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憑いてる。  作者: 受験孔明
空席
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第74話 真実の欠片

74話 真実の欠片


 白い列車の扉が開いた。


 音はなかった。


 ただ、光だけが漏れている。


 東京駅のホーム。


 白い改札。


 赤い電光掲示板。


 膝をつく観測者たち。


 その全てが、異様な静けさの中で将太を見ていた。


 心陽の影は、扉の前に立っていた。


 本人ではない。


 如月心陽の姿をしている。


 だが、その笑みは本人のものではなかった。


 誰かに見られ続けた結果、作られた像。


 期待され、羨まれ、比べられ、勝手に形を決められた影。


 二人目に成りかけているもの。


 将太は走ろうとした。


 だが、足が動かない。


 東京駅全体の視線が重すぎる。


 ここで心陽の名前を強く呼べば、観測者たちに拾われる。


 名前が固定される。


 救うつもりが、二人目として確定させてしまう。


 リンの声が背後から飛ぶ。


「ここで叫ぶな!」


 将太は歯を食いしばった。


「じゃあどうするんだよ!」


「近づけ」


 リンはかすれた声で言う。


「名前を叫ぶな。本人に届く距離まで行け」


 悠真が前へ出た。


 その背後で孔明の影が羽扇を上げる。


『観測の中心をずらす』


 悠真は短く言った。


「綾小路、影を見るな」


「分かってる」


「見るのは如月本人だ」


 天堂も動いた。


 その背後で信長の影が低く笑う。


 だが、その笑みには余裕がなかった。


『面白くなってきた、とは言えんな』


 天堂が吐き捨てる。


「お前がそれ言うと本当にまずいんだよ」


 白い列車の扉が、ゆっくり閉まり始める。


 心陽の影が、一歩だけ中へ入った。


 将太の胸が締め付けられる。


 如月心陽。


 声には出さない。


 胸の中で呼ぶ。


 塾の教室。


 ノートを取る横顔。


 麻里と笑っていた声。


 何度も自分の名前を確認していた弱さ。


 見られすぎているのに、平気なふりをしていた顔。


 影ではない。


 二人目ではない。


 如月心陽。


 将太がそう思った瞬間、心陽の影がわずかに揺れた。


 白い列車の扉が止まる。


 あと少し。


 届きそうだった。


 その時だった。


「真実を先に見せる」


 第二候補の少女が言った。


 将太は振り返る。


「今じゃないだろ!」


「今しかない」


 少女の声は冷たい。


「あなたはまだ、自分が何なのか分かっていない」


 リンが鋭く言う。


「やめろ」


「もう始まっている」


 少女はリンを見た。


「隠しても間に合わない」


 東京駅の時計が揺れた。


 現在の東京駅。


 七年前の東京駅。


 白い駅。


 三つの景色が重なり始める。


 将太の頭の奥に、七年前の光景がまた浮かぶ。


 幼い将太。


 幼い真心。


 時計の下。


 手を繋いでいた二人。


 黒いコート。


 観測開始。


 砕けた記憶。


 真心の声。


「忘れて」


「お願い」


「生きて」


 将太は拳を握った。


「何を知ってる」


 リンを見る。


「全部話せ」


 リンは目を伏せた。


「無理だ」


「またそれか」


「話せない」


 将太の中で、苛立ちが爆ぜた。


「ふざけるな」


 東京駅に声が響く。


「俺だけ何も知らない」


 観測者たちの視線が揺れる。


「真心も」


「お前も」


「一人目も」


「みんな俺を知ってる」


「なのに俺だけ分からない」


 リンは長く息を吐いた。


 そして、静かに言った。


「だから候補なんだ」


 将太は眉をひそめる。


「候補?」


「忘れているからだ」


 リンは将太を見た。


「覚えていたら、候補にはなれない」


「意味が分からない」


「全部覚えている者は、観測される側に固定される」


 リンの声はかすれていた。


「忘れている者だけが、見る側にも、見られる側にも立てる」


 将太は黙る。


「それが空席だ」


 空席。


 第一話からずっと付きまとってきた言葉。


 誰にも憑かれていない。


 誰にも選ばれていない。


 何も入っていない。


 そう思っていた。


 だが、第二候補の少女が首を振った。


「違う」


 将太は少女を見る。


「何が」


「空席は、何もない場所じゃない」


 少女は静かに言った。


「まだ誰も座っていない席」


 東京駅の空気が変わる。


「だから」


 少女は続ける。


「誰にでもなれる」


 観測者たちがざわめいた。


 リンの顔色が変わる。


「やめろ」


 少女は構わず続ける。


「観測者たちは待っている」


「次に座る者を」


「次に世界を継ぐ者を」


 将太の頭が真っ白になる。


 だから。


 一人目は自分を見ていた。


 だから。


 観測者たちは膝をついた。


 だから。


 真心は守ろうとしていた。


 空席とは、弱さではなかった。


 欠けていることでもあった。


 だが同時に、まだ決まっていないということでもあった。


 何者にもなれる。


 だから危険だった。


 だから世界に見つかった。


 将太はリンを見る。


「七年前に選ばれたのは、俺じゃないのか」


 リンは答えなかった。


 その沈黙で、将太は分かった。


 第二候補の少女が口を開く。


