表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憑いてる。  作者: 受験孔明
目覚め
PR
8/82

第8話 選ばれる者

# 第八話 選ばれる者


 白い列車が霧の向こうへ消えていく。


 音はなかった。


 レールを走る音も。


 発車ベルも。


 風を切る音さえ聞こえない。


 将太はホームに立ち尽くしていた。


 読めない駅名標。


 白い霧。


 どこまでも続く静寂。


 列車が見えなくなっても、その場から動くことができなかった。


 ふいに、背後で足音がした。


 コツ。


 コツ。


 ゆっくりと近づいてくる。


 将太は振り返る。


 白い少年だった。


 少年は何も言わない。


 ただ将太の前まで来ると、小さく右手を差し出した。


 将太はその手を見つめる。


「……帰れるのか?」


 少年は答えない。


 静かな笑みを浮かべたまま、将太を見つめている。


 その瞳には、不思議と恐怖はなかった。


 あるのは、どこか懐かしい温かさだけだった。


 将太はゆっくりと手を伸ばす。


 指先が触れた、その瞬間――。


 世界が白く弾けた。


     ◇


 ガタン。


 大きな音に、将太は飛び起きた。


 見慣れた天井だった。


 自分の部屋。


 机。


 本棚。


 壁に掛かった制服。


 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。


「……夢?」


 息が荒い。


 心臓だけがまだ白い駅に置き去りになっているようだった。


 枕元の時計を見る。


 午前六時三十二分。


 いつもの時間。


 いつもの朝。


「……だよな。」


 力が抜ける。


 夢だった。


 そう思いながら制服を手に取る。


 昨日の制服だった。


 胸ポケットが少し膨らんでいる。


「……?」


 中へ手を入れる。


 指先が紙に触れた。


 白い紙。


 昨日、入れた覚えはない。


 ゆっくり広げる。


 何も書かれていない。


 真っ白だった。


「何だ、これ。」


 その瞬間。


 紙の中央へ黒い染みがにじみ始めた。


 インクではない。


 墨でもない。


 生き物のように文字が浮かび上がってくる。


 将太は息をのんだ。


 やがて、一行だけ文字が現れる。


 **――まだ振り返るな。**


 将太の背筋を冷たいものが走った。


「将太ー!」


 一階から母・康子の声が聞こえる。


「朝ご飯よ!」


「……あ、うん!」


 慌てて返事をする。


 もう一度紙を見る。


 文字は消えていなかった。


 確かにそこに書かれている。


 夢じゃない。


 白い駅も。


 白い列車も。


 全部、本当にあった。


 将太は紙をそっと制服の胸ポケットへ戻した。


 誰にも見せてはいけない。


 そんな気がした。


 校門をくぐると、いつもの朝が広がっていた。


 グラウンドではサッカー部が声を張り上げている。


 校舎の窓からは吹奏楽部の音合わせが聞こえる。


 友達同士が笑いながら教室へ向かっていく。


 昨日までと、何一つ変わらない。


「将太!」


 来海が後ろから駆け寄ってきた。


「おはよ!」


「おう。」


「元気なくね?」


「ちょっと寝不足。」


「また夜更かし?」


「まあ、そんな感じ。」


「ゲーム?」


「動画。」


「ほどほどにしとけよ。」


「分かってる。」


 笑って返す。


 嘘ではない。


 でも、本当でもなかった。


 昨日のことを話したところで、信じてもらえるはずがない。


 教室へ入る。


 友達が宿題を写している。


 誰かが昨日の模試の答え合わせをしている。


 黒板には今日の日直の名前。


 すべてが、いつもの朝だった。


 将太は自分の席へ座る。


 胸ポケットの上から、そっと白い紙に触れた。


 まだ入っている。


 夢ではない。


 ホームルーム開始のチャイムが鳴る。


 担任が教室へ入ってきた。


「はい、席につけー。」


 教室が少しずつ静かになる。


 出席簿が開かれる。


 その時だった。


 胸ポケットが、じわりと熱くなる。


 将太は小さく息をのんだ。


 熱は一瞬で消えた。


 代わりに、頭の奥で昨日見た文字が浮かぶ。


 **――まだ振り返るな。**


 理由は分からない。


 それでも、振り返ってはいけない。


 そんな確信だけがあった。


「綾小路。」


 担任が名前を呼ぶ。


「……はい。」


「聞いてるか?」


「聞いてます。」


「じゃあ、このプリント後ろへ回して。」


「あ、はい。」


 教室に小さな笑いが起こる。


 将太も照れ笑いを浮かべながらプリントを回す。


 その時だった。


 プリントを受け取った女子が、一瞬だけ将太の肩越しを見た。


「あれ?」


 小さく首をかしげる。


「どうした?」


 隣の友達が聞く。


「いや……何でもない。」


 女子はすぐ前を向いた。


 将太の鼓動が速くなる。


 今、何を見た?


