵜飼さんが横から刺したが、宮田さんはむしろ嬉しそうにしていた。この二人のやりとりは、放っておくと長い。
「――突入隊」
九鬼さんが、指を切り替えた。場の空気も、少し戻る。
「うちが指揮を持って、前に出る。自己加速で、最初の口をこじ開ける。鳴瀬くんと瀬戸も前や。うちと合わせて前の三枚で、突破口を開く。鵜飼は桐野ちゃんに付いて、後ろを固めながら続け。桐野ちゃんは、その後ろでええ」
自己加速。九鬼さんが本気で地を蹴れば、こちらの目が追いつく前に間合いが潰れるらしい。最初の一枚をこじ開けるなら、これ以上の先鋒はいない。
名を呼ばれるたび、それぞれが小さく応じていた。
「入ってからは、下の表フロアから中の通路、上の事務所と、フロアごとに潰して、最上層の頭まで詰め上がる。一本道やからこそ、どこかで止めたらしまいや。押し続けるんが要やで」
「裏か。陽動が引きつけてるあいだに、関係者用の通用口と非常階段から入る」
瀬戸が、図面の裏手をなぞった。
「通用口の錠も、鉄扉も、俺の刃で断てます。隊長の加速と、鳴瀬の腕っぷしで押すなら、開け口は俺が作りますよ」
「頼りにしとるで」
俺は、編成表をもう一度見た。
突破力の九鬼隊と、搦め手の室伏隊。それを正面と裏に割って、混ぜている。前衛に偏らせず、後ろも厚い。割れない敵がいる前提なら、これくらい余白を持たせた組み方が要る。理屈は通っていた。
「あの……ひとつ、いいですか?」
桐野が、遠慮がちに顔を上げた。
「正面で派手にやって、街の人に見られたりは、しないんですか? あんな繁華街の、ど真ん中で……」
もっともな疑問だった。新人だからこそ口に出せる問いだが、確かめておくべき筋でもある。
「そこは、別口が固める」
九鬼さんが答えた。
「突入は、店が看板を下ろしたあとの真夜中や。客はもうおらん。そのうえで、ビルの周りは、うちの裏方が固める。ガス点検やら設備事故やらの名目で、規制線を張るんや。所轄の手は借りられへん。超能力を知らん連中に、こんな現場は任されへんからな」
「派手な力は、建物の中で収める」
室伏隊長が継いだ。
「火の手も、表の通りからは見せん。外に漏らさん間合いでやる。それも込みで、作戦だ」
「……わかりました」
桐野が頷いた。つかえていたものが、下りた顔だった。
「段取りは、こうだ」
隊長が、立ち上がった。豪快な物言いが、少しだけ低くなる。
「陽動隊が、正面で火の手を上げる。敵の目と足が、そっちへ向く。頃合いを見て、突入隊が裏から入って、上へ詰める。連絡は随時。どっちかが止まったら、無理に進まず必ず報せろ。――縦の一本道だ。どこかで詰まったら、全部が詰まる」
さっき鵜飼さんが言ったことを、隊長がもう一度、全員に向けて締め直した。
「合図は、こっちから出す」
九鬼さんが付け加える。
「厳、無茶して先に潰れんといてや。陽動が早う転んだら、裏のうちらが裸で放り出される」
「お前こそ、加速で突っ込みすぎて孤立するなよ。昔っからの癖だ」
「余計なお世話や」
言い合いながらも、二人の段取りには、隙間がなかった。どちらが前に出て、どちらが受けるか。長く組んだ相手にしか出せない呼吸で、配分が決まっていく。
話が一段落したところで、俺は隣の桐野へ目をやっていた。
膝の上で、手が固く組まれている。図面の縦線を見つめたまま、視線が動いていない。さっき街の人のことを口にして、いっとき緩んだ顔が、また強張りに戻っている。
「桐野」
「は、はい」
「お前の場所は、後ろだ。前で何が起きても、まず動くな」
「……でも、先輩たちが傷を負ったら、私は」
「そのために後ろにいる」
俺は、できるだけ平らな声で言った。
「治すのが、お前の役目だ。前に出て一緒に倒れたら、誰も治せなくなる。後ろで立っていることが、いちばん効く働きなんだ。今夜は、それだけ覚えておけばいい」
桐野は、組んだ手を見下ろして、小さく息を吐いた。
「……後ろで、立っている」
「そうだ。怖いのは、構わない。怖がりながら、その場所に立ってろ」
顔を上げた桐野の目は、まだ揺れていた。それでも、視線は逃げずに俺へ向いている。配属の初日、何も分からずに立ちすくんでいた頃とは、置き場が違ってきている。
「鳴瀬くんは、いっちょ前に先輩しとるなあ」
九鬼さんが、こちらを見て口の端を上げた。
「茶化さないでください」
「褒めとんねん。――よし、なら確認は終いや」
九鬼さんが、図面をまとめにかかる。
「明日の夜、巣に入る。割れてへん敵がおる。それでも、こっちは十人で、組んで動ける。向こうは、頭ひとつのカリスマで束ねた寄せ集めや。崩しどころは、必ずある」
誰も、軽口を返さなかった。
明日、あの縦の一本道を登る。どこかに、名も顔も知れない力が待っている。最上層には、触れずに人を潰す男がいる。
俺は、ホワイトボードの最上層の一点を見た。黒越剛三。表をいくら叩いても出てこなかった名が、いまは図面の天辺に貼りついている。
窓のない部屋に、息を詰めた静けさが落ちた。
準備は、ここまでだ。あとは、入るだけだった。




