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マルコは怪我をした振りをしていたわけではなく、本当に足が動かないほどの怪我を負っていた。
漁師として鍛え上げられた体は戦争に駆り出されてはその力強さを発揮することが出来なかった。
力仕事には役立ったが、武器を持って人と戦うという行為は体つきや筋力で全てが語られるものではない。
マルコは精神的な疲労により生じた隙に両足共に切られた。切断まではいかなかったが骨まで損傷する大怪我だった。幸い治癒師のもとへとすぐに運ばれたため両足共に失うことなく見た目はすぐに元通りになったのだが、歩けるようになるまで一年以上かかった。バオから離れた場所にある戦争で怪我を負った人たちのための施設に入り、歩行訓練をしている間に戦争は終わっていた。
歩けるようになってすぐ、故郷のバオに戻ろうとした。ただ、歩きの遅い足と、揺れが足に響き馬車に長時間乗っていられないことでその道のりは長かった。
途中の小さな宿場町で足の調子が戻るまで休んでいると変わった雰囲気の老人に声をかけられた。その老人は全身傷だらけで、マルコは自分と同じような境遇だったのだろうとすぐに打ち解けた。
バオに戻るという話を聞いて声をかけてくれたと老人は言った。あの町で世話になった人の娘が働いているという。一緒に行こうかとマルコは誘ったが、老人は首を横に振るばかりだった。しかし代わりに、娘がいる町を守ってほしいと金をマルコに握らせた。
「金で動くような男じゃない、とは言わないが、俺は戦争が怖くて逃げだしたんだ。ビビッて動けないところを切りかかられた。そんな男に頼むのは筋違いじゃねぇか?」
「いや、お前さんのような男だから頼むんだ。逃げ出したと言いながら町のために戻るんだろう?痛い足を引き摺ってまで長旅をする気概のある男を信用しない訳がない」
老人はそう言って笑った。足が痛いことは隠していたがばれていたことを悟ったマルコは、実は歩行訓練を抜け出して町に戻ろうとしたと話した。
「なぜ治るまで待てんかった?」
「あの町の出身じゃない神父が町の復興を指揮しているって話を聞いてな、俺は金はないが力はある。ちょっとでも助けになりたいって思ったのさ。施設で歩くのも町に向かって歩くのも一緒だろ。だったら移動したほうがいいじゃねぇか。それに俺も英雄に助けられたくちだが、俺の足を治したのは多分その神父なんだ。恩は返さなきゃならねぇ」
老人は驚いたように笑い、そうかそうかと満足そうに白い顎髭を撫でた。
「儂の目には狂いがなかったようじゃな。どれ、足をみてやろう。治療院を開いておったから安心せい」
その日からしばらくの間老人はマルコの足に治癒魔法をかけては隣の町や野宿が出来る場所まで一緒に歩く、ということを繰り返した。一緒にバオまではいけないが、少しくらいは付き合えると。歩けなくなっているのは筋肉が落ちたせいだと老人は言い、マルコも確かにと頷いた。漁師のころは盛り上がったようにあった胸筋も肩回りも、今じゃ普通より少し大きいくらい。寝ているか少し歩くばかりの日々を一年以上過ごしたのだから仕方がないが、確かにこれではよくない。力仕事をしに行くのに筋力が足りないだなんてあってはならないと、足だけでなく全身を使おうと決めた。
「それならば儂のとっておきの体術を教えてやろうかのう。身を守るにも丁度ええ」
それから約一年もの長い間、マルコは焦りながらも老人に窘められながらゆっくりと徒歩でバオを目指した。その間老人の言う通り体を鍛え、体術というものを学んだ。そこまで素直だったのは旅費のすべてを老人が出したこともある。手持ちの金が少なかったマルコにとっては渡りに船で、満足な食事もとれ体つきが戻ってくるにしたがって足の痛みも緩和されたこともあり、素直に信じていた。
ある程度バオに近づいたころ、老人の知り合いが訪ねてきて、戻らねばならないという話になった。どこに戻るのかはわからなかったが、迎えに来た奴はどう見ても兵士だった。どこかの偉いさんが道楽で旅をしていたのかもしれないとマルコは思った。ところどころ垣間見える所作が見慣れず、自分と同じような身分の人間だとは思えなかったこともある。
二人は別れを告げ、マルコはバオに向かって走っていこうとしたとき、老人が最後に、と言って引き留めた。
「足は悪いと思わせておいた方がいい。油断させておけば色々と楽になる」
「そういうものか?よくわからないがそうしてみよう。足が少々悪くても力仕事は出来ると言えば雇ってもらえる場所もあるだろうしな」
「ああ。頼んだぞ」