「七年前」


 東京駅の時計の下に、幼い真心の姿が浮かぶ。


「本来選ばれたのは、田中真心」


 将太は言葉を失った。


 悠真も。


 天堂も。


 動けなかった。


「真心が……?」


「そう」


 少女は淡々と答える。


「でも、田中真心は自分が選ばれることを拒んだ」


 東京駅の床に白いひびが走る。


「第一候補として観測されかけた綾小路将太を守るために」


「自分の名前を、空白にした」


 将太は息を呑む。


 真心に影がない理由。


 忘れられやすい理由。


 教室中の影が真心へ向く理由。


 孔明と信長が警戒した理由。


 本来なら存在してはならないと言われた理由。


 全部が繋がる。


「じゃあ」


 将太が声を絞り出す。


「真心は、自分で忘れられる側になったのか」


 少女は頷いた。


「あなたを生かすために」


 将太の胸が痛む。


 七年前。


 幼い真心は言った。


 忘れて。


 お願い。


 生きて。


 それは将太の記憶を消すためだけの言葉ではなかった。


 真心自身が、忘れられる側へ落ちるための言葉でもあった。


 リンが低く言う。


「だから言った。お前は最初じゃない」


 将太はリンを見る。


「一度、観測されている」


「でも、田中真心が止めた」


 リンは唇を噛んだ。


「そのせいで真心は第二候補になった」


 第二候補。


 将太はその言葉を今度は別の重さで受け止めた。


 二人目候補ではない。


 オブザーバー候補の第二候補。


 名前を残す者。


 空白に落ちても、誰かをつなぎ止める者。


 そして。


 田中真心本人を、役割が食い始めている。


「じゃあ、俺は何なんだ」


 将太が言う。


 少女が答える。


「例外」


 将太の背筋が冷える。


「本来存在しない観測者」


「何だよそれ」


「第一候補ではなかったのに、第一候補として戻ってきた者」


 少女は将太を見る。


「真心が守ったはずなのに、七年後にもう一度見つかった者」


 リンが目を伏せる。


「だから最悪なんだ」


 将太は息を呑む。


 東京駅のアナウンスが響く。


『第一候補の記憶接続を確認』


『第二候補との接続を確認』


『観測を再開します』


 再開。


 開始ではない。


 七年前の続き。


 心陽の影が白い列車の中で揺れる。


 扉はまだ完全には閉じていない。


 始発まで、残り一分。


 悠真が言った。


「綾小路、今は心陽だ」


 将太は顔を上げる。


「過去に飲まれるな」


 孔明の影が悠真の背後で静かに頷く。


 天堂も言う。


「真心のことも後だ」


 信長の影が目を細める。


『光を先に戻せ』


 将太は拳を握った。


 そうだ。


 順番。


 光。


 空白。


 忘れていた名前。


 今は、如月心陽。


 将太は心陽の影へ向かって一歩踏み出した。


 その瞬間だった。


 ゴォォォォン――。


 東京駅全体が揺れた。


 巨大な轟音。


 天井が軋む。


 ガラスが震える。


 赤レンガの壁に、黒い亀裂のような影が走る。


 観測者たちの顔色が変わった。


 リンが顔を上げる。


 そして、初めて絶望した顔を見せた。


「来た」


 将太の鼓動が跳ねる。


「何が」


 リンは答えない。


 東京駅の赤レンガの向こう。


 巨大な影。


 人ではない。


 黒衣でもない。


 駅舎より大きい。


 街そのものを見下ろしている。


 将太は知っていた。


 停止世界で一度だけ見た。


 東京駅の向こう側にいた存在。


 真心が最も恐れていたもの。


 駅中のアナウンスが鳴る。


『ダンニュクを確認』


 観測者たちが一斉に膝をつく。


 リンが唇を噛む。


 第二候補の少女が初めて空を見上げる。


 そして、静かに呟いた。


「間に合わなかった」


 次の瞬間、東京駅全体の照明が消えた。


 闇の中で、巨大な影だけが動いた。


『観測を開始します』


 その声は、駅のアナウンスではなかった。


 黒衣の声でもない。


 真心の声でもない。


 もっと深い。


 もっと古い。


 名前を失った者たちの底から響く声だった。


 ダンニュク。


 場所ではない。


 怪物でもない。


 名前を世界から切り離す仕組み。


 それが、東京駅に重なり始めていた。


 白い列車の扉が、再び閉まり始める。


 心陽の影が中へ吸い込まれる。


 将太は走った。


 観測者たちの視線が集まる。


 ダンニュクの影が覆いかぶさる。


 リンが叫ぶ。


「ここで叫ぶな!」


 悠真が叫ぶ。


「見るな、影を見るな!」


 天堂が叫ぶ。


「行け、将太!」


 将太は目を閉じた。


 心陽の影を見ない。


 白い列車も見ない。


 観測者たちも見ない。


 東京駅も。


 ダンニュクも。


 何も見ない。


 ただ一人だけを思い浮かべる。


 如月心陽。


 塾の教室で笑っていた。


 苦しそうに名前を確認していた。


 見られすぎていた。


 でも、それでも本人としてそこにいた。


 将太は、声に出さずに呼んだ。


 如月心陽。


 その瞬間。


 白い列車の中から、誰かが振り返った。


 影ではない。


 一瞬だけ。


 本物の心陽の目が見えた。


 将太は手を伸ばした。


 扉が閉まる。


 残り数センチ。


 指先が、白い光に触れた。

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