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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第1章

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 庁舎の地下駐車場に車を入れたのは、現場を出てから三十分後だった。


 二号車が、一台分手前の枠に先に収まっていた。八神がドアを跳ね上げるように降りて、九条さんがその後ろから端末を片手に持って降りてくる。俺は隊長を降ろしてから、一号車を所定の枠に並べて停め、桐野を後部のドアから降ろした。


 地下の空気は、現場の硬さよりも一段冷たい。市街地の温度を持ち帰った車体が、コンクリートの天井下でゆっくり冷えていく。エンジンの余熱が、車体の下から薄く立ち上がっていた。


「鳴瀬」


 隊長が、エレベーターの方を顎で指した。


「執務室階だ。ブリーフィングルームを使う」


「了解です」


「九条、資料の優先順位だけ、上で擦り合わせろ。先に鑑識、次に目撃、最後に前歴者でいい」


「はい」


 隊長が、助手席の足元に置いていた茶封筒を持ち上げて、九条さんへ差し出した。九条さんが、端末を小脇に挟み直してから、それを両手で受け取り直す。所見の重さの位置を、自分で整えるような動きだった。


 エレベーターのドアが開いて、五人で乗り込んだ。桐野が、車中で握っていた手帳を、まだ畳まずに胸の前で抱えている。


「桐野」


「は、はい」


「中で立ち位置を考えるな。入ったら、椅子に座る前に、卓上に並ぶ紙の種類だけ目で見ろ。それから席を決めればいい」


「紙の種類……」


「鑑識所見か、目撃情報か、不審者か、前歴者か。並びを見れば、九条さんがどう束ねたいかが読める。座る場所も、自然に決まる」


「あ、はい」


 桐野が、視線を階数表示へ流した。短く、深く呼吸を吸ってから吐く。緊張の縁を、観察の縁へ振り替えにかかった顔だった。


 執務室階に着くと、通路は、現場の喧噪の残響を完全に切っていた。


 ブリーフィングルームの扉を、隊長が押し開けた。中は無人。蛍光灯の白い光が、長方形の会議机の上にまっすぐ落ちている。窓はない。機密資料を扱う部屋で、もとからそういう造りだ。奥側の壁には、大型のディスプレイがひとつと、その横にホワイトボードが備え付けられている。


 九条さんが、奥側の自席に着くなり、茶封筒を裏返して中身を引き出した。指先の動きに迷いがない。鑑識の薄い紙束を奥のほうへ、目撃情報の用紙群を中央寄りに、不審者リストを左、前歴者リストをさらに左へ。卓上が、扇形に開いていく。


 俺は、隊長と対面の手前側中央席に着いた。軸線四点の手書きメモを、卓上に伏せて置く。桐野が右隣に座って、手帳を開く。八神が、俺の左隣に椅子を引いた。


「鳴瀬さん」


 九条さんが、視線をこちらへ寄こした。


「あなたの軸線メモは、ホワイトボードに転記しますか」


「します。スケッチだけ先に書きます。所見は口頭で重ねます」


 俺は立ち上がって、奥側のホワイトボードへ歩いた。


 ペンを取って、路地の俯瞰図を簡略に描く。路地の幅、奥側と入口側、被害者の倒位置を示す丸印、立ち位置の推定を示す三角、そこから入口方向へ伸びる細い直線。直線の上に、壁・電柱・外壁・看板の四点を、小さな印で並べた。


 高さは、別枠に「100cm」と書いた。


 桐野が、手帳の上で俯瞰図を写し取っている。八神が、桐野の左から覗き込んだ。


「しおりん、写してると後で見直しが楽だよ!」


「は、はい」


「あたしのときは写さなかったから、後でめちゃくちゃ怒られた」


「八神」


「ほい」


「お前の昔話は要らん」


「了解です、隊長」


 隊長が、自席の卓上に書類を二束、並べ直した。


「鳴瀬、軸線。それから九条、所轄の総合所見。順番でやる」


「はい」


 俺は、ホワイトボードの俯瞰図の前に立ち直した。


「事実から行く。軸線、四点。壁・電柱・外壁・看板。すべて地面から腰の高さ、誤差二センチ以内」


 ペンの後ろで、四点をひとつずつ指していく。


「四つの傷は、一直線に並んでいる。高さも、誤差の範囲で揃っている。切痕の縁は、片側だけが、進行方向の奥側へ向けて毛羽立っている。進行方向は、路地の奥側から入口側」


「被害者の倒位置と、軸線の起点は」


 隊長が、奥の席から確かめた。


「軸線を奥側へ延長すると、被害者の立ち位置の推定点から、さらに約三メートル、路地の奥へ伸びます。そこが加害者の立ち位置として推定できる地点です。被害者の切断面の延長軸は、軸線と一致しています」


「鑑識の側は」


「結論は、俺がまとめた軸線の事実と整合します。九条さん」


「はい」


 九条さんが、所見の頁を、桐野の方へ少しだけずらして見せた。表紙の見出しを、桐野の視線が追う。


「刃物では再現不能な切断面――そう所見が結論づけています。右肩から左脇腹、長さ約四十五センチ、深さ最大十八センチ。胴体側方、空間中に同方向の切断痕、距離三十センチ、平行。両切断面の延長軸は一致」


