表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/38

初日の終わり

 庁舎へ戻る道は、来たときと同じ二台に分かれた。


 俺と八神は一号車。隊長と九条さん、桐野の三人は二号車だ。一号車は、男を追って降りたとき、容疑者の自宅の南西の路肩に置いてきた。制圧のあと、八神とそこまで歩いて戻り、拾ってきた。容疑者を乗せた搬送車は、とうに別の方角へ――中継拘禁場へ消えている。


 助手席の八神が、伸びをひとつして、あとは窓の外を流れる夜の街を眺めていた。さっきの制圧の昂りは、もう声には残っていない。


 誰も、多くは喋らなかった。事件のあとの車は、いつもこうだ。気を張る理由が消えたあとの、気の抜けた静けさ。片がついた夜は、勝っても負けても、似た顔をして帰っていく。


 ルームミラーの中で、二号車のヘッドライトが、一定の距離を保ってついてくる。隊長の運転は、こういうとき、いつも同じ車間だった。


 地下駐車場に車を入れ、エレベーターで執務室の階まで上がる。廊下のつきあたりの扉を抜けると、見慣れた机の列が、蛍光灯の白い光の下で待っていた。


 ここからが、現場のあとの、もうひとつの仕事だ。


 男の身柄は、もう俺たちの手元にない。確保した場所から、そのまま中継拘禁場へ運ばれていった。発現者かどうかの裏づけも、これからの取り調べも、あの首輪を着けたままの体を相手に、上の管轄が進める。俺たちが受け持つのは、そこまでだった。押さえて、運んで、引き渡す。線を引かれた仕事の、こちら側だけを、俺たちはやっている。


 現場のほうは、もう長く留まる必要がない。規制線をたたみ、所轄へ引き継ぎの一報を入れて、あとは夜の路地に任せる。斬撃の傷が刻まれた壁も、逃げはしない。事件は、もう動かない。その後始末は、手順どおりに畳んでいくだけだ。


 残っているのは、報告書だった。


 九条さんが、自分の机に着くなり、端末を開いた。確保の時刻、現場の所見、痕跡の本数。淡々と項目を埋めていく手つきに、迷いがない。


「鳴瀬さん、今日の軸線の高さ、報告書に残すぶん、もう一度いいですか?」


「はい。今日のは、高さが統一されていません。動く俺に合わせていましたから。手口は、前の現場と同じでした」


「助かります」


 九条さんの指が、規則正しい間隔で端末を叩いていく。しばらくは、その乾いた音だけが、部屋を満たしていた。


 現場から戻ったあとの庁舎は、いつもこの速度になる。張りつめていた糸が切れて、それぞれが、自分のやり方で夜を畳みにかかる。桐野は、その音と速度を、まだ少し珍しいものでも見るように、目で追っていた。


 奥の席で、室伏隊長が大きく伸びをした。


「いやー、今日はよく動いた。鳴瀬、相変わらず無茶な間合いで入りやがって。見てるこっちの寿命が縮むわ!」


「躱せる範囲でやってます」


「お前のその範囲が、毎回こっちの想定の外なんだよ」


 隊長は笑って、それから桐野へ顔を向けた。


「桐野。初日から、えらい現場に当たったな」


「……はい。あの、足を引っぱってしまって」


「足? 誰の足を引っぱった。お前は、立つべきとこに立って、見とくべきもんを見てた。それで充分だ」


 八神が、自分の机に腰を半分のせて、足をぶらぶらさせている。


「そうそう。しおりん、初日で逃げ出さなかっただけで、もう花マルだって! あたしなんか最初の現場、車降りた瞬間に膝が笑っちゃってさ」


「八神さんが、ですか? 意外です」


「でしょ? いまの颯爽としたあたしからは、想像つかないっしょ」


「八神さん、いまも報告書から逃げてますけど」


 九条さんが、端末から目を上げずに言った。八神の足が、ぴたりと止まる。


「……じょーくん、それ、いま言う?」


「事実です」


 桐野は、与えられた席で、自分のぶんの記録を書きはじめていた。だが、ペンの動きが、途中で何度も止まる。


 俺は、隣の席から、それとなく様子を見ていた。


「書きにくいか?」


「あ……いえ。書くことが、あまりなくて」


 桐野は、手元の用紙に目を落としたまま、言葉を選ぶように続けた。


「私、今日……後ろに立って、見ていただけで。能力も結局、使う場面がありませんでした」


 現場でも、似たことを口にしていた。だが、いまの声は、あのときより低い。一日の終わりに、自分のした仕事の薄さを、もう一度、数えなおしている声だった。


 言葉をかけようとした俺より先に、九条さんが、端末の手を止めずに口を開いていた。


「桐野さん。報告書の『負傷者』の欄、なんて書きました?」


「えっと……『なし』、です」


「それが、あなたの今日の結果ですよ」


 桐野が、顔を上げた。


「治癒が後ろにいる。その事実だけで、前に出る人間は、半歩ぶん深く踏み込めます。あなたは今日、立っているだけで、鳴瀬さんの間合いを支えてた。数字には残りませんけどね」


