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第10話 王の空気

第十話 王の空気


 放課後。


 将太は一人で歩いていた。


 夕暮れ。


 商店街。


 自転車が横を通り過ぎる。


 どこにでもある街。


 なのに。


 最近はもう、普通の景色に見えない。


 あのマンションの影。


 鏡。


 孔明。


 信長。


 考えたくなくても、頭へ浮かぶ。


「顔死んでるぞ」


 三成が電柱の上から言った。


「うるせぇ」


「空席は考え込みやすい」


「だから何だよ」


「飲まれるぞ」


 将太は舌打ちした。


 その時だった。


「おい」


 後ろから声。


 将太が振り返る。


 高校生。


 三人。


 制服を崩している。


 煙草の匂い。


「お前さっきぶつかったよな?」


 ぶつかっていない。


 典型的な絡みだった。


「……知らねぇよ」


「は?」


 一人が将太の胸ぐらを掴む。


 周囲の空気が少し変わる。


 三成が小さく呟く。


「荒れているな」


 将太の喉が鳴る。


 男たちの後ろ。


 確かに何かは見える。


 だが。


 天堂や悠真ほどではない。


 粗い。


 まとまりがない。


 暴力と苛立ちだけでできたような空気だった。


「金持ってんだろ?」


 男が笑う。


 その時だった。


「どけ」


 低い声。


 空気が変わった。


 一瞬で。


 高校生たちの顔色が変わる。


 将太が振り返る。


 天堂だった。


 ポケットに手を入れたまま、こちらへ歩いてくる。


 だるそうな顔。


 なのに。


 周囲が静まる。


 将太には見える。


 背後。


 信長。


 ただ立っているだけ。


 それだけなのに。


 妙な圧迫感があった。


 高校生たちは顔を見合わせる。


 そして。


 何も言わずに後ずさった。


「……行こうぜ」


「ああ」


 三人は舌打ちしながら去っていく。


 天堂は何もしていない。


 怒鳴ってもいない。


 殴ってもいない。


 ただ。


 そこに立っていただけだった。


 将太は息を呑む。


「お前……」


 天堂はコンビニ袋を持ったまま、将太を見た。


「何」


「いや」


 言葉が出なかった。


 天堂は不思議そうに首を傾げる。


「お前さ」


「……何」


「変な感じするよな」


 将太の心臓が跳ねた。


 三成の目が細くなる。


 だが天堂本人は、本当に不思議そうにしているだけだった。


 将太は何も言えない。


 信長も何も言わない。


 ただ。


 静かに立っている。


 その視線だけが妙に重かった。


「……そうか?」


 将太が誤魔化すように言う。


「ああ」


 天堂は即答した。


「なんか分かんねぇけど」


 そして。


 少し考える。


「たぶん、俺と似てる」


 将太は思わず顔を上げた。


「どこが」


「何となくな。わかんねぇけど」


 天堂は笑う。


「だから気持ち悪い」


「失礼だな」


「だな」


 初めて少しだけ笑った。


 その時。


 自販機の前で天堂が立ち止まる。


 缶ジュースを買う。


 一本。


 そしてもう一本。


「ほら」


 将太へ投げた。


 慌てて受け取る。


「あ、ありがとう」


「おう」


 天堂はプルタブを開ける。


 炭酸の音。


 夕暮れの風。


 ほんの数秒。


 二人とも何も喋らない。


 その沈黙が不思議と苦ではなかった。


「なあ」


 将太が言う。


「何」


「お前って友達多いだろ」


 天堂は少し考えた。


 そして。


「別に」


 と答えた。


「いや多いだろ」


「集まるだけだ」


 将太は黙った。


 その言葉が妙に引っかかった。


 集まる。


 でも。


 友達ではない。


 そんな風に聞こえた。


「お前さ」


 天堂が笑う。


「友達少ねぇだろ」


「は?」


「なんとなく」


 将太は言い返そうとして。


 やめた。


 図星だった。


 天堂は缶を傾ける。


「俺もそうだから」


 将太は少し驚いた。


 天堂は人気者だ。


 人が集まる。


 誰も逆らわない。


 なのに。


 どこか一人だった。


 将太は初めて思った。


 信長が怖いんじゃない。


 天堂自身が。


 少しだけ怖い。



 帰宅後。


 将太は洗面所で顔を洗った。


 冷たい水。


 少しだけ頭が冷える。


 鏡を見る。


 何もいない。


 黒い影も。


 信長も。


 誰も。


 将太は小さく息を吐いた。


 だが。


 頭から離れない。


 信長ではない。


 天堂だった。


 あいつは人気者だ。


 人が集まる。


 誰も逆らえない。


 それなのに。


 どこか一人だった。


「……変な奴」


 将太が呟く。


 三成は少しだけ笑った。


「王は孤独だ」


「は?」


「昔からな」


 将太は鏡を見る。


 そこには自分しか映っていない。


 だが。


 なぜか。


 その方が怖かった。


           ――第十話 終――

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