「写真も、一度だけ通します」


 九条さんが、卓上の端末からディスプレイへ画像を送った。奥側の壁の画面に、現場の俯瞰がまず映り、続いて軸線方向に並んだ四点の拡大、最後に切断面の所見が図示として浮かぶ。生身の正面像は、順番から外されていた。


 桐野が、息を一度詰めた。頬の血色が、現場で見たときと同じ位置で固くなる。視線は、画面から外さない。八神が、桐野の左から、肩のあたりに手のひらを近づけた。触れない。ただ、横にいるという距離だけを置いた。


 画面は、図示の俯瞰で止まっていた。九条さんが、それを確認してから、画像を一段戻して、消した。


 俺は、ホワイトボードへ戻る。


「ここまでが、観察できた事実だ。ここから、消去法で潰す」


 俺はペンを取り直して、軸線の脇に、小さな記号を順に書き込んでいった。


「第一に、刃物。四点を同じ高さで一直線に並べて、被害者の身体まで貫く動線は、刃物では組めない。長物を仮定しても、軸線の終端まで届かない」


「第二に、銃器」


 俺は、ペン先で軸線の終端を軽く叩いた。


「銃器では、傷の縁が違う。射入孔・射出孔は線にならない。切断面の形状とも一致しない」


「線状の道具――鋼線、ワイヤー、鞭の類は」


 九条さんが、補足の角度で問いを置いた。


「届く道具を仮定しても、四点を同じ高さで一直線に並べるには、加害者と被害者と硬質物を、一本の線上に置く必要があります。被害者の動線は、奥から入口へ、一直線ではない。鋼線一本で四点を貫いて、被害者にも同じ切断角を残す動線は、組めません」


「組めない」


 九条さんが、自分でも紙の上を一度なぞって、頷いている。


「通常の犯行手段では、説明がつかない」


 俺はペンの先を、軸線の起点に置いた。


「消去法で残るのは、ひとつ」


「超能力……」


 桐野が、その短い一語を、自分の口に置くように言った。


「そうだ。ここで初めて、超能力の側から読む」


 俺は、軸線の四点を順に指していった。


「高さは、地面から腰の上――人が立った姿勢で、腕の振りが届く高度。軸線は、奥から入口へ、途中で逸れずに一直線。被害者を貫いた進行軸が、向こう三点の硬質物にもそのまま残った。軸線方向に、不可視の薄い面が走った、と読める」


「面の発生源は」


「軸線の奥側の延長上。加害者の立ち位置として、そこに推定できます」


「超能力の分類は」


 隊長が、語尾を上げずに確かめる。


「読むなら、おそらく風系統。手の振り動作を起点に、視線の延長へ薄い面を走らせます。軸線の一直線さ、過剰な余波の残り方も整合します」


「断定はしない、ということだな」


「はい。実際に確認するまで、断定する根拠は揃いません。痕跡だけで分類を確定すると、対峙した際に足元をすくわれる可能性があります」


「分かった。読みとしては、風系統。確定は、対峙したときだ」


「俺の所感としては、出力は出る、制御は粗い。新規発現者の特徴と整合します。殺傷の射程は、軸線上で約三メートル――加害者の立ち位置から被害者まで。痕跡の残響はその先、入口寄りの看板までで合計八メートル前後。致死域は三メートル、それ以遠は薄い擦過として残る、という二段の出方をしています」


 桐野が、手帳のページの上で、ペン先を止めた。


「鳴瀬先輩、あの……」


「ん」


「〈ゲート〉でも習いましたが……波長検出機で犯人を見つけられないんでしょうか? 超能力かもしれないなら、装置で出るのでは、と」


 俺は、九条さんに目をやった。九条さんが、頷くかわりに視線を少し下げた。先に答えていい、という合図だった。


「習ったとおりの装置だ」


 俺は、ホワイトボードの俯瞰図の前に戻った。


「装置は、人体専用だ。人の身体から出る波動を測る。装置本体は、据置きの検査機だ。運び込むにも電源と調整が要る。もとから現場向きの作りじゃない。現場の空間に超能力使用の痕跡が残ることはない。だから現場へ装置を持ち込んでも、ここに犯人がいたかどうかは出ない」


「現場では、使えないんですか?」


「使えない、というより意味がない。空気を測っても、何も出ない」


「では、いつ使うんでしょう?」


「容疑者を確保したあとだ。確保した人物を、中継拘禁場まで連れて来て、そこで装置にかける。その人物が発現者かどうかを確認する。装置が役に立つのは、その段階だ」


「現場の判定には、入ってこない」


「入ってこない。現場の判定は、痕跡と動線と一次情報の積み上げで、消去法でやる。いま俺たちが、軸線を潰したのと同じだ」


 桐野が、手帳のページを一行戻して、波長検出機、と書き込んだ。人体専用、空間検出不可、確保後。その下に短く並べる。


「ありがとうございます」


「装置への期待は、現場では切っておけ。装置は、確保のあとの最後の押印だ」


「最後の押印……」


「捜査の証明書を仕上げる印だ。それまでは、痕跡と動線が判断材料になる」


 桐野が、ホワイトボードの俯瞰図にもう一度視線を上げた。写し取った軸線の図と、横に書いた短い単語が、ページの上で並んでいる。頬の血色が、少しずつ落ち着きを取り戻していくのが、横顔に見て取れた。