 桐野は、しばらくその言葉を、口の中で転がしているようだった。


「むずかしいこと言うねえ、じょーくん」


「事実です」


「九条さん、さっきから事実しか言ってないですね」


「事実だけ言うのが、私の仕事なので」


 桐野の頬が、ようやく少しゆるんだ。硬かった肩から、力が抜けていくのが、横から見ていても分かる。


「でもさ、しおりん」


 八神が、机から腰を浮かせて、こっちを覗き込んだ。


「今日いちんち、ちゃんと立ってた。それ、初日にできる子、そんないないんだからね」


「……はい。ありがとう、ございます」


 桐野は、そう言って、ほどけた頬のまま、ほんの少し背筋を伸ばした。長い一日を、どうにか終えた、という顔だった。


 その九条さんが、端末の画面に目を留めた。


 何かの一覧を、指でスクロールさせている。確保案件の履歴か、発現者の登録記録か、そのあたりの事務データだろう。


「……そういえば」


 独り言に近い、低い声。


「こういう、新規発現者がらみの件。最近よく見ますね」


「件数、増えてんのか?」


 室伏隊長が、奥から訊いた。


「気のせいかもしれません。ただ、去年の同じ時期と並べると、新しく発現したのが絡む案件、少し多い気がします。数えたわけじゃないですが」


「ふうん」


 隊長は、それ以上は追わなかった。八神も、「そんな年もあるんじゃない?」と軽く流す。


 俺も、そのときは、ただの事務の感想として聞いていた。新規発現が増える。母数の小さい世界で、数の波は、年によって上下する。そういうものだと、思っていた。


 九条さんが、最後の項目を閉じる。八神は、ようやく自分の机に向き直って、五分で終わる量を三十分かけて埋めはじめた。室伏隊長は、そのあいだに茶をいれて、誰にともなく配って回っている。隊長のいれる茶は、いつも少し濃い。


 桐野の机にも、湯気の立つ紙コップが置かれた。


「飲んどけ。初日ってのは、終わってから効いてくる」


「……はい。ありがとうございます」


 桐野は、両手で包むようにして、ひとくち飲んだ。濃い茶の苦さに、ほんの少しだけ、眉が動く。


 報告書が、ひととおり片づいた。


 時計の針は、とうに日付を越えている。窓の外は、まだ夜の色のままだった。


 室伏隊長が、両手を打ち合わせて立ち上がった。


「よし、上がるか。桐野、初日お疲れさん。明日は……いや、もう今日か。ちゃんと寝てこい」


「はい。ありがとうございました」


 桐野が、深く頭を下げた。所在なさは、まだ少し残っている。だが、その背中には、朝にはなかったものが、ひとつ増えていた。一日ぶんの、現場の重さだ。


 朝、庁舎で名乗ったときの桐野は、声がうわずって、自己紹介の途中で一度つかえていた。あれから、まだ一日と経っていない。たった一日で、人はこんなふうに変わる。変われる場所に来たんだな、と思った。


 八神が、桐野の肩を、ぽんと叩いた。


「しおりん、帰り、気をつけてね。送ってこっか?」


「だいじょうぶです。タクシー、呼んでありますから。表の通りまで出て、乗ります」


「ほんとに? 初日でへとへとでしょ。遠慮しなくていいんだよ」


「……ありがとうございます。でも、少し歩いたほうが、頭も冷えるので」


「よろしい。じゃ、また明日」


 桐野が、ふっと笑った。今日はじめて見る、肩の力の抜けた笑い方だった。


 九条さんが、上着を羽織りながら、桐野へ短く声をかけた。


「お疲れさまでした。明日も、同じ時間に」


「はい。九条先輩も、お疲れさまでした」


 隊が、ひとり、またひとりと、机を離れていく。


◇◆◇


 地下駐車場の、自分の車に乗り込む。


 エンジンをかけると、低い振動が、体の芯まで伝わってきた。一日のあいだ張りつめていたものが、その揺れにほどけていく。


 車を、夜道へ滑り出させた。


 庁舎の灯りが、ルームミラーの中で、だんだん小さくなっていく。深夜の街には、ほとんど人影がない。信号だけが、誰もいない交差点で、律儀に色を変えていた。


 今日は、誰もやられなかった。


 ハンドルを握りながら、もう一度たどりなおす。事件が起きて、人が死んで、その先で、俺たちが間に合った。間に合わなかった夜が、すぐ手前にあったことも、知っている。だが、今夜は、間に合った。


 桐野が、隊に馴染んでいく。九条さんが、何かの兆しを、数字の隅に感じている。相変わらず、八神は報告書から逃げる。室伏隊長が、その全部を笑って引っぱっていく。


 悪くない一日だった。


 ふと、信号の赤が、フロントガラスの向こうで滲んだ。


 その赤の奥に、あいつの顔が、一瞬だけよぎる。名前は、口の中でも呼ばなかった。


 それを底のほうへ沈めて、俺は赤が変わるのを待った。


 青。


 また、車を走らせる。


 次の事案が来るまでの、束の間の日常だった。明日もきっと、八神は報告書から逃げて、九条さんは事実だけを口にして、桐野はやや硬い敬語で何かを訊いてくるのだろう。


 その当たり前が、いまは、少しだけ得難いものに思えた。


 夜の道を、家のほうへ走らせる。


 桐野の初日が、終わった。


これで第1章が終了です。

裏三課業務がどのような流れで行われているのかを示す、現在における導入章の役割でした。

次章から、色々物語が進んでいく予定です。


引き続きよろしくお願いします>(´∀`(⊃*⊂)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