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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第2章

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22/29

聞き込み

 繁華街は、夜のほうがよく光る。


 その光の裏側を、ここ何日か、俺たちは歩き回っていた。


 室伏隊長を頭に、鵜飼さん、戸坂さん、それに桐野。夜ごと、裏社会の伝手をひとつずつ手繰る。潰れかけたチーマーの溜まり場。場末のスナックの奥の席。半グレに貸しのある情報屋。〈宵闇〉に痛い目を見せられた連中なら、何か握っているはずだった。


 だが、どこも一様に口が重い。〈宵闇〉の名を出した途端、目が泳ぐ。話を逸らす。知らぬ存ぜぬを決め込む。恨んではいても、巻き添えは御免だ。そういう怯えが、どの顔にも貼りついていた。


 表で出てこなかったものは、裏でも、たやすくは出てこない。重ねた夜の数だけ、焦りが薄く積もっていく。


 今夜の相手は、これまでより核心に近いはずだった。〈宵闇〉に縄張りを丸ごと食われた、古いヤクザ崩れの一党。恨みの濃さでいえば、いちばんだ。


 ネオンと客引きの声がせめぎ合う表通りを、俺たちは横切って、一本裏の路地へ折れた。灯りが、ふっと弱まる。もう一本奥へ入ると、喧噪は背中の向こうへ遠ざかり、濡れたアスファルトに足音だけが返ってきた。


 目当ての場所は、袋小路だった。


 幅は、五メートルもない。両側を雑居ビルの裏面に挟まれて、奥はブロック塀と金網で塞がっている。逃げ場は、いま俺たちが入ってきた表通り側、ただ一つきりだ。


 路地の半ば、西の壁際に、打ち捨てられた立て看板が一枚、斜めに立てかけてあった。


 表通りの灯りは、ここまでは届かない。奥へ行くほど闇が濃くなって、たまり場のあたりは、煙草の火のほかに光がなかった。喧噪も、同じだけ遠い。多少の荒事なら、表の賑わいに紛れて消えてしまう。


「この奥に、たまってるはずだ」


 室伏隊長が低い声で言った。昼間の執務室で笑っているときとは、声の置き方が違う。


「配置は、任せる」


 短く、それだけだった。この夜の段取りは、隊長から俺に預けられている。


「鵜飼さん、戸坂さん。出口は固めといてください。荒れたら、一匹も表へ出さないように」


「はぁい」


 鵜飼さんが、けだるげに返事をした。


「逃がさないのは、得意分野なので。……坊やも、無茶しないでね」


「鳴瀬でいいです」


「あら。じゃあ、坊やのままで」


 会話が、まるで噛み合わない。この人とは、いつもこうだ。


「壁は任せろ」


 戸坂さんが丸めた肩をひとつ鳴らした。言うことは、相変わらず短い。要るときに前へ出る。それ以外は、喋らない。そういう人だと、この数週間で分かっていた。


 俺の半歩後ろで、桐野が路地の奥をうかがっている。ノートも端末も、今日は鞄の中だ。記録の道具は出すな、と言ったのは俺だった。


「鳴瀬先輩。あの……何を、訊くんですか?」


「訊くのは隊長だ。俺たちは、相手が妙な気を起こさないように、いるだけでいい」


「いる、だけ」


「桐野は、もっと下がってろ。何があっても、前には出るな」


 桐野が、こくりと頷いた。緊張で、頷きが硬い。


 奥に、人影が四つ。ドラム缶やビールケースを椅子代わりにして、たむろしている。煙草の火が、闇の中で明滅した。


 俺たちに気づいて、一番奥の男が顔を上げた。


 歳は、五十をいくつか越えているだろう。白いものの混じった角刈りに、着古した開襟シャツ。崩れちゃいるが、堅気の崩れ方じゃない。手の甲に、古い彫り物の端がのぞいていた。


 昔は、それなりの看板を背負っていた手合いだ。いまは、その看板ごと、誰かに食われたあとの顔をしている。


「……デカか」


 頭格が、煙を吐いて言った。


「そんな上等なもんじゃない」


 室伏隊長が距離を詰めずに切り出した。


「〈宵闇〉の話を、聞きたい」


 その名前を出した瞬間、男の目の奥が、ひとつ沈んだ。両脇の若いのが、腰を浮かせかける。


「……知らねえな」


「縄張りを、ごっそり持っていかれたんだろう。あんたんとこは」


 男は答えない。煙草を、ドラム缶の縁で揉み消した。


「奴らをいっとう恨んでるのは、あんたらだ。俺はそう踏んで、ここまで来た」


「恨んでりゃ、口を割るとでも」


「割らないなら、それでもいい。ただ、こっちも暇じゃなくてな」


 男が低く笑った。笑いに、湿った疲れが混じっている。


「あんたら、分かってねえな。……あいつらは、まともじゃねえんだ」


 声が、少し落ちた。


「うちの若いのが、三人やられた。一人は、腕が、あらぬ方へねじ曲がってた。誰も触っちゃいねえ。殴ってもいねえ。なのに、ああなった」


 俺は、口を挟まずに聞いていた。


 人の壊し方が、人の業じゃない。それを、この男は理屈ではなく、肌で知っている。裏社会の隅で、説明のつかない力に殴られた者だけが持つ、実感の重さだった。


「だから、関わらねえ。あんたらも、やめときな。命が惜しけりゃ」


「忠告は、受け取っておく。そのうえで、聞かせてほしい」


 室伏隊長は引かなかった。


 その押し引きが、相手の我慢の糸を切ったらしい。男が、奥の二人へ、目だけで合図を送った。


 若いのが、二人。手にしていたのは、鉄パイプと、金属バットだ。


「桐野、下がれ」


 言うと同時に、俺は半歩前へ出た。


 最初に動いたのは、左の鉄パイプだった。振りかぶりが、大きすぎる。脅しに振るのと、人を打ち慣れているのとでは、肘の畳み方が違う。こいつは、前者だ。


 廃棄された立て看板の陰へ、一歩、身を入れる。パイプが空を裂く音が、耳のすぐ横を抜けた。死角から踏み込んで、振り切った腕の内側へ入る。手首を取り、捻り上げながら、足を払った。