 いや。


 見えたわけじゃない。


 「何かいる気がした。」


 そんな顔だった。


 将太は奥歯を噛む。


 振り返るな。


 振り返るな。


 頭の中で、その言葉だけが何度も繰り返される。


 ホームルームが終わる。


 一時間目の準備が始まる。


 椅子を引く音。


 教科書を取り出す音。


 笑い声。


 その全部が、少しずつ遠く聞こえてきた。


 将太は机の下で拳を握る。


 自分のすぐ後ろに、誰かが立っている。


 そんな気配だけが、はっきりと伝わってきた。


 振り返れば確かめられる。


 でも――。


 振り返ってはいけない。


 将太は黒板だけを見つめ続けた。


 放課後。


 将太はリュックを肩に掛け、校門を出た。


 来海たちは部活へ向かっている。


「将太、今日は塾?」


「うん。」


「また模試の復習?」


「たぶん。」


「大変やな。」


「まあね。」


 軽く手を振り、駅へ向かう。


 昨日と同じ道。


 昨日と同じ景色。


 それでも胸の奥は落ち着かなかった。


 制服の胸ポケットに触れる。


 白い紙は、まだそこにある。


 『まだ振り返るな。』


 その一文だけは消えていなかった。


 駅前の交差点。


 信号が青へ変わる。


 待っていた人たちが一斉に歩き始めた。


 その時だった。


「きゃっ!」


 小さな悲鳴が聞こえた。


 ランドセルを背負った女の子が、人混みの中で転んでいた。


 弾かれたように帽子が転がる。


 前から右折車が近づいてくる。


 運転手はまだ気づいていない。


 将太は考えなかった。


 身体が先に動いていた。


「危ない!」


 女の子の腕をつかみ、そのまま歩道へ飛び込む。


 キィィィッ――!


 タイヤが路面を擦る音。


 車は将太たちの目の前で止まった。


 一瞬の静寂。


 すぐに周囲がざわめき始める。


「大丈夫!?」


「危なかった……。」


 女の子の母親が駆け寄り、何度も頭を下げる。


「ありがとうございました、本当に……。」


「大丈夫です。」


 将太は照れくさそうに笑った。


「ケガない?」


 女の子は涙を拭きながら、小さくうなずく。


 その瞬間だった。


 世界から音が消えた。


 車のエンジン音。


 信号機の電子音。


 人々の話し声。


 すべてが、すっと消える。


 将太はゆっくり顔を上げた。


 止まっている。


 車も。


 人も。


 風に揺れていた街路樹の葉まで、空中で静止していた。


「……またか。」


 今度は驚かなかった。


 止まった世界。


 白い駅とは違う。


 ここは現実の街のままだ。


 ただ、時間だけが止まっている。


 コツ。


 コツ。


 静かな足音が響く。


 将太は音のする方を見る。


 横断歩道の向こう。


 黒い影が立っていた。


 人の形をしている。


 だが輪郭は揺らぎ、顔は見えない。


 影はゆっくり歩き出す。


 一歩。


 また一歩。


 急がない。


 将太だけを見つめながら、静かに近づいてくる。


 胸ポケットが熱くなる。


 将太は反射的に紙を握った。


 頭の中へ、あの文字が浮かぶ。


 **――まだ振り返るな。**


 振り返る……?


 今は正面を向いている。


 意味が分からない。


 それでも、紙は熱を帯び続けていた。


 黒い影は将太から数歩離れた場所で止まる。


 動かない。


 何も話さない。


 ただ見つめている。


 将太も見返した。


 怖い。


 それなのに、不思議だった。


 初めて会うはずなのに。


 どこかで知っているような気がした。


 その時。


 黒い影が、ゆっくりと右手を上げる。


 招くようにも。


 制するようにも見える動きだった。


 次の瞬間。


 クラクションが鳴り響く。


 世界が、一斉に動き出した。


「お兄ちゃん?」


 女の子が心配そうに将太を見上げている。


「あ……ああ、大丈夫。」


 将太は慌てて辺りを見回す。


 人が歩いている。


 車が走っている。


 信号も変わる。


 さっきまでの静寂が嘘だったように、街はいつもの夕方へ戻っていた。


 黒い影は、もういない。


 将太は胸ポケットから白い紙を取り出す。


 そこには、新しい文字が浮かび始めていた。


 ゆっくりと。


 墨がにじむように。


 将太は息を止める。


 やがて現れたのは、たった一行。


 **――次は、お前が選ぶ。**


 その文字を見つめたまま、将太は立ち尽くしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