別れてからマルコはしまった、と後悔した。老人が世話になった人の娘というのが誰か聞いていなかった。名前も容姿も知らない。ただ、若い娘なのだろうということはなんとなくわかった。
しかし後悔したのはほんの一瞬で、生来能天気な性格だったマルコは深く考えることなく、何とかなるだろうとバオに向かった。
バオに戻ると小さいながらも復興されて町として機能し始めていた。言われた通り足を少し引き摺って歩き、働き口を見つける前にまずは神父に会おうと教会に向かった。
教会は以前とはだいぶ違う様相を呈していた。戦争前のバオの教会はボロく、ものすごく年老いた神父がいたが、礼拝堂で昼寝をしている姿しか見たことがなかった。あの年老いた神父は戦争が始まって早めに避難していたと思うが、戻ってきたわけではないようだ。
噂を聞いて想像していた通り、教会で神父をしているのはマルコを助けた若い治癒師だった。毎日たくさんの怪我人を診ていた彼は覚えていないだろうが、一言礼を言いたいと近づくと、神父の方からマルコに向かって走り寄ってきた。
「ご無事でよかった!」
「覚えてるのか?」
「ええ、町の人たちにあなたが凄腕の漁師だと聞いていましたから。戻ってこられて嬉しいです、おかえりなさい」
マルコの頬にぽろ、と一筋の涙が流れた。負傷兵ではなく漁師と呼ばれたことが嬉しかった。
漁師という仕事が好きで小さな頃から海に出た。港町と呼ばれているがバオは元々漁師町で、新しい海路が出来て港湾としての役割を持つようになってまだ十五年ほど。以前からの漁師たちが使える残されてはいるが新海路との兼ね合いで色々と窮屈になり別の海沿いの町に移った漁師もいた。だがマルコはバオののんびりとした雰囲気が好きで、離れようと考えたことは一度もなかった。
そのうち漁師頭などと呼ばれるようになるほど働いたが、忙しさにかまけて三度結婚したが三度とも嫁に逃げられた。それでも漁師であることに誇りを持っていた。
子どもはいなかったが、目の前の小柄な神父を見ていると息子がいたらこんな気持ちなのかとマルコは感極まった。
そして、その様子を後ろでそっと覗き見ている見慣れない女性の姿に気づくと、直感でこの女性があの老人の言っていた娘だと思った。事実かどうか調べることは出来ないが、あの老人と似たような雰囲気をどことなく感じた。
そして神父と娘は恋仲だと決めつけた。自分がすべきことはこの二人を守ることだと決め、怒涛の勢いで神父に自分を売り込んだ。
(まさか実践する日がこようとはなぁ)
自警団、と呼んでいるが元はここで戦っていた兵士たちだ。このあたりを治めている領主の屋敷がある街の兵士たちと連携してバオの警備を担っている。
その自警団に教会に入ってきた不届き者を渡したマルコとブルーノはほっと息をついた。
「動けると聞いてはいましたがお見事でした。助かりました」
「神父さんが注意引いてくれたからな。うまくいってよかった」
慣れないことをして二人とも疲労困憊だったが、何事もなく済んでよかったと顔を見合わせて笑う。子どもたちにもルディにも被害はなかった。
「後で牢に行って話を聞くつもりです」
「あの男逃げ出しそうだからな、気を付けて行った方がいい」
ブルーノは神妙な顔つきで頷いた。
「それでも、二度とここに来ないようにしなくてはいけません」
マルコはそれを見てあっはっはと大きく笑い、ブルーノの背中をバンバンと力任せに叩いた。
「いいねぇ、若いねぇ。孫の顔が早く見たいもんだ」
「マルコさん!?何を言ってるんですか!」
マルコは笑ったままゆっくりと足を引き摺って教会に入り、扉の所にいたルディの手を引っ張った。
「二人でよーく話し合うんだ。悪いようにはならないさ」
「マルコさんはいったい何者なんです?」
「元漁師だよ。旅の途中で会った老人に体術とやらを教わっただけだ」
ルディはちょっと教わったくらいであの動きが出来るとは思わなかったが、マルコに引っ張られるままに外に連れ出され、ブルーノに向かって背中を押された。
「デートでもしてくるんだな」
マルコはそう言って孤児院側に向かって行く。そろそろ男の子たちに習った体術を教えようと思っていた。今日は勉強の時間は無くなりそうだから、教えるのによさそうだ。
「牢屋にデートなんか行きませんよ・・・」
「ブルーノさん?」
「ああ、いえ。ルディさん、少し外に行きましょうか。話したいこともたくさんありますから」
「は、はい。そうですね。私も聞きたいことがあります」
では、と言ってルディの手をブルーノはそっと握った。初めて繋いだ時よりもずっと柔らかになった手に触れて、指を絡ませる。ルディは息を飲み、だけど振りほどかずにいた。
「行きましょう」