「九条さん」


 俺は、九条さんへ視線を戻した。


「所轄側の一次情報、頼みます」


「はい」


 九条さんが、目撃情報の用紙群を、扇の中央へ寄せた。


「事件発生は昨夜の二十二時十分前後。被害者は二十代女性、市内のオフィス勤務、最寄駅から自宅までの動線を、裏路地で短縮するルートで歩いていました。残業帰り、一人。所轄が拾った目撃のうち、被害者の足取りに直接届くものが四件。最後の目撃は、現場まで残り四百メートルの地点、二十二時三分」


「現場までの所要時間は」


「徒歩で六〜七分。被害者の到着時刻と、事件発生推定時刻は、一分以内の誤差で重なります」


「犯人側の目撃は」


「現場最寄り街区での不審者目撃が、過去二週間で十一件。重複を除いて、特徴の一致する目撃が三件。三十代男性、痩せ型、無精髭、夜間にうつむきがちに歩く」


 九条さんが、次に不審者リストを引き寄せる。


「所轄の不審者リストに、既に二人載っています。さらに、前歴者リスト。こちらは所轄が独自に追加管理しているものですが、傷害・器物損壊の前歴で、執行猶予中の三十代男性が一人。住所は、現場最寄り街区の単身賃貸アパート」


「無職、執行猶予中、単身。いわゆる社会的弱者ですね」


 九条さんが、紙の上のいくつかの単語を、指の腹で押さえた。


「嗜虐の傾向は、前歴の中身に出ています。暴力と、人格を侮蔑する物言いと、器物破壊」


 卓上の四枚目の束を、九条さんが指でとんと叩いた。


「居住区が、現場の路地から徒歩八分」


「重なる」


「重なります」


 俺は、九条さんへ目を向けた。


「前歴者リストの男、特徴一致は」


「身長百七十二〜百七十五、痩せ型、無精髭、うつむきがち。三件すべてで合致しています」


「動線は」


「住居から現場の路地まで、徒歩八分。途中で人通りの少ない街路を選ぶと、目撃の三件は、その動線上に分布します」


「物理的な犯行痕跡――軸線のような直線的な傷は、動線上に」


「ありません。事件夜以前も、周辺街区から同種の通報は上がっていません」


「独学段階。発現して間もない、ということになる」


「ええ」


 俺は、隊長の方へ視線を投げた。


「特徴一致、動線一致、前歴あり、発現して間もない。状況証拠の積み上げで、一名に絞れます」


「他の候補は」


「不審者リストの二人は、身長・動線で外れます。住所が路地から徒歩二十分以上、目撃の頻度も低い」


「分かった」


 隊長が、卓上の前歴者リストを一枚、抜き取って、自分の前に置いた。指の先で、紙の左下の写真を軽く叩く。写真の中の男は、痩せ型、無精髭、視線が下に落ちている。


「この男だな」


「整合します」


 桐野が、写真の上で視線を止めて、ペン先を一度浮かせた。前歴の文字を読み込んでから、また紙面に落とす。新人の喉の動きが、いったん止まって、また流れた。


 八神が、卓上の前歴者リストに、ちらと目をやってから、桐野の方に肩をすくめた。


「しおりん、容疑者の顔、写真の取り扱いだけ覚えて。指紋つけないでね、上に怒られるから」


「は、はい」


「八神」


「はい」


「上って誰だ」


「上層部です、隊長」


「俺だ」


「あ、はい、隊長です」


 八神が、口の端を緩めた。桐野の肩から、ほんの一息分だけ力が抜ける。緊張のまま絞り込みを終わらせない、八神なりの手付きだった。


「鳴瀬」


 隊長が、写真を伏せた。


「軸線と所見、このあとの作戦会議のたたき台にまとめろ。九条は所轄の追加情報、桐野は鳴瀬の補助、続けろ」


「はい」


「了解です」


「は、はい」


 九条さんが、卓上の扇を、また一周整え直した。鑑識の束を端へ戻し、目撃情報を中央、不審者と前歴者を左へ。次の議論で、また同じ並びを開ける手付きだった。


 俺は、ホワイトボードの俯瞰図に視線を戻した。


 路地の奥側に立った、痩せ型の影。腕を、水平に振る。一直線に並んだ、四つの傷。線の終点と、写真の中で視線を落とす男が、頭の中で重なった。


 次は、配置だ。被害者を出さないために、機会の見えるところに、こちらが先に立つ。


 俺はホワイトボードのペンを、磁石へ戻した。


「このあと、配置を決めます」


 俺の声に、隊員の頷きが、半拍ずつずれて返ってきた。


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