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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第2章

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行き止まり

 〈宵闇〉を追いはじめて、三日が過ぎた。


 最初のうちは、手応えがあるつもりでいた。やることは、いつもと変わらない。現場に残った痕を拾い、前歴者のリストを当たり、目撃証言を一つずつ重ねる。これまで通用してきた手順だ。同じように積んでいけば、いずれ輪郭が見えてくる。そう信じて、二日を費やした。


 三日目の午後、その当てが外れていたことを、全員が認めはじめていた。


 執務室の打合せ卓に、両隊の主だった顔が集まっている。ホワイトボードには、この三日で集めたものが、ところ狭しと貼り出されていた。現場写真、地図、人物の相関、押収品のリスト。数だけは、それなりにある。


 なのに、何ひとつ繋がらない。


「で、九条。整理してくれ」


 室伏隊長が、卓に肘をついて言った。九条さんが、ボードの前に立つ。


「結論から言います。表からは、これ以上届きません」


 淡々とした声だった。感情を抜いたぶん、内容の重さがそのまま伝わる。


「三日で当たれるところは、ほぼ当たりました。〈宵闇〉が噛んでると思われる事案は、確かにいくつもある。強盗、傷害、地上げまがいの恫喝。でも、どれも一歩手前で止まります」


「一歩手前、というのは?」


 桐野が、おずおずと訊いた。九条さんが、視線だけそちらへ向ける。


「証拠が、〈宵闇〉まで届かないんです。事件は起きてる。能力が使われた痕もある。なのに、それを『〈宵闇〉という組織がやった』と結べる物が、ひとつも出てこない」


 九条さんが、ボードに貼った一枚を指で叩いた。倒壊した倉庫の写真だった。


「これなんかは、典型です。鉄骨が、内側からひしゃげてる。人の手や、重機の壊し方じゃない。能力が絡んでるのは、まず間違いない」


「重力か、質量か……そのあたりの系統が絡んでそうだな」


 室伏隊長が、腕を組んだ。九条さんが頷く。


「ええ。しかも、別の現場の痕とは毛色が違う。九鬼さんの言ってた通りです。能力者が複数いて、それぞれ別の力を使ってる。それは、痕跡から確実に言える」


「そこまで分かってて、なんで詰められへんのや」


 九鬼さんが、卓の向かいで脚を組み替えた。苛立ちというより、自分でも同じ壁にぶつかってきた者の、確認するような口ぶりだった。


「分かるのは、そこまでなんですよ」


 九条さんが、静かに返す。


「能力が使われた。複数の人間がいる。それは言える。でも、その能力を使ったのが誰なのか。〈宵闇〉の構成員なのか。組織として命じてやったことなのか。そこを裏づける物が、表にはひとつも落ちてない」


「合法の埃しか出てこん、てやつやな」


「はい。この三日、叩けるだけ叩きました。それでも出てくるのは小さな違反ばかりで、組織の芯には届きません」


 俺は、ボードの相関図を眺めた。中心が、ぽっかりと空いている。周りに枝葉ばかりが描き込まれて、肝心の幹が、白いままだ。


「頭分も、見えないままか?」


「ええ。中に桁違いの能力者がいる、というのは、痕の規模から推定できます。でも、それが誰かは分からない。名前も、顔も、何も」


 部屋が、静かになった。


 俺は、奥歯を噛んだ。焦りが、腹の底で鈍く鳴っている――ただの三日だが、事件の側から見れば、三日ぶんの猶予を与えたのと同じだった。足踏みするこちらをよそに、相関図の空白で誰かがもう先へ進んでいる、その手触りが、何より気持ち悪かった。


 誰も、口を開かない。ホワイトボードの紙の隅が、空調の風にかすかに鳴っている。集めた材料は、卓の上にもボードの上にもたしかにあるのに、それをどう並べ替えても、真ん中の穴だけは埋まらない。手詰まりとは、こういう静けさのことだった。


 いつもなら、ここで八神あたりが軽口を挟んで、空気をほどく。だが、今日はその八神も、椅子に浅く腰かけたまま黙っていた。手詰まりの匂いは、こいつにも分かるらしい。


「あの……ひとつ、いいですか?」


 桐野が、手を半分だけ挙げた。


「言ってみろ」


「これだけ事件が起きてるなら……どれか一つでも、強引に踏み込むことは、できないんですか? 家宅捜索とか」


 もっともな疑問だった。新人らしい、まっすぐな問いでもある。


「やりたいのは、やまやまだ」


 答えたのは、室伏隊長だった。


「だがな、踏み込むには、令状がいる。令状を取るには、ここがそいつらの巣だ、と裁判官を納得させる証拠がいる。その証拠が、いまの俺たちには無い。中途半端に踏み込んで空振りすれば、向こうは警戒して、もっと深く潜る。一度逃がしたら、次はもっと遠くなる」


