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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第1章

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15/28

配置

 隊長が、自席から椅子を引いて立ち上がった。


 ホワイトボードの左半面には、俺の描いた軸線スケッチが残されている。隊長は右半面のペンを取り、新しい線を引き始めた。容疑者の自宅をひとつ、中央に置く。そこから四方へ、生活動線を順に伸ばしていく。北、南、東、西。


「ここからは、配置の話だ」


 隊長が、ペン先で自宅の位置を軽く叩いた。


「この男は、無職で、執行猶予中、単身。現場最寄り街区の単身賃貸アパートに住んでいる。職場も通勤路もない。動かす先は、自宅と、自宅周辺の生活動線だけだ」


 桐野が、手帳のページに自宅の位置を写し取っていた。ペン先で、隊長の引く動線を、同じ方向に追っていく。


「北は、住宅街の奥。夜間は人通りが少ない。南は、自宅前の路地が幹線通り方向へ抜ける。東は、商店圏。コンビニや夜間営業の店がある。西は――」


 隊長が、ペン先をボードの左半面の俯瞰図へ流した。


「事件現場の裏路地だ。容疑者の自宅から、徒歩八分」


 九条さんが、卓上の端末を膝へ移して画面を操作すると、奥側のディスプレイに地図が浮かぶ。隊長の手書きスケッチと、四本の動線でほぼ重なった。


「車両配置」


 隊長が、ペンを置いた。ボードの前に立ったまま、こちらへ向き直る。


「二台で出る。一号、即応。二号、広域監視と指揮。一号は鳴瀬と八神。二号は俺と九条、それから桐野」


 俺の左隣で、八神が椅子の上で姿勢を伸ばした。


「あ、あたし、一号ですか?」


「不満か?」


「いえ、嬉しいです! 統真、運転よろしくー」


「いつもしてる」


 俺の返事は短かった。八神は、口の端だけで笑っていた。


「一号車の停車位置」


 隊長が、ボードの右半面を指で示した。


「自宅の南西、路肩。距離は自宅から七十メートル前後。中層住宅の壁面の陰で、共用玄関からは直接視認されない。発進から自宅前への到達は、徒歩で一分、車両で三十秒以内」


「了解です」


 俺は頷いた。


「二号車は、自宅から北東、二百二十メートル。24時間営業のディスカウントストアの屋上駐車場。共用玄関と、自宅前路地、それから東方向の生活動線――三方が同時に視界に入る。西の事件現場までは、ここからは直接見えない。だが、あの男が動くなら、まず自宅前の路地に出る。そこは九条が押さえる」


 桐野が、ペン先を一度浮かせて、九条さんへ視線を上げた。


「あの……知覚拡張、というのは……」


「私の能力です」


 九条さんは、端末の画面に視線を落としたまま、頷いていた。


「自宅の周りは、私の側で広く押さえます。動きの予兆があれば、内線で一号へ落とします」


「鳴瀬、八神は、内線が落ちた時点で即応発進。徒歩動線上で機会を捕捉して、即時実行する」


「自宅突撃は、入れないんですね」


 桐野が、隊長の側へ顔を上げた。手帳のページの上で、ペン先が浮いている。


「住所が分かっているなら、踏み込めないんでしょうか? 次の被害者を待たないために」


 俺と隊長の視線が、短く合った。隊長が、自席に腰を下ろして、椅子の背に体を預けた。


「桐野」


「はい」


「俺たちが踏み込んで、その男が自宅で能力を使ったら、どうなる」


 桐野が、ペン先を一度動かして、止めた。


「室内で……斬撃が、出るということですか?」


「そうだ。壁、家具、隣室まで届くかもしれない。隣に住んでいるのは、超能力の存在を知らない市民だ」


「……はい」


「次に、立て籠もりだ。逃げ場のない部屋で、男が家具を盾にする、近所の人間を盾にする。動線も、視界も、こちら有利が崩れる。最後に、市民への秘匿。アパートの外に救急車と警察車両を並べて、住人を退避させて――それを住宅街の住人全員に見せることになる。あの男が超能力者だと、街区一帯に伝わる」


「……」


「自宅突撃が、現場で一番強い手に見えるのは分かる。被害者を出さない、市民を巻き込まない、秘匿を崩さない。三つを同時に満たすには、自宅の中ではやらない」


「外で、捕まえる」


「そうだ。出てきたところを、徒歩動線上で押さえる。室内戦闘の半分のリスクで、同じ目的が達成できる」


 桐野が、ページの上で、自宅突撃NG、と書き込んだ。下に、室内戦闘・人質化・市民秘匿、と短く並べる。


「もう一つ、いいですか?」


「ああ」


「もし、ぜんぶの配慮を尽くしたあとで、市民の方に見られてしまったら……どうなるんでしょう?」


 隊長が、軽く肩を回した。


「うちの上に、市民対応専門の課がある。口止め、情報統制、公的説明の調整、それでも収まらない場合はスカウト――いくつか手段が用意されている。現場で詳しい中身は知らなくていい。覚えておくのは、見られたからといって、ぜんぶが終わるわけじゃない、ということだ」


