第10話:『言葉だけで解かれていく夜』
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第9話での濃密な夜を経て、第10話では「直接会わない日常」の中で静かに、けれど熱を帯びて大きくなっていくお互いへの想いを描きます。
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ネオンの眩い煌めきも、グラスが触れ合う澄んだ音もない昼下がり。
窓の外を濡らす雨が湿ったアスファルトの匂いを立ち上らせる静けさの中で、隣で肩を並べていない時間にも、二人の間には常に甘い体温の余韻が残っていた。
『昇吾さんおはよう。雨すごかったね、足元気をつけてね』
スマートフォンの画面に届く素朴なメッセージ。かつて画面を過剰に飾り立てていたハートや派手な絵文字はいつの間にか姿を消し、そこにはただ、等身大の彼女から放たれる素直な気遣いが並んでいる。
「雨か……ズボンの裾までびしょ濡れになっちゃったよ」
灰色の空を見上げ、画面越しに苦笑いを返すと、すかさず可愛らしいスタンプと共に返信が届く。
『今度、雨にしっかり怒っておくね!』
まるで幼い子供のように真っ直ぐで、無邪気な返答。
昇吾は仕事の合間、ふとスマートフォンの画面を見つめては目元を緩めた。
店で対峙している時間だけが二人なのではない。会えない時間の中で、彼女が自分を思い、自分が彼女を想う時間が、何気ない日常の風や肌をかすめる空気の冷たささえも密やかな熱へと変えていく。
一方、昼間の柔らかな光の中にいる杏菜にとっても、昇吾の存在は日に日にその容積を増していた。
映画館の薄暗い売店で買ったビールに、揺れてこぼれないよう蓋とストローがついてきた時。
(ストローでビール飲むの、初めてだな……)
冷たいカップを両手で包み、ストローに唇を寄せた瞬間、脳裏に浮かんだのは昇吾の低く優しい声と柔らかい笑顔だった。
昨夜、自分の肩に彼の体温が触れていたあの感覚が蘇り、胸の奥がキュッと甘く締めつけられる。すぐに写真を撮って『ストローで飲むのは初体験でした』と送信する。
以前なら「上客を楽しませるための計算された返信」を脳内で組み立てていた画面に、今はただ「今この瞬間の自分」をそのまま捧げたいという、しっとりと重い愛おしさが溢れ出していた。
『杏菜はちいかわだね』
そう送られてきたメッセージに、杏菜は静かな部屋で一人、ぽっと耳の裏まで赤く染めて小さな吐息を漏らした。
『私がちいちゃんなら、昇吾さんはハチワレだね。いつも一緒にいる2人だよ』
誰かと心を深く重ね合わせている感覚が、こんなにも世界を艶やかに見せ、明日を迎えるのを待ち遠しくさせてくれるなんて知らなかった。
夜の街で売上を競い、誰にも弱みを見せまいと肩を強ばらせていた頃の孤独が、彼の指先や言葉から伝わる揺るぎない温もりによって解けていく。
『ずっっとこんな時間は続かないよ。今よりもっと幸せな時間が続くから』
深夜、暗い部屋でベッドに入り、画面に灯っていた彼の言葉を、杏菜は指先で何度もなぞりながらそっと胸に抱きしめる。
直接触れ合っていなくても、心ごと優しく撫でられているかのような甘い痺れ。
会えない日々の静寂の中で、二人の信頼は確固たるものへと変わり、互いの存在が日常を優しく満たしていた。二人が紡ぐ時間は、会えない時間さえも密やかで愛おしい宝物へと変えていっていた。