「……すみません。浅かったです」


「いや。訊くのは、いいことだ」


 室伏隊長は、桐野に向けて、軽く手を振ってみせた。


「俺たちも、同じことを三日考えた。考えた末に、ここにいる。表からは、攻めきれねえ。それが結論だ」


 九鬼さんが、卓に身を乗り出した。


「で、ここからや。厳、お前んとこに頭下げたのは、これを言うためでもある」


 九鬼さんの目つきが、ひとつ鋭くなった。


「表があかんなら、裏から行くしかない。〈宵闇〉に縄張りを荒らされて、恨み骨髄の連中が、裏にはぎょうさんおる。ヤクザ崩れ、潰されかけたチーマー、食われた半グレ。そういう連中は、表に出てこん情報を、腹に抱えとる」


「正面から訊いて、答えるタマじゃないでしょう、そいつらは」


 俺が言うと、九鬼さんは薄く笑った。


「せやから、こっちも表のやり方は捨てる。締めて、揺さぶって、出させる。場合によっちゃ、見逃すのと引き換えに吐かせる。……きれいな捜査やない。記録にも、残さん」


 桐野の肩が、わずかに動いた。


「記録に……残さない、んですか?」


「気になるか?」


 九鬼さんの視線が、桐野に移る。詰める色はなかった。ただ、新人がどう受け取るかを、見ている目だった。


「正直、はい。……今までは、証拠を積んで、手順を踏んで、っていうのが、捜査だと思っていたので」


「それが、正しい。基本は、それでええ」


 九鬼さんは、否定しなかった。


「ただな。相手が、その正しさの外で動いとるときがある。手順を踏んでたら、そのあいだに、囲われた子が一人、また一人と、戻れんとこまで連れていかれる。……どっちを取るか、いう話や」


 桐野は、すぐには答えられずにいた。胸元で、ノートの端を握っている。


 俺は、横から口を挟んだ。


「桐野。迷うのは、まともな感覚だ。捨てなくていい」


「鳴瀬先輩……」


「ただ、迷ったまま現場には立てる。やりながら、自分の線を引いていけ。それを教えるのが、俺の役目だ」


 桐野が、ゆっくり顔を上げた。まだ整理はついていない。それでも、目の揺れは、さっきより収まっていた。


「……はい。お願いします」


「よし、決まりや」


 九鬼さんが、手を打って言った。


「割り振りいくで。裏に潜るのは、足の立つやつや。室伏が現場の頭。鳴瀬くん、桐野ちゃん、それに、うちから鵜飼と戸坂を出す。荒事になっても、これだけおれば困らんやろ」


「鵜飼さんと戸坂さんですか?」


「鵜飼の捕縛は、逃がさんのに向いとる。戸坂は、まあ……壁役や。扉でも人でも、要るときに前に出してくれ」


 離れた席で、戸坂さんが「壁は任せろ!」と太い声を上げ、鵜飼さんが「坊やのお守りも、ついでにしといたげる」と流し目をよこしていた。坊やはやめてくれ、と返す気力は、もう湧かなかった。


「情報のとりまとめは、九条くんと宮田。表から拾ったもんと、裏から上がってきたもんを、突き合わせてくれ。点と点が線になるとしたら、お前らの机の上や」


「了解です」


 九条さんが短く答えた。別隊の島で、宮田さんが眼鏡を押し上げ、『照合はこちらで』と請け合った。


「八神ちゃんと瀬戸は、表を続けろ。裏に賭けるからって、表を放したら、穴になる。漏れを、潰し続けてくれ」


「えー、あたし裏のほう行きたーい!」


「八神さん。あなたが裏に潜ったら、三分で正体がばれます」


 九条さんの即答に、瀬戸が噴き出した。八神が「じょーくんひどい!」と頬を膨らませる。ほんの少しだけ、卓の空気がゆるんだ。


「執務室の旗振りは、うちが持つ。お前は、遠慮なく現場に出ばってくれ。頼んだで」


「ああ。お前が後ろにいてくれりゃ、安心して暴れられる」


「暴れるのは鳴瀬くんやろ?」


「同じことだ」


 二人が、短く笑った。


 打合せが解けて、それぞれの持ち場へ散っていく。九条さんと宮田さんは、さっそく端末を二つ並べて、何かを照合しはじめた。八神は不満そうに瀬戸を小突いている。


 俺は、ホワイトボードの相関図を、もう一度見た。


 真ん中の空白は、まだ埋まらない。けれど、行き止まりだと分かったことは、ひとつの前進だった。表に道がないと知れたから、裏へ回る覚悟が決まる。


 ここから先は、これまでの捜査とは、肌触りが違う。締めて、揺すって、引き換えに見逃す。きれいごとの届かない場所へ、桐野を連れていくことになる。


 その重さを、俺は、もう一度たしかめた。


「鳴瀬先輩」


 桐野が、隣に立っていた。ボードを見上げる横顔は、強張っている。


「私、ちゃんと、ついていけるでしょうか」


「さあな」


 突き放したわけじゃない。俺は、相関図の空白から目を離さずに続けた。


「ついてこいとは言わない。隣で見てろ。見て、考えろ。それでいい」


 桐野が、ひとつ、息を吸った。


「……はい」


 窓の外で、街が夕方の色に沈みかけている。表通りの顔をした、あの雑居ビルのどこかにも、同じ夕日が差しているはずだった。


 明日からは、その裏側へ降りていく。


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