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二人は一言も話さず、手を繋いだまま海へ向かった。町の人はそんな二人の距離感の近さについに、とかとうとう、と好奇の目を向けていたが、あまりにも二人が前だけ見据えて歩いていくので声をかけるのは憚られた。黙ったままの二人が浜辺に着くと近所の子どもたちが遊んでいる声がした。孤児院以外にも子どもたちはいる。楽しそうな声を聞いてルディは何だか孤児院の子どもたちに会いたいような切ない気持ちになった。
初めて話したあたりで二人は立ち止まって、横に並んで海を見た。今日も海は穏やかに煌めいている。
「私が昨日話したこと、覚えていると言ってましたね?」
「ええ」
「私はルディさん、あなたと結婚したいと考えています。ただ、神父という職に就いている身ですので、あなた一人のことだけを考え続けることは出来ません。子どもたちのこと、町の人たちのこと、頼られればどこにでも行くことがあるでしょう。ほかの町へと足を向けることも。ですが私の心の唯一はあなただけに向けたいのです」
急に始まった真剣な愛の告白にルディはただ聞いていることしかできない。そうまでして思ってもらう理由がわからず、それがブルーノから語られるのを待っていた。
「今回のように、あなたの過去について考える時もあると思います。向かい合わざるを得ない日もあるでしょう。あなたがどう思って選択したのか教えてもらうにはまだこの身は未熟だとわかっているのですが、頼ってもらいたいのです」
ルディは首を振る。
「それは・・・出来ません」
「今日の出来事を見ていてくれたでしょう?私ひとりでは難しくても、たくさんの人が私たちを助けてくれます。マルコさんもいるし、自警団の方々もいます。元兵士だった彼らの力量は御存じでしょう?」
「・・・私より弱い方々の力を頼るのは出来ません」
「確かに、個々の力はとても弱いと思います。でも、協力したいと思っている人はたくさんいる。ルディさんを守りたいとみんな思っています。エスメラルダだからではなくルディさんという一人の女性をです」
信じられない、とルディの顔が歪む。ブルーノはそういう表情をするだろうなと予想していたとはいえ、やはり少しだけ胸が苦しいと思った。
(救われたいとあんなに泣いていたのに、手を伸ばすのはまだ怖いんですね)
ルディは眠る間際泣きながら助けてほしい、救われたいと何度もうわ言のように言っていた。覚えているとルディは言ったが、そのあたりのことは半分無意識だったため記憶に残っていなかった。
「一緒に居たいと思ってくださいませんか?」
「私には・・・その資格はありません。私は人殺しです。本来ならば教会などという清浄の地に足を踏み入れることすら許されない」
今度はブルーノが首を横に振る。
「いいえ、そんなことはありません。教会は誰にでも開かれています。今日のように・・・危害を加えるためだけに来る方はお断りしますけれど、ルディさんは違います」
「・・・ロターリオと私は何も違いません」
「そんなことありませんよ。ルディさんは気に入らないなどと言って人を殴ることはないでしょう?」
「それはそうですが」
ブルーノは繋いでいた手を引き寄せて、ルディと向かい合い、そのまま繋いでいたのと反対の手を背中に回して抱きしめた。
ブルーノの顔はルディの首元にちょうどすっぽりとはまり、ルディの耳のすぐ下でそのまま話を続けていく。
「私はルディさんに思われているのだと勝手に自負しているんです。そのルディさんが助けてほしいと言うのなら私はいくらでも手を尽くします。力はありませんが、出来ることはたくさんありますから」
「・・・私は、人を殺すことを自分の復讐としていました」
ルディはもうすべて話してしまおうと決めた。どう抗ってもブルーノは態度を変えることはないだろう。そしてルディも傍にいればいるほどもっともっとと欲しくなっている。
だからこそ、止まるならここが最後だと。
「私を育てた養父はアイスリドラ国王に殺されました。冤罪です。公開処刑され首が飛んだのを見て、私は国を出ました。この国に来て、傭兵として身を立てながら生きていた。そして戦争が始まった時私はちょうどいいと思った。養父の復讐が出来ると」
ルディの頬には熱いものが流れているが、ルディはそれに気づかない。ただ、心の内側を言葉にするので精一杯で、どこともなくただ空と海を見て口だけを動かしていく。
「素性がわからないように鎧を着て、戦場に立ち、敵軍の兵士をアイスリドラ国王と見立て思いのままに剣を振り下ろし、拳で頭を砕いた。ちっとも気は晴れなかった。だからまた翌日も殺す。それを繰り返した、ただの殺人鬼です」
「・・・戦争だからでしょう。悲しいことに、人を殺さねば終わりはこなかった」
「国を守りたいなどと思ってません。ただ殺して楽になりたかった。復讐したかっただけ。ただそれだけ」
「そんなことはありません。あなたは人を救っていた。あのマルコさんもあなたに救われた一人です。足を切られて動けないところをあなたが運んでくれた、だから生きているんです」
ブルーノは抱きしめた腕に力をこめた。もっともっと近づけたらいいのにともどかしく。それでもルディは棒立ちのまま体重を預けることはない。
