第7話 白い列車
# 第七話 白い列車
将太は息を整えた。
開いたままの扉の向こうには、白い空間が広がっている。
天井も。
床も。
壁も。
境界さえ曖昧だった。
車内なのに、どこまでも続いているように見える。
「……。」
喉が渇く。
引き返した方がいい。
頭ではそう思う。
だが、足は止まらなかった。
一歩。
白い列車へ足を踏み入れる。
その瞬間、背後で静かに扉が閉まった。
音はほとんどしない。
それでも、現実との境界が閉じられたことだけは分かった。
将太はゆっくり振り返る。
窓の外には白い霧しかない。
さっきまで立っていたホームも、木製のベンチも見えなくなっていた。
白い少年は通路の先を歩いている。
相変わらず振り返らない。
「待って。」
思わず声を掛ける。
少年は足を止めた。
しかし、こちらを見ようとはしない。
「ここ……何なんだよ。」
返事はない。
静かな沈黙だけが流れる。
将太は周囲を見回した。
座席はある。
けれど、一つひとつ形が違う。
古い木の長椅子。
革張りの座席。
学校の教室にあるような椅子。
映画館の椅子。
時代も場所も違う椅子が、一両の中に並んでいた。
そのどれにも、人はいない。
ただ、一番奥の席だけは違った。
誰かが座っている。
窓の外を眺める、一人の老人。
白髪。
黒い和服。
姿勢よく座り、微動だにしない。
将太が近づいても振り返らない。
眠っているようにも見えた。
白い少年が老人の前で立ち止まる。
静かに頭を下げた。
その仕草を見た瞬間だった。
老人の指先が、わずかに動く。
将太の心臓が跳ねた。
ゆっくりと顔がこちらを向く。
見覚えがあった。
学校で。
塾で。
何度か見かけた、あの「憑いている者」たちと同じ気配。
けれど、この老人は違う。
目が生きていた。
将太を、まっすぐ見ている。
老人は静かに口を開く。
「……久しい。」
将太は思わず聞き返した。
「俺と、会ったことありますか。」
老人は答えない。
その代わり、小さく目を細めた。
その視線は、将太ではなく――。
将太の背後へ向けられていた。
将太はゆっくり振り返る。
誰もいない。
列車の中には、自分と白い少年しかいないはずだった。
それでも老人は、確かに何かを見つめている。
その瞬間。
列車が、静かに動き始めた。
振動はない。
音もない。
窓の外の白い霧だけが、ゆっくりと後ろへ流れていった。
白い列車は、音もなく走り続けていた。
揺れはほとんど感じない。
窓の外を流れていく白い霧だけが、この列車が進んでいることを教えてくれる。
将太は通路を歩いた。
誰もいない。
座席だけが並んでいる。
一つとして同じ形はない。
木製の長椅子。
革張りの座席。
学校の教室にある椅子。
映画館のような椅子。
新幹線の座席。
時代も場所も違う椅子が、一両の中へ当たり前のように並んでいた。
どの席も空いている。
それなのに、不思議だった。
誰かが、ついさっきまで座っていた。
そんな気配だけが残っている。
将太は思わず振り返る。
白い少年は少し前を歩いていた。
足音はしない。
それでも、ちゃんと歩いている。
将太が立ち止まれば、少年も立ち止まる。
歩き出せば、また静かに前へ進む。
それだけだった。
やがて、古い真鍮の取っ手が付いた扉へたどり着く。
小さな窓から向こうを覗く。
また車両だった。
白い車両。
その先にも。
さらに、その先にも。
終わりが見えない。
「……どこまで続いてるんだ。」
誰も答えない。
その時だった。
――ザーッ……
天井のどこからともなく雑音が響いた。
将太は顔を上げる。
放送設備は見当たらない。
それでも声だけが流れる。
『まもなく――』
雑音。
『――に到着します。』
駅名だけが聞こえない。
将太は眉をひそめる。
「何でそこだけ……。」
列車がゆっくり減速を始めた。
窓の外の霧が少しずつ薄くなっていく。
白いホームが見えた。
一本だけ伸びるホーム。
古びたベンチ。
そして駅名標。
確かに文字が書かれている。
将太は目を凝らした。
読めない。
滲んでいるわけではない。
消えているわけでもない。
見えている。
なのに、一文字も読めない。
「何で……。」
列車が静かに止まる。
扉が開く。
白い少年は迷うことなくホームへ降りた。
将太は駅名標をもう一度見た。
やはり読めない。
そこに文字があることだけは分かる。
それなのに、頭が文字として認識しなかった。
少年はホームの先で立ち止まり、将太を待っている。
将太は駅名標から目を離せない。
読めそうで、読めない。
その感覚だけが、胸の奥へ重く残った。
静かな風が吹く。
駅名標が、わずかに揺れた。
その瞬間だけ。
文字が、一文字だけ読めた気がした。
――観。
次の瞬間には、もう消えていた。




