第5話:神様もほどけないふたり
喧騒のど真ん中にあっても、二人だけのテーブルには嘘のない静けさが流れていた。
「客とキャスト」という境界線を完全に溶かし去った杏菜が見せる、あまりにも無防備な素顔と、LINEに届いた切なくも強い本音。
どんな神様のお守りよりも強く、解けない絆の意味が今、明かされる——。
「嫌だ……だってこのテーブルは、昇吾さんとのプライベートだもん」
と言い切った杏菜は、ブランケットの中から繋いだ手の力を、1秒たりとも緩めようとしなかった。
片手で彼女の小さな手を握り締めながら、昇吾は空いた片手で器用に自分の水割りを作る。自分でお酒を作らせているキャバ嬢など、この店のどこを探してもいないだろう。
会話もうまくない、気分屋ですぐ怒る、横柄で、まるで小6で『First Love』を聞いて泣いていた頃から変わらない繊細さと素直さを持った女の子。
けれど、その不器用さの裏には、一切の計算も嘘もない。
店内では相変わらず高らかなシャンパンコールや、どこかのテーブルで交わされる嘘の会話が飛び交っている。その騒乱のど真ん中で、杏菜は昇吾の肩にすっと頭を預け、やがて規則正しい寝息を立て始めた。
ブランケットに包まれ、無防備な寝顔を晒す彼女。他のお客の前では必死に背筋を伸ばして演じている「大人の仮面」を完全に脱ぎ捨て、深い信頼の中でまどろんでいる。
ちょっと呆れつつも、その愛おしい寝顔を見つめながら、昇吾は起こさないように静かにグラスを傾けた。
やがて会計の時間が近づき、黒服がテーブルに近づくと、杏菜はパチッと目を覚ました。そして、黒服の手から伝票をひったくるように真っ先に奪い取った。
「ちょっと、何見てんだよ」
昇吾が苦笑すると、杏菜は眉間に皺を寄せて言い返した。
「昇吾さんに変な計算入ってないかチェックしてんの!」
目を皿のようにして数字を確認し、「よし」と満足そうに頷いて昇吾に伝票を手渡してくる。お酒は作らないし、お茶をすすって寝落ちするくせに、お会計の時だけは身内顔でしゃしゃり出てくる。そのめちゃくちゃで理不尽な振る舞いに、昇吾は思わず吹き出しそうになった。
店を出て、一人で夜の冷たい空気に包まれながら歩く帰路。昇吾のスマートフォンがポケットで震えた。
画面を照らしたのは、以前のような絵文字も装飾もない、短く打ち込まれたテキストだった。
『昇吾さん、今日はお茶取ってくれて、手を繋いでてくれてありがとう。お店でつくらないで素の私でいられるの、世界中で昇吾さんの隣だけだよ。』
『前に二人で買った縁結びのお守りだけど……私、「なんで?」って言ったでしょ。神様にお願いしなきゃ切れちゃうような縁なら、最初からいらないの。私と昇吾さんは、お守りなんかがなくても、もう解けないくらい固く結ばれてるから……だから要らないって言ったんだよ。』
『私ね、不器用だし、すぐ怒るけど……昇吾さんが隣にいてくれる限りは、ずっとそのままの私で、一生懸命咲こうって思えるよ。変わらないでいてね。』
画面を見つめる昇吾の胸に、重く、温かく、切ない愛おしさがどこまでも深く込み上げていた。
いいのかは、わからない……
「でも、変わらないでいてくれるなら、こっちもずっと隣にいるよ」
言葉には出さず、心の中でそう静かに誓う。
片手で水割りを作りながら、片時も離さずに握りしめていたあの小さな手のぬくもりは、夜の街のどんな煌びやかな嘘よりも、確かな真実として昇吾の手に残っていた。