「私は卑しい人間です。復讐をしているという後ろめたさをかき消すために人を助けた。彼らさえ利用した」
「たとえ戦争だろうと人を手にかければ心が痛むのは当たり前です。それが辛いと逃げ出さなかった。復讐と言いながらあなたは敵兵を無駄に甚振ることも、亡骸を冒涜することもしなかった・・・そういうルディさんだから、復讐だと思わねば続けていけなかったのでしょう?」
ルディは否定したい、と思ったけれどどんな言葉も口から発することが出来なかった。ブルーノの言うことは間違っていなかった。
確かに戦争が始まった頃、復讐だと思ったのは事実だったが、続けるうちに怖くなった。人を殺す感覚が体中にこびりつき、拭っても血の匂いは消えず断末魔が耳に残る。死んだ敵兵たちに囲まれる悪夢を見た。彼らを嬲り殺して逃げる自分の弱さに耐え切れず、この行為は復讐だと正当化しようとしたことを、ルディもわかっている。
「英雄と褒め称えられるのが苦しかったのでしょう?」
人を殺して英雄だと言われるのに恥じた。復讐のために人を殺しているのだ。ただそれだけ。たったそれだけ。それなのに人々はルディを見て喜び、称える。声を出さないルディに今日殺した人数を聞きたがる。それが怖くて一人で瓦礫を片づけ亡骸を運んだ。自分で殺した人々を運ぶほど、罪の意識で自分が死んでいく気がした。
いつか誰か本当に殺してくれたらいいのにと。
「あなたはもうエスメラルダではない、黒鎧の奥で震えていなくてもいいんです。英雄は国を守って死んだ、あなたはもう自由なんだ」
鎧の内側から見る世界はいつも眩しかった。重たく篭った空気を吸って、それを見ないようにと必死になった。
死んだら自由になれるかと、いっそ楽にと思ったけれどルディを倒せるような人間は一人もいなかった。アイスリドラ国の元々あった国軍の部隊長たちならばルディのことなど一捻りだと考えていたけれど、そんな人たちは戦争には参加していなかった。ルディが国を離れた後彼らの多くは処刑され、残ったものは国王の警備に回され、かろうじて逃げたものも身を隠さねばならず、外に出られなかった結果だった。
そうして誰からも殺されることのなかった英雄を、ルディは自らの手で殺した。大切な名前と共に。
それでも残った罪悪感が、幸せになるなと叫んでいる。忘れるな、と死んだ者たちの目がこちらを見ている。
「・・・赦されない」
「誰が赦さないのでしょう?」
「殺されたものたちが・・・赦すはずがない」
「彼らは神の元へ旅立ちました。私のいる教会では神の元へ恨みは持っていけません。ただ安らかな感情だけで天に昇っていくのです」
「そんなの嘘」
「では、彼らがあなたを恨んでいる証拠はありますか?彼らはもうここにいない。生きているのはあなた、赦せないのもあなた自身だ」
ほんの少しだけ、ルディの体がブルーノに寄りかかる。感じた重みを優しく包むようにブルーノもルディの首により顔を埋めた。
「あなたがあなたを赦せるようになる手伝いを私にさせてほしい」
「・・・いい、のでしょうか」
「もちろん。不安だと言うのなら、まず私が許しましょう。ルディさんがご自身を赦されることを、バオ教会神父のブルーノは許します」
言葉のひとつひとつがルディの胸に染み渡っていく。本当はただ、養父が殺されて悲しかった。異国からきたルディは傭兵でしか生きられなかった。殺さなければ殺されるのが戦争だった。それらが重なった。
復讐をと思ったのは自分の意志。そう思わなければ過ごせなかったのは自分の弱さ。ルディ自身が責めていたそのすべてが、ブルーノの言葉で照らされたような気がした。
どのみち、エスメラルダとして敵兵と戦ったことは、何の罪でもない。ブルーノの言葉通り敵兵を痛めつけて楽しむことも亡骸を無下に扱うこともしていなかったし、していたとしても戦争時のことが咎められることは無い。
ルディが持つ罪は何もない。ただ、自分が自分を罪人として扱い、赦せなかっただけ。
いつのまにか浜辺で遊んでいた子どもたちが二人の周りに集まっていたが、それに気づいてもルディは泣くのを止められなかった。ブルーノも何も言わずただルディを抱きしめ続けた。子どもたちだけでなくその姿は町の人たちの目にも止まったけれど、子どもを含め誰一人茶化して騒ぐことはしないで、ただ二人を見守っていた。
町の人たちはルディが英雄だとは知らない。黒鎧の英雄と会ったことのある兵士もいるし、もちろん感謝はあるが、今のルディと結び付けて考えている人は誰もいない。
それでも町にふらりとやってきて以来寂しそうに海を眺め、町を復興した人格者である神父がその寂しさをゆっくりと埋めていったのだろうということは誰もが思っていた。ルディは町の人々と積極的に関わろうとはしなかったけれど困っている人に手を貸した。力があるからと荷物を運び、年寄りを背負って坂を上り教会へと運んでいる姿は何度も見かけられた。言葉がぶっきらぼうで口数が少なくても、子どもたちと遊ぶ時の笑顔は優しく、それらを贖罪などと思う人は誰もいなかった。
町の人たちは今のルディを受け入れている。最初の頃のように時々寂しい顔をしているのを心配し、早く神父と一緒になってほしいねと皆が思っていた。
それがようやく叶ったのだと、煌めく海の前で抱き合う二人を見て声に出さず祝福していた。




