第3話:『鎧を脱ぐ場所』
夜の不夜城『ETERNAL』でトップとして走り続ける杏菜。
数字を追い求めプレッシャーと戦う日々の中で、ふとした擦れ違いから心に疲れを溜め込んでいく。
過剰な記号と絵文字で自分を偽り、強がりの鎧をまとっていた彼女の心を解きほぐしたのは、昇吾の放つ大人の温度感と包み込むような優しさだった。
見せかけの関係を超え、二人が「生の言葉」で深く繋がり始める物語。
数日後、店での小さな摩擦がきっかけとなり、杏菜の心には隠しきれない疲弊が溜まっていた。
出勤後、店長から事務所に呼び出された杏菜は、冷淡なトーンでそう告げられていた。
「後輩や他のキャストとのコミュニケーションが不足してるよ。いくら本指名や売上を伸ばしても、ヘルプへの感謝やつけ回しへの配慮がないと店の雰囲気が悪くなる。もっと愛想よく周囲と連携して」
自分なりにナンバーワンを争うプレッシャーと戦い、必死に店を支えている自負があったからこそ、その言葉は胸に深く突き刺さった。
昼過ぎに届いたLINE。そこには相変わらず明るい記号が並んでいたものの、行間からは苛立ちと焦りが滲み出ていた。
『昨日ね、スタッフにグッズの保管頼んだのに全然伝わってなくてイライラしちゃった! なんで言った通りにできないのかなー!』
スマートフォンを照らす画面を見つめた昇吾は、口元に小さな笑みを浮かべながらゆっくりと指を動かした。
ただ同調して「大変だったね」と一緒に怒ってあげるのは簡単だ。だが、彼女が夜の街で愛され続けるためには、苛立ちに呑まれて周りを遠ざけてしまうのはあまりにも勿体ない。
強い言葉で説教をすれば、怒られるのが苦手で繊細な彼女は怯えて閉じこもってしまうか、防御本能で不機嫌を隠すための壁を作ってしまう。だからこそ昇吾は、彼女のトゲを丸ごと包み込むような、甘く優しい大人の温度感で言葉を紡いだ。
『アンナちゃん、お疲れ様。毎日一生懸命やってるからこそ、思い通りにいかないと熱くなっちゃうんだよね』
『……うん』
『でもね、アンナちゃんのその綺麗な笑顔や優しさは、周りのスタッフやみんなを惹きつける一番の魔法なんだよ。イライラでその魅力が隠れちゃうのは、すごく勿体ないな。その疲れは俺に全部預けて、周りにはいつもの可愛いアンナちゃんでいてあげてね』
画面の向こうで、静かな間が空いた。
客からの言葉に対して、夜のキャストは通常、防御本能からテキトーに話を合わせるか、過剰な絵文字で誤魔化す。
だが数分後に返ってきたのは、警戒心をすっかり解いた、拍子抜けするほど素直で無防備なテキストだった。
『お疲れ様。……うん、私ちょっとカリカリしすぎてたかも。昇吾さんにそう言われたら、なんだか胸がキュッとして優しくなれそう。いつも包んでくれてありがとうね』
過剰なキラキラしたスタンプや飾り記号は消え、自分の弱さと強がりをそのまま差し出してくる文面。自分を単なる「金を落とす客」としてではなく、一人の人間として温かく包み込んでくれていると悟ったからこその変化だった。
気持ちが落ち着いたのか、昇吾が以前薦めていた好きな小説のリンクを開いた杏菜から、続いてメッセージが届いた。
『今回の作品、胸が本当に苦しくなる回だね。失ってからその人の大切さに気づくのは誰しも経験あるよね。でもこの時間は当たり前じゃない、って大事に大切にしていてもダメな時だってあるよね』
飾りのない文字だからこそ、まっすぐに響く彼女の生々しい感性と本音。
夜の不夜城で「完璧なトップキャスト」を演じるための緊張感から抜け出し、彼女は自分からその鎧を脱ぎ捨てようとしていた。
その夜、店を訪れた昇吾のテーブルに滑り込んできた杏菜は、昼間のLINEの通り、すっかり肩の力が抜けた様子だった。
「昇吾さん……お昼はありがとね。私、ちょっとだけ反省したよ」
そう言って、少しシュンとした表情で唇を尖らせる。大きな瞳をウルウルと揺らしながら、昇吾の袖口をキュッと引っ張ってくる仕仕草は、強がっていた昼間とはまるで別人のように愛くるしい。
「……もっと愛想よくしなきゃダメだって言われちゃって。私、不器用だし強がりだからさ、ちゃんとやってるつもりなんだけどな」
「大丈夫、ちゃんと分かってるよ。焦らず優しくいけばいいんだよ」
昇吾が優しく微笑むと、杏菜は「うん!」とパッと顔を輝かせ、安心したように昇吾の腕にすり寄ってきた。華奢な体に包まれた温もりと、ほのかな甘い香りがふわりと漂う。
昇吾が甘い言葉と思いやりの視線を投げかけたことで、彼女もまた「本当の自分」を隠さず差し出し始めている。
『昇吾さん、ありがとう。ほんとに私もそう思うよ。大切な人とただ一緒にいられる時間は宝物だよね』
画面に浮かび上がる、飾りのない単色のテキスト。
不夜城『ETERNAL』の冷たいネオンの下で、過剰な記号で自分を偽り続けていた二人が、初めて「生の言葉」で深く繋がり始めた瞬間だった。




