トランスジェンダーの気持ち
「ふぬあぁ~!!!」
「ぐぬうぅぅぅ!!」
「お、お前ら。」
俺は唖然とした。
ミュラーとロイスが、閉まりゆく扉に手を掛け、必死の形相で押さえつけているではないか。
「エジル!!早く!!」
「早く追いかけなよ!!!」
動けなかった。
いや、動きたくなかった。
だから二人の力が及ばず、扉が閉まっていくのをその場で見送った。
二人は肩で息をしながらドッと腰を降ろした。
宙を仰ぎ、一呼吸おくと、
「このくそバカ野郎!!」
立ち上がるよりもずっと速く、まるで獣のようにミュラーが俺に飛び掛かってきた。
左の頬を強かに殴り付けられた。
「何をやっているの!?あんた!!何故行かせたのよ!!!」
覆い被さるように馬乗りになり、胸ぐらを掴みながら喚き散らした。
「ミュラー、落ち着いて!」
ロイスがミュラーにしがみついているのが見えた。
「放しなさい!ロイス!このくそバカエジルには、体で教え込まないと分からないのよ!!!」
俺はしばらくミュラーになされるがままにした。
こいつが何に怒っているのかを分かっていたから。
だけど、俺にはその怒りを受け止められるだけの気持ちが残っていなかった。
「っはぁ!っはぁ!」
ひとしきり俺の体を激しく揺さぶった後、段々と落ち着きを取り戻していった。
「なんで?なんでなのよ?」
「あいつが、分かってくれって言ったから。」
「・・・・ふっざけるんじゃないわよ!!
なぁにが、
『あいつが、分かってくれって言ったから』よ!
あんたねぇ、あの子が本気でああ言ったとでも思ってるの!?」
「うるっせぇな!
お前に何が分かるんだ!!」
「オカマなめんじゃないわよ!
女があんな瞳をする時はね、
男に引き留めて欲しい時に決まってんじゃないのよ!」
頬を殴られた以上の衝撃だった。
俺はそれが分からなかった。
いや、分かっていたのに、目を背けた?
今はそんなことどうでもいい。
「あの子はね、あんたを待ってるのよ。
あんた以外に、誰があの子を守れるって言うのよ。」
『エジル。私達は良い者であったり、悪者であったり、そんなんである必要ない。』
『お願い。今は優しくしないで。今、エジルに優しくされたら、心が折れるから。』
『ごめんね。・・・・ありがとう。』
『エジルを、いじめんなぁー!!!』
『私が・・・エジルを・・・守る・・・。
だから・・・・エジルも・・・・私を・・・・守って。』
『エジル。
今度は、
生きていて欲しい
って言ってくれて、
ありがとう。』
ルイーダの顔が次々と脳裏に浮かんでは消えてゆく。
「俺は・・・・。
俺は・・・・・。」
身体が燃えるように熱くなっていく。
「立ちなさい、エジル。
立ち上がるのよ。
男だったらねぇ、全世界を敵に回したって、惚れた女を守るもんなのよ。」
「お前、どうしょうもねぇ悪党みてーだな。」
ミュラーが俺の手を掴んだ。
俺はその手に支えられ、立ち上がった。
「兄ちゃん。
僕、さっきのベスト博士の話を聞いて思ったんだ。
博士は、姉ちゃんに抗体があれば、姉ちゃんが感染したとしても、なんの変化もきたさないって言ってたよね?」
「ああ。
確かにそう言ったな。」
「じゃあ、姉ちゃんがゾンビに噛まれた後から、力が強くなったのはおかしくない?
だって、姉ちゃんは何の変化も起こさないはずなんだから。」
「確かにそうだけど、ねぇロイス。
私にも分かるようにもっと簡単に説明しなさいよ。」
「つまり、ルイーダの体内に抗体は無いって言いたいのか?」
「何よそれ!だとしたら、ルイーダは無駄死にじゃないの!?」
「僕にはそう思えてならないんだ。」
「なら、早く止めないと!!」
「ミュラー、扉を開けられるか?」
「やってみるわ!」
ミュラーが扉を指でなぞった。
しかし何も起こらない。
ミュラーの触れた場所に切れ目が入らない。
「精心術が効かない!?」
「きっと特別な封印がされている場所だから、姉ちゃんみたいにこの場所に縁がある人にしか開けられないんだ!」
「くそっ!どうしたらいいんだ!」
ガンッ!!