「現場では、見せないことを優先する。見られた後は、別の専門が動く――そういうふうに、分かれているんですね」


「そうだ。だから現場の判断は、極力見られないように確保に動くこと、にだけ振っていい」


「はい」


 桐野が、また一行書き込んだ。ペンの動きが、最初の質問のときよりも、迷いを残さないものに変わっていた。


「鳴瀬」


 隊長が、俺の方を見た。


「桐野は、二号で後ろに乗る。後方サポートだが、何を見ておくか、教えてやれ」


「は、はい」


 桐野が姿勢を直すと、俺は、ホワイトボードの右半面を、目で指した。


「桐野。役割は、二つある。一つは、時刻と動線の記録。九条さんが拾った検出点を、何時に、どの方向で動いたか、ページの上に時系列で残す。あとで報告書になる材料だ」


「はい」


「もう一つは、隊員の状態の把握。一号と二号の内線で、誰が今どの動作に入っているか、横で聞いていれば分かる。一号が即応に出たら、二号が何をするかは、隊長と九条さんが指示する。桐野は基本動かなくていい。何が起きたかをページに残しておけ」


「動かない、ことが、私の役割……」


「それが今夜の桐野の仕事だ。次の事案で、桐野が前に出る場面が来たら、そのときに動く」


「……はい」


「桐野の能力は、治癒系、だったな」


「は、はい」


「治癒の出番は、おそらく来ない。だが、何があるかわからん。心構えだけはしておけ」


「……はい」


「超能力を過信するな。普段の医療道具も、忘れず持っていけ。」


「分かりました」


 八神が、鳴瀬越しに、桐野の方へ身を乗り出していた。


「しおりん、夜の張り込み、初日からだもんね」


「は、はい」


「あたしの最初の張り込み、十二時間あったよ」


「じゅ、十二時間ですか?」


「うん。途中で隊長に、お腹空いたって言ったら、めちゃくちゃ怒られた!」


「八神」


「はい」


「いま余計な前例を伝えるな」


「はーい」


 八神が、口の端で肩をすくめた。桐野が、わずかに肩の力を抜くのが、横顔に現れた。


「九条」


 隊長が、九条さんへ視線を戻した。


「容疑者の写真、もう一度、隊に通せ。今夜、誰の顔を待つことになるか、見ておく」


「はい」


 九条さんが、卓上の前歴者リストから写真の一枚を抜き取って、テーブルの中央へ置いた。男は、痩せ型で無精髭、視線を下に落としていた。隊員の視線が、わずかにずれながら、紙の上に集まった。


 俺の中で、その顔は、腕を水平に振る男の影として、軸線の起点に立つ姿と重なった。線の終点は、被害者だ。次の終点を、出させない。


「散会」


 隊長が立ち上がった。


「装備室で受領、地下で乗車。二十分後に発進だ」


「了解です」


 俺は、ホワイトボードのペンを磁石へ戻し、軸線メモを四つ折りにして胸の内ポケットへ収めた。桐野が、手帳を閉じて椅子から立ち上がる。八神が、桐野の背中を、ぽん、と手のひらで叩いた。


◇◆◇


 装備室は、執務室階の通路の途中だ。


 ロッカーを開け、いつもどおりの順で、脇差をベルトに、片手銃をホルスターに収める。八神が、隣のロッカーで通信機を耳にはめ込みながら、口の中でテストの数字を読み上げている。桐野は、隊用の予備端末と医療品の小型ポーチを受け取って、二号車側の装備を一通り並べていた。


 地下駐車場の蛍光灯は、白く、等間隔に並んでいた。一号車に俺が乗り込み、八神が助手席のドアを閉める。二号車の運転席へ隊長、助手席へ九条さん、後部中央へ桐野が乗る。エンジンを始動した。


 車中で、ほとんど誰も口を開かなかった。市街地の温度が、車体の外を流れていく。三十分弱の移動だ。短いな、と頭の端で思った。短いまま、夜の手前まで来てしまう。


◇◆◇


 配置地点に着いたのは、夕方の最後の光が、建物の壁面に低く滑り込む時刻だった。


 俺は、自宅南西の路肩に一号車を寄せた。中層住宅の壁面の陰だ。共用玄関からは、車体が直接見えない位置にある。エンジンは、低回転のまま落とさずにおく。


 サイドミラー越しに、自宅前路地の南北方向と、東方向の生活動線を交互に確認する。ルームミラーで後方の人通りも確かめた。八神が、助手席のドアハンドルから手を離して、胸ポケットの小型端末をチェックする。


「統真。準備おっけー?」


「ああ。一号、即応待機」


「了解」


 俺は、ハンドルから片手を離さないままにした。


 二号からの内線が、低く呼吸の音だけ立てた。


『二号、配置完了。エンジン停止、内線稼働中』


 隊長の声が、短く落ちた。俺は、内線のスイッチに指をかけていた。


「一号、配置了解。即応待機に入る」


 通話が、そこで切れた。


 ミラーの中で、自宅の共用玄関は、まだ灯りの状態が読み取れない位置にあった。住人の出入りもない。夜の手前の通行人が、数人、自宅前の路地を抜けていくだけだった。


 二号車では、いま頃、九条さんが助手席で姿勢を整えている頃合いだ。深く一度息を吐いて、それから知覚拡張を発動する。広域に網を張る前の、最初の一拍。


 桐野は、その横で、手帳の最初の行に時刻を書き込んでいる。今夜の最初の一行は、配置完了の時刻になる。


 俺は、内側で短く呼吸を整えた。


 夜が来る。


 長い、夜だ。


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