 男が一人、アスファルトに沈む。


 バットのほうは、それを見て足を止めた。止めた時点で、もう遅い。間合いは、こちらが詰めている。バットを握る腕の肘を、下から軽く突き上げた。握りが緩んだところへ肩を入れて、崩す。倒れ込む背を膝で受け止めて、静かに地面へ流した。


 二人とも、骨は折っていない。気を失わせてもいない。立てなくした。


 下がらせた位置で、桐野が息を呑むのが、背中越しに聞こえた。声はない。ただ、倒れた二人を、見ている。


 奥で様子を見ていた三人目が、じり、と後ずさった。背中が、行き止まりの金網に触れる。逃げ場がない、と悟った顔だった。


 路地の入口では、鵜飼さんと戸坂さんが、動かずに立っている。出口を塞いだまま、手すら出していない。出すまでもなかった、というだけのことだ。


 頭格は、立ち上がりもしなかった。倒れた若いのを、ちらと見て、それから俺へ視線を移した。


「……化け物か、あんた」


「ただの、人間だ」


 俺は、息も上げていない。


 男の目から、抗う色が消えた。肩から力が抜けていく――観念した者の、抜け方だった。


「何が、聞きてえ」


 ようやく、室伏隊長が前へ出た。


「〈宵闇〉が、急に伸びた理由だ。あれだけの数を、どこから集めた?」


「……若えのを、拾ってるって話だ」


 男は、倒れた二人を顎で示した。


「うちみてえな崩れから、はみ出たモンが、ここんとこ、何人か消えた。〈宵闇〉に流れたって噂だ。……組にも入ってねえ、ふつうの若えのもだ、なんて話も聞く。確かなこたぁ、知らねえがな」


「ふつうの若いの、か」


「妙な力を持ったのが、たまにいるって話さ。……〈宵闇〉が、そういうのを集めてるんじゃねえか、ってのは、俺の勘繰りだ。確かめたわけじゃねえ。確かめたくもねえや」


「力、というのは?」


 室伏隊長が静かに重ねた。


「言葉の、まんまだよ」


 男は吐き捨てるように返した。


「説明が、つかねえんだ。うちの若いのをああしたのも、人の業じゃねえ。……世間は、そんなもんいるわけねえって笑うだろうさ。俺だって、この目で見るまでは、笑ってた口だ。だが、知ってんのは、そこまでだ。どこの誰が、どう引き込んでんのか。そいつぁ、俺みてえな末端にゃ、降りてこねえ」


 その顔に、嘘の色はなかった。


 俺は、その言葉を胸の内側に置いた。


 国に拾われなかった、新しい力。それが、ひとりでに増えているわけじゃない――集められているのかもしれない。九条さんが報告書の隅でこぼしていた違和感。机の上に置いたままだったその推測に、裏側から、初めて噂の端が触れた。


 ただ、ここまでだ。


 この男が握っているのは、噂の切れ端にすぎない。〈宵闇〉がどこに巣を構えているのか。頭が誰なのか。それを裏づける芯は、この末端の路地には、落ちていない。


「充分だ。助かった」


 室伏隊長が短く言った。深追いは、しなかった。ここで欲を出して締め上げれば、得られるはずの次が遠のく。それを、この人は知っている。


 俺は桐野を振り返った。


 いつの間にか、すぐ後ろまで来ていた。倒れた二人と、立っている俺を、交互に見ている。顔から、血の気が引いていた。


「……鳴瀬先輩」


「言いたいことは、分かる」


「あの人たち、武器を、持っていました。だから、仕方なかった……ですよね? でも」


 桐野が、言葉を切る。


「訊くために、殴る。順番が、逆な気がして……うまく、言えないんですけど」


「逆だ、って感覚は、正しい」


 俺は、否定しなかった。


「持っとけ。その気持ち悪さを、慣れさせるな。慣れたら、終わりだ」


 桐野は、何か言いかけて、やめた。代わりに、ひとつ、息を吸った。整理はついていない。それでも、目をそらしはしなかった。


 こいつは、まだ見分けがつかずにいる。捨てなくていいものと、捨てなければ立てなくなるもの。その境目は、時間をかけてでしか、教えられない。今夜のところは、迷えているだけで充分だった。


「戻るぞ。立てる連中は、放っておけ。あの頭が、面倒は見る」


 俺たちは路地を出た。表通りの光と音が、また近づいてくる。


 鵜飼さんが横に並んで、流し目をよこした。


「坊や、手際だけは一人前ね」


「だけ、は余計です」


「ふふ。怒った顔も、まあまあ」


 まともに取り合うだけ、無駄だ。俺は前を向いた。


 手の中にあるのは、噂の切れ端が一つきりだ。けれど、表をいくら叩いても出てこなかったものが、裏へ回って、初めて指に触れた。


 巣の在り処も、頭の名前も、まだ闇の向こうにある。


 それを引きずり出すのは、おそらく、次の夜だ。


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