俺は力任せに机を蹴り上げた。
ヴウゥン。
ザザザ・・・・。
ザザ・・・。
蹴りの衝撃なのか、突如として光る板に映像が映し出される。
ザザザ・・・・。
それは、さっき見た中のどれとも違う映像のようだった。
「もし、私の理論が間違っており、ルイーダに抗体が作られなかった場合の為。
念の為に他の方法も模索しておこう。
この方法は途方もない時間を要する、そして不確定要素が強い為、現段階では現実的ではない。
我々は筋力増強剤と平行し、戦争に勝つ兵器としてある試みを続けてきた。
使用者の心が作用し、物理とは別のベクトルで力を発現させる試みだ。
実験段階では、攻撃的な力の発現、物質を操る力の発現、治癒を行う力の発現、様々な力の発現を確認している。
どれも魔族と相対するにはあまりにも非力であり、戦力としては計算できないものだった。
しかし、私は治癒を行う力の発現に着目している。
現状ではこの治癒能力ではウイルスの作用を止めたり、抑えることは不可能だった。
だが、この能力自体、発現者の心に左右されるものであり、我々全ての存在が別個体である限り、いつかはウイルスに対抗しうる能力を保持する者が現れる可能性はゼロではないのだ。
だから、ルイーダを含むここで育てている子供達には、この能力が発現するよう遺伝子操作を行った。
もし、ここの子供達の中から。
もし、ここの子供達から出なくとも、その子供、また更にその子供達の中から、いつかはウイルスに対抗できる能力を持った者が生まれてくれると信じて。
こんな夢を見るような話をしている私は科学者として失格なのかもしれない。
だが、願わずにはいられない。
いつの日か、生まれてきて欲しい。」
プツン・・・。
「これは、壊れていたデータ、なのかな?」
「ねぇ、これってまさか。」
「精心術のことじゃないの?」
俺達は顔を見合わせた。
「ねぇ、エジル。あんた、ルイーダが噛まれた時に一緒にいたのよね?」
「ああ。俺はあの時、ルイーダが噛まれたのを知って、思わず。」
「治したのね!?」
「治したんでしょ!?」
「いや、だが、俺もそう思って他の住民にも試してみたが、ダメだった。」
「きっとねぇちゃんだから効果があったってことだね?
そうだ。
きっとそうなんだ!
繋がった!
これで全てが繋がったよ!!
姉ちゃんの体内には、七百年も生きられるウイルスが確かに存在している。
多少なりとも抗体はあるんだ。
そして、兄ちゃんの精心術で治癒したことによって、ウイルスの活動は鎮められ、若干の影響はあるもののゾンビ化は免れた。
二人の持っている力が合わさったことで、初めてウイルスに対抗することができたんだよ!
すごい!
これは奇蹟だよ!!」
「バカ野郎!ロイス!
それが分かったところで、ルイーダが死んじまったら意味ないんだぞ!」
「あっ!そうだった!どうしよう!」
「くそっ!こいつ賢いのかバカなのか分からねぇ!」
「いや、きっと手はあるよ!
ここは洞窟内の建物だから、外部から空気を取り入れないとならないはず。
どこかとか全然分からないけど、どこかに通気孔があるはずだよ!
きっと奥の部屋まで繋がっているはずだよ!!」
「あんた、はずはず、ばっかりじゃないのよ。
でも、今は他の手を考えている余裕はないわね。」
「探すぞ。俺とミュラーはあらゆる壁と天井を調べる。ロイス、お前は入り口の研究室でこの建物の設計図を探してくれ。」
再び三人で顔を見合わせると、俺達は一斉に走り出した。
つづく。




