第13話:『桃色の余白』
言葉の端々に漂う、微かな甘さと不器用な労わり。
夜の世界の鎧を脱ぎ捨て、一人の対等な人間として向き合うとき、そこには駆け引きも打算も存在しない。
映画の余韻、互いの言葉の行間、そして何気ないLINEのやり取りを通じて通い合う確かな温度。
違う視点から同じ景色を見つめ、互いの存在を唯一無二の救いとして求める二人の物語。
朝の柔らかい光が、都会のビル群の隙間から静かに差し込んでいた。
昇吾はオフィスでコーヒーを口にし、スマートフォンに目線を落とした。
前夜、映画『白鳥とコウモリ』を観終えて素直に「めちゃくちゃ泣きました」と送ったメッセージに対し、杏菜からは驚きと感嘆の返信が届いていた。
『昇吾さん映画館とか行ったりするんだね!ちょっと意外かも』
『色んな映画や日常から日々たくさんのものを感じてるから素敵な感性を持ってるんだね』
一人で映画の深みに没入していた時間すら、気付けば胸のどこかで彼女を重ねていた。
「一人で泣いた」という不意の報告に対する微かな戸惑いと、それを一生懸命に受け止めようとする彼女の健気な揺れ。
『私の新しいドレスは昇吾さんには何色に見えるのかな?』
「眼鏡のせいで反対の色に見える」という軽妙なやり取りを拾い、愛おしく戯れてくる彼女の姿が目に浮かぶ。昇吾は口元を緩め、指先を滑らせた。
「杏菜の魅力が詰まってる新しいドレス」
「全部桃色ハートに見えちゃうよ」
甘やかすだけではない。彼女のすべてを把握し、丸ごと愛おしんでいるという自信を込めた返しだった。
午後、少し時間が空いた頃に届いた彼女からの返信。
『私がどんな性格か、よく分かってるね』
『桃色ハート』
『ストレスは自覚なくても知らず知らずのうちに溜まってたりするからちゃんとお仕事リフレッシュしてね』
「〜してね」という言葉遣い。それは指名客に向けた営業の敬語ではなく、壁を取り払った身内のような距離感だった。対等な一人の男として昇吾を頼り、素直に自分を委ねてきている証だった。
昇吾は改めて言葉を返す。
「杏菜の素直で愛おしいところが全部詰まってるからね」
「ありがとう、杏菜に優しく心配されると一気にリフレッシュできちゃうな」
「午後頑張ろうね、これから面接ラッシュ」
画面を閉じると、静かに息を整えてデスクの資料へ意識を向けた。甘さに浸るだけでなく、己のフィールドで圧倒的な格を示し続けることこそが、男の流儀だった。
同じ頃、昼下がりの静寂が広がる部屋で、杏菜はスマートフォンの画面をなぞっていた。
「全部桃色ハートに見えちゃうよ」
その一言を目にした瞬間、胸の奥が甘く痺れた。
夜の不夜城でいくら指名や数字を重ねても埋まらない孤独が、彼からのたった一行で鮮やかに満たされていく。
店でのプロとしての自分も、一人になった夜に胸を焦がす無防備な自分も。昇吾の前ではいかなる打算も意味をなさず、すべてを見抜かれていた。
「これから面接ラッシュ」
多忙な中で自分に誠実な言葉を注いでくれる彼の格と情熱に、胸の奥から誇らしさがこみ上げる。
お互いが自身の足で立ちながら、心の最深部で強く求め合っている。
「呼吸するように会いたい」と言った彼の言葉の意味が、今ならはっきりと理解できた。
息を吸い、吐き出すことと同じくらい自然に。
二人は同じ空気を分け合い、同じ深さで相手を想い続けていた。




