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第9話 孔明の器

第九話 孔明の器


 日曜日。


 天神駅近くのビル。


 最上階。


 灘特訓クラス。


 教室の空気は普通ではなかった。


 誰も喋らない。


 問題用紙をめくる音だけが響く。


 全国トップ層。


 ここにいるのは各地の最上位層だった。


 悠真は窓際の席で、静かに問題を解いていた。


 速い。


 だが。


 それ以上に無駄がない。


 迷わない。


 止まらない。


 講師が教室を歩きながら小さく息を呑んだ。


「……速いな」


 別の生徒が舌打ちする。


「また悠真かよ……」


 悠真本人は何も気付いていない。


 ただ問題を解いているだけだ。


 その背後。


 孔明は静かに立っていた。


 何も言わない。


 ただ。


 教室全体を見渡している。


 不思議なことに。


 将太は時々思う。


 孔明が悠真に憑いているのではなく。


 悠真が孔明に近付いているように見える時があった。



 教室後方。


 天堂蓮が退屈そうに椅子へ座っていた。


 飛び入り参加らしい。


 問題用紙を眺めながら欠伸をしている。


 だが。


 順位は上位。


 誰も追いつけない。


 その背後では。


 信長が静かに笑っていた。


 最近はほとんど信長しか見えない。


 「他の影を信長が飲み込んでるな。」

 

 三成がつぶやいた。


 王と軍師。


 まるで正反対だった。

 

 



 その頃。


 将太は塾の自習室にいた。


 だが集中できない。


 問題文を読んでも頭に入らない。


 気になる。


 悠真のことが。


「……なんでだよ」


 三成が壁際で笑った。


「気になるか」


「別に」


「嘘が下手だな」


 将太は舌打ちした。


「なんつーか……」


 言葉を探す。


「ずっと一人で戦ってる感じがする」


 三成は少し黙った。


 そして。


「孔明は完成を好む」


 とだけ言った。


「完成?」


「無駄がない」


 三成は窓の外を見る。


「だが人間は、本来無駄だらけだ」


 将太は眉をひそめた。


「意味わかんねぇ」


「そのうち分かる」



 その瞬間だった。


 視界が揺れる。


 知らない教室。


 知らない景色。


 だが。


 悠真がいた。


 一人。


 問題を解いている。


 周囲には誰もいない。


 静かだった。


 異常なほど。


 静かだった。


 悠真は解き続ける。


 迷わない。


 疲れない。


 立ち止まらない。


 その姿に。


 将太は初めて恐怖を覚えた。


 完璧だった。


 人間なのに。


 人間らしくなかった。



「……やめろ」


 三成の声。


 視界が戻る。


 将太は机へ手をついた。


「今の何だよ……!」


「見るな」


 三成の顔は険しかった。


「深く見るな」


「何を」


「他人の中だ」


 将太は息を切らす。


 三成は静かに言った。


「空席は近付き過ぎる」



 夕方。


 特訓クラス終了。


 生徒たちが一斉に動き始める。


 答え合わせ。


 順位予想。


 情報戦。


 だが悠真だけは静かに荷物をまとめていた。


 誰とも話さない。


 その時。


 天堂が立ち上がる。


「なぁ」


 悠真が顔を上げる。


「何」


「最近、おもしれぇ奴いるだろ」


 悠真は少し考える。


 そして。


 将太の顔が浮かんだ。


「……綾小路?」


「そう」


 天堂が笑う。


「なんか変だよな」


 悠真は答えない。


 ただ。


 少しだけ考える。


 確かに。


 最近よく目に入る。


 順位が伸びている。


 妙に落ち着いている。


 そして。


 どこか違和感がある。


 理由は分からない。


 だが。


 気になる。



 その夜。


 悠真は自室で問題を解いていた。


 静かな部屋。


 時計の音。


 シャーペンの音。


 ふと。


 手が止まる。


 理由はない。


 ただ。


 綾小路将太の顔が浮かんだ。



 背後。


 孔明は静かに立っている。


 何も言わない。


 ただ。


 珍しく。


 その視線だけが。


 遠くを見ていた。


           ――第九話 終――